藤沢市のH小学校に行ってきました。
体調の悪い先生方が多くて7割ぐらいの出席率でした。
明日はプール掃除をしてプール指導が始まるそうです。
心臓マッサージが中心です。
隣の市ですが車で30分足らずで到着。
あってはならない事故ですが有事への対応は正しい技術が必要です。
1年に1回でも研修を受けておくのと受けないのでは違う。
こだわりの強い女の先生がいました。
過去に受けた蘇生法は左手で鼻をつまみ右手で下顎挙上をしたが
今日は違うのでやり方が違うのではありませんかと不機嫌そうに
やってきた。
最初は何を言おうとしているのかわかりませんでした。
現在は心臓マッサージのデモンストレーションを術者はお人形の左側に位置
して行うように統一して行っていることが違うといってきました。
右側でなくてはできない、左側でなくてはできないではなくて、どちらの側からも
できるようにするのです。
AEDを持ってきた人は反対側に入るので心臓マッサージは反対側から行うことになるのですよ。
というとわかっていただけました。
反対側に人が入れないような場所なら臨機応変で入れる側から心臓マッサージしてくださいね。
と話します。
5年ごとに見直しがされてより蘇生率の高い方法に代わっていきますので指導員でさえ
普及させるためには研修が課せられるのです。
私が大学生の時はプールサイドでニールセン法という人工呼吸が主流でした。うつぶせの傷病者に
ワンツースリーワンツーと掛け声をかけて腕を引き上げて胸郭を広げさせて背中を押すのです。
(本当に嫌だった。)
マウスツウマウスが入りお人形に肺が入り吹込みの練習をするようになった。
一般に普及するのは難しいこととされていた心臓マッサージが心臓圧迫が記録用紙に出されるようになり
吹き込んだ量や圧迫の力加減がチャート紙に記録されて出てくるのです。時間も重要です。
規定の時間内に圧迫回数が入っていることなど、細かくチェックしてきたのです。
今はコロナ禍もあってデモンストレーションでは吹込みはしてませんが実際にはしてもらうようになります。
このように私の短い人生の中でも蘇生法の技術は蘇生率の高い方法へどんどん変わってきました。
日本では心臓マッサージのライセンスが取れなくて米国赤十字で学んできて先行していた。
救急法の指導員も蘇生法のライセンスを取ってないと指導に入れませんでした。
現在の指導員は昔に比べたら深みがないと思ってしまうのはこういう指導を叩きこまれた
年代物の指導員だからなのです。
70歳になり指導員歴45年ともなり赤十字からは名誉指導員の称号をもらっています。
名誉指導員ができたときには指導から外れてもらう姥捨て山のような気がしていました。
70歳の定年制のようなものと思ってみていました。
仕事を持ちながらのボランティァ活動なのでリタイアした人たちが70歳を過ぎても
沢山指導に入っています。
年齢は上の先輩指導員はたくさんいますが私の携わった年月の指導員は数少ないのです。
指導に入ると受講者の方からエネルギーをもらえるようです。
でも体は疲れます。(笑)
体調の悪い先生方が多くて7割ぐらいの出席率でした。
明日はプール掃除をしてプール指導が始まるそうです。
心臓マッサージが中心です。
隣の市ですが車で30分足らずで到着。
あってはならない事故ですが有事への対応は正しい技術が必要です。
1年に1回でも研修を受けておくのと受けないのでは違う。
こだわりの強い女の先生がいました。
過去に受けた蘇生法は左手で鼻をつまみ右手で下顎挙上をしたが
今日は違うのでやり方が違うのではありませんかと不機嫌そうに
やってきた。
最初は何を言おうとしているのかわかりませんでした。
現在は心臓マッサージのデモンストレーションを術者はお人形の左側に位置
して行うように統一して行っていることが違うといってきました。
右側でなくてはできない、左側でなくてはできないではなくて、どちらの側からも
できるようにするのです。
AEDを持ってきた人は反対側に入るので心臓マッサージは反対側から行うことになるのですよ。
というとわかっていただけました。
反対側に人が入れないような場所なら臨機応変で入れる側から心臓マッサージしてくださいね。
と話します。
5年ごとに見直しがされてより蘇生率の高い方法に代わっていきますので指導員でさえ
普及させるためには研修が課せられるのです。
私が大学生の時はプールサイドでニールセン法という人工呼吸が主流でした。うつぶせの傷病者に
ワンツースリーワンツーと掛け声をかけて腕を引き上げて胸郭を広げさせて背中を押すのです。
(本当に嫌だった。)
マウスツウマウスが入りお人形に肺が入り吹込みの練習をするようになった。
一般に普及するのは難しいこととされていた心臓マッサージが心臓圧迫が記録用紙に出されるようになり
吹き込んだ量や圧迫の力加減がチャート紙に記録されて出てくるのです。時間も重要です。
規定の時間内に圧迫回数が入っていることなど、細かくチェックしてきたのです。
今はコロナ禍もあってデモンストレーションでは吹込みはしてませんが実際にはしてもらうようになります。
このように私の短い人生の中でも蘇生法の技術は蘇生率の高い方法へどんどん変わってきました。
日本では心臓マッサージのライセンスが取れなくて米国赤十字で学んできて先行していた。
救急法の指導員も蘇生法のライセンスを取ってないと指導に入れませんでした。
現在の指導員は昔に比べたら深みがないと思ってしまうのはこういう指導を叩きこまれた
年代物の指導員だからなのです。
70歳になり指導員歴45年ともなり赤十字からは名誉指導員の称号をもらっています。
名誉指導員ができたときには指導から外れてもらう姥捨て山のような気がしていました。
70歳の定年制のようなものと思ってみていました。
仕事を持ちながらのボランティァ活動なのでリタイアした人たちが70歳を過ぎても
沢山指導に入っています。
年齢は上の先輩指導員はたくさんいますが私の携わった年月の指導員は数少ないのです。
指導に入ると受講者の方からエネルギーをもらえるようです。
でも体は疲れます。(笑)