<今から410年前、天正19(1591)年、天下統一を成し遂げた豊臣秀吉によって、
突然周囲に城壁が構築され、京都はほぼ完全に封鎖された。これを一般に「御土居
(おどい)」と呼んでいる。
御土居は土を固めた城壁であった。これを土塁(土居)という。この城壁には堀
が併置されていて、その規模は土塁の幅が20mのところでは堀の幅も同じく20mもあ
った。だから合わせて40mもの幅のものが京都の周りを囲っていたということになる。
城壁と堀とがセットで京都を囲っていたのだから、実態に即して定着した「御土
居」という語に堀を付し、「御土居堀」と呼ぶことにしよう。>
以上は2001年に京都新聞に連載された「御土居堀ものがたり」の抜粋ですが、京
都の周りに堀があった!なんて・・・。
俄然、興味がわいてきました。
この実地講座は既に何回も開講されており、「御土居」を巡って2周目でしたが、
今回は蘆山寺付近なので早速参加してきました。
蘆山寺の「御土居」は現存する珍しいもので、国の史蹟となっていました。こん
な身近なところに、山の中に入り込んだような森があるなんて、驚きです。蘆山寺
の墓地の1画にあり、すぐ裏は元予備校、南には府立医大の図書館。河原町通をま
たいで府立医大病院、鴨川へとつづきます。鴨川が今よりずっと広く、この御土居
まで水が来ていたそうです。鴨川が「堀」の役目をしていたことになります。
入口の石碑
御土居全景(手前は蘆山寺の墓地)
こちらは府立医大図書館の河原町通にある石標。
「お土居址」と表示された現在地は,本物とは少しずれている。
突然周囲に城壁が構築され、京都はほぼ完全に封鎖された。これを一般に「御土居
(おどい)」と呼んでいる。
御土居は土を固めた城壁であった。これを土塁(土居)という。この城壁には堀
が併置されていて、その規模は土塁の幅が20mのところでは堀の幅も同じく20mもあ
った。だから合わせて40mもの幅のものが京都の周りを囲っていたということになる。
城壁と堀とがセットで京都を囲っていたのだから、実態に即して定着した「御土
居」という語に堀を付し、「御土居堀」と呼ぶことにしよう。>
以上は2001年に京都新聞に連載された「御土居堀ものがたり」の抜粋ですが、京
都の周りに堀があった!なんて・・・。
俄然、興味がわいてきました。
この実地講座は既に何回も開講されており、「御土居」を巡って2周目でしたが、
今回は蘆山寺付近なので早速参加してきました。
蘆山寺の「御土居」は現存する珍しいもので、国の史蹟となっていました。こん
な身近なところに、山の中に入り込んだような森があるなんて、驚きです。蘆山寺
の墓地の1画にあり、すぐ裏は元予備校、南には府立医大の図書館。河原町通をま
たいで府立医大病院、鴨川へとつづきます。鴨川が今よりずっと広く、この御土居
まで水が来ていたそうです。鴨川が「堀」の役目をしていたことになります。
入口の石碑
御土居全景(手前は蘆山寺の墓地)
こちらは府立医大図書館の河原町通にある石標。
「お土居址」と表示された現在地は,本物とは少しずれている。