のんびりばあちゃん奮闘記

毎日追われるような慌ただしさはとうに卒業しているのにのんびりできていない私の奮闘日記です。

きょうは友人と合流

2024-02-24 21:18:58 | 日記
久々にガス抜きできました。
爺もさすがに悪いと思っているようで行っておいでモードでした。
元町のチャーミングセールにでも行って来たら。といってます。
物欲は無くなっているのですよ。
一人で自由に使える時間が欲しいのですよ。
映画を見てちょっと高級なランチをしておしゃべりして帰宅。
くすぶりたまったガスが少し抜けました。
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もう~飽きたよ

2024-02-23 21:03:16 | 日記
朝起きてきたら、お布団の上でもがいていた。
痛いそうだ。
湘南鎌倉病院へ連れて行ってくれ。という。
もう何の検査しても同じだよ。
いい加減にしてくれ。
雨の中運転していきましたよ。
整形外科の救急処置室に行って痛みを訴える。
筋断裂もないし、血腫のしこりもない。
時間待ちなのですよ。
本人は痛くて仕方がないのでしょうけど優しくない妻の本性が
出てまいりましたわ。
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雨だ~

2024-02-22 22:14:36 | 日記
ここのところシトシトと降ったりやんだりの雨が続いていましたが、
今朝はしっかり降っていましたねー。
寝室を別にしているので夜中に痛みでもがき苦しんだという爺の話は他人事。
知らないというのは平和なこと。
大変ねー。時間薬だからねーあおたんが紫から青になり緑になり黄色に変わって
皮膚に吸収されなければね~
まるで子供に言い聞かせるようなものです。
だんだん老化がすすむと面倒になるね。

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きょうも午前中は病院受診でした

2024-02-21 21:15:09 | 日記
爺の病院サポートでした。
2ヶ月に1回の脳梗塞の経過観察の受診でした。血液サラサラの薬の処方を受けるためでした。
先週の腰の打撲も血液サラサラの薬を飲んでいるから内出血がひどかったように思えたので
こういう場合は服薬をやめておいた方がよかったでしょうか?と聞くと
「まあ飲まなければ脳血栓を起こしてしまうかもしれませんね」
という。
あまりにも痛さがひどいというので整形外科にもカルテを回してもらうと同じ先生なのですが
今日は脳神経外科の担当でそちらに回ることになった。
先週に比べて痛むところが変わっているので再度大腿骨から足先まで検査をし直してもらった。
骨には異状はなかった。しかし「血液サラサラの薬を使っているから相当の量の内出血だったでしょう。こんな時は
血液サラサラの薬を止めておいてもよかったね」というのです。
1週間ぐらい止めても問題はないというのです。
慎重な脳神経外科の先生と相対する二人の先生の意見に患者はどうすればいいんだ!と患者の怒り沸騰。
結局午前中いっぱいかかってしまった。
待合室に玄関のドアが開くたびに寒い風が吹き込んできてほとほと嫌になったので、玄関でドア番していた
係の男の人にエアカーテンの設置とか考えないの?と聞いてしまった。
外玄関と内玄関と二段階にドアをつけているから寒くはないと言い張るおじさんにも腹が立った。
自分は電気ストーブ足元に置いてぬくぬくしているのです。
いつまでたっても呼ばれない患者は別の病気を発症しそうです。
その方「エアカーテン」全くご存じありませんでした。
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義父の33回忌は延期でした

2024-02-20 22:00:31 | 日記
昨日は義父の祥月命日でした。
菩提寺に行く予定でしたが爺のケガのために法事は延期せざるをえませんでした。
お仏壇にお供えをしてお線香をあげてお詫びでした。
明け方病院からの電話でかけつけました。腹部大動脈瘤破裂でした。
喉頭がんで声帯をとっていたので声も発することもできなかったと思います。
看護も姑に任せきれないので試験を受けなおして義務教育から高校に移動が決まったばかりでした。
勤務先が離れていて帰宅してから病院へ見舞に行くことがなかなかできず土日に行くことしかできなかったのです。
その夜は当然姑が病院へ行っているものだとばかりと思っていて、明日はお休みをとって早めに病院へお見舞いに行けるようにしようね。と子供たちと約束してました。
帰宅予定時間になっても姑が帰ってこないのでお部屋に訪ねると寝ていたのです。
それこそ腰が抜けるぐらいびっくりしたのでした。
夕食も食べたくなくて臥せっていたというのです。
32年前のことですがそこは鮮明に覚えているのです。その明け方舅は亡くなりました。
その息子が供養をしたくてもお墓に行ってあげられないのです。
本当に体調は良くありません。
どうしてあげたらよいのかわからなくなってきてます。
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