和楽の会民謡ファンの皆様こんにちは 実は昨日、書きたかった内容を今日も書かせていただきます。 昔と現代との差が生んだものとは一体何なのか ただこれは私一人の考え方ですので興味がある方だけ読んでもらえればと思います。
私が思うのに現代の子供達は昔の時代の子供達に比べて・・ あまり幸せそうに見えないのです なぜでしょう 現代では食料はなんでも有り余り(好きなものがいつでも家にある状態)電化製品も優れていて(自動皿洗い機から全自動洗濯乾燥機まである)更に家の室内で遊ぶのに困らないように一人一人に専用のゲーム機まであるという大変裕福な時代なのに・・ 私が思うに床屋で最近の子供達と接していて感じることなのですが・・ 最近の子供達には笑顔があまりないんです(表情が豊ではないのです) 感動をしない体質といいますか・・ 私はそのことに少し心を痛めているのです なぜこの国、日本で戦争もなく裕福で平和なはずの日本なのに・・ 子供達に活き活きさや笑顔などが現われないのでしょうか? もちろん全員がそうだとは私も思ってはいないのでありますが・・
私なりの分析では、昔の時代では食べ物もろくにありつけない厳しい時代があって とっても心がハングリーで何か食べるものがないだろうかと 母の話では食べられる草でもないだろうかと必死で探しては、それをてんぷらにして食べたりと工夫をして少しでもお腹の中を満たそうと努力をしたそうです(それが当たり前の時代だった)。 もちろん、私も43歳ですので・・ 有難いことに生まれた時から食に不住したことなどございませんでした(有難いことです) だから正直、食べている野菜や肉、米などに対しての感謝の気持ちは・・ 当たり前になってしまっておりまして・・ それらを作るのにいったいどれだけ大変な苦労が裏には隠されているのかなどあまり考えずに毎日、食べているのでございます。 私の子供の頃には、食べるもので困るほどではございませんでしたが・・ 家の冷蔵庫の中にはジュースも置いてなく お菓子も置いてはなかった ですので友人の家に遊びにゆくと・・ その友人のお母さんがジュースとお菓子を出してくれたりすると もうそれが嬉しくてたまらなくって満面の笑顔が溢れていたのです
つまり、たったそれだけの人のやさしさで幸せを感じられていたということです(幸せを感じるレベルが低かったのでしょう) 私のレベルでは、お菓子とジュースで 本当に心が満たされていたのです でも現代では何か違うように感じるのです。 時代が変わったのだから・・ 当たり前だろって言われればそうでしょう そうではなくって・・ なんでも便利なモノがあふれて もっともっと昔より幸せになれる条件が揃っているはずの現代に・・ なぜ人の笑顔が減ってしまったのか そこが私の考える一番の問題点なのでございます。 まず徹底的に昔の良いところと悪いところを書き出してみましょう
昔の良いところ 食べ物や物資が少なかったために人は苦労を強いられたが、その反面に苦労を重ねた痛みが = 逆に人に対してのやさしさを生んだ → それらが人と人を結びつけて連帯性を生み → 日本発展への大きな力となった = 昔の人は連帯感や忍耐があったため(苦しかった時代が己を鍛えたため)、人を扱うことも優れ、又、扱われることにも優れていた。
昔の悪いところ 食べ物が少なかったので生活が厳しく苦労が多かった。 電化製品が発達しておらず主婦は特に大変だった。 なんでも手間をかけなければならなかったし大変苦労されたと思います。 (母親が苦労する姿を子供たちが見ることにより親を尊敬することに繋がってゆく = 家族教育の望ましい形があった)
現代の良いところ 食べ物はなんでもあるし家の中にもお菓子ジュースお酒いつでも楽しめる。 携帯電話の発達、子供達でも持っている家庭が多い。 ゲームの発達、パソコンの発達、スマートフォンの発達。 主婦にとっても冷凍食品、コンビにのおかずのバリエーションの多さ、食事が簡単に出来る工夫がとても発達し楽になった。 洗濯乾燥機も一家に一台の時代になりつつある。 皿洗い機もあれば更に楽。 自動車もみーんな持っている。 手紙を書かなくてもメールや電話でなんでも済ませることが可能になった。 時代が進んですべてが簡素化、便利になった。
現代の悪いところ 食べ物が簡素化になった分、冷凍食品やインスタントに頼りがちになってしまい栄養のバランスが崩れてきている点がある。 お菓子やジュースが家の中に常にあることで食事の前に間食を行うことにより、夕食をあまり食べなくなる分、しっかりとした丈夫な体が作られにくくなっている。 ゲームが進化しすぎて友人と外で遊ぶことが減ってしまっている → 人間関係が育たない → 大人になっても会社でうまく対応できにくくなってしまう。 子供を勉強の競争社会へと駆り立ててしまうケースが目立っている。
こういうふうに私が簡単にまとめて考えてみますと人の幸せっていうのは決して裕福だからとか時代が良いからだとかはあまり関係がないように思われます。 昔といっても戦争の時代は全く別でありますが、時代が進み・・ 楽になればなるほど人はその便利さに浸かってしまい・・ その間になんでも当たり前になり感謝の気持ちを忘れてしまってゆくのだと思います。 時代が進化し便利になればなるほどに人間は工夫しようとする能力の進化が絶たれてしまって あげく物事を考える能力は減ってしまうのです。 それらが現代の子供達の能力の向上を妨げてしまっている可能性があるのかもしれません。(私だけの推論です)
私の亡くなった父は、思い出してみますと・・ 家の中で何かが故障を起こしたとしても・・ なんとか自分で治しておりました。 けれども私にはできません 父いわく・・ 「俺らの時代には、プロがモノを修理する時には興味を持って、じっと観ていたのだ」とよく言っていたのです。 なぜじっと観ていたのか それは、どうやって治すのか そこに興味が沸いていたからです。 興味が沸くってのは、昔の時代特有の理由があったのだと推測されます。 物が少なく、乏しく、それでも昔の多くの人にはいつかは裕福になりたいとか 夢を持っていたのです。 そのバイタリティーがモノに対しての執着力を生んでいたのだと私は考えるのです。 バイタリティーは、苦労を重ねた人でないとなかなか生まれないものだと僕は思う。 つまり、現代のなんでもあるのが当たり前の世の中でバイタリティーを備えた子供達を育るってことは難しいと考えます。 何かが故障をすればすぐにプロを手配し短時間で治してしまいます(お金を払い短時間で解決させます=解決するプロセスに家族は余り興味を持たない方が多いように思います) 昔の人はお金があまりなかったために自分達でなんとか工夫をし治そうと最大限の努力をされていたのではないでしょうか その努力の中から粘りと発展した工夫力が生まれ・・ それらが重なって日本の大きな原動力と変わっていったのだと思います。
私が考える理想の子供教育っていうのは 1.勉強ばかりに走らせない(勉強ばかりに時間を費やすと人間関係能力が下がってしまいますので注意が必要と考えます) 2.外で友人と遊ばせてたくましく人間関係力をつけさせる(ゲームは家の中だけで) 3.休日には親と色々なところに出掛けて色々なものを観て楽しむ(音楽を聴ける場所に行く、サイクリング、ハイキング、山登り、キャンプ、海で泳ぐ、野球やサッカーなどのスポーツを一緒に行うなど) 4.学校のクラブに参加させる(団体行動と礼儀を学びます) 5.とにかくさまざまな自然と触れ合える場に出掛ける(花、木、草原、川、鳥、昆虫、山、空、雲、景色の良いところ、空気の美味しいところ) 6.子供と一緒に料理を作って一緒に食べる(食べることの大切さと、それらが健康に大きく結びつくことを学ばせる)
と理想を書くのは簡単ですね 私には残念ながら一切できなかった それが私の実力です カッコイイことを書いてすみません だけれども・・ 自然に少しでも向き合って 民謡や料理にも興味を持てるような そんな子供達がこの国、日本に一人でも増えることを天に向かって祈りたいと思い書きました 子供を本当に良い大人にするためには勉強では決してなく、周りの人間と そして自然なのです 自然と共にふれあいながらすくすくと育った子供さんの未来は明るいと私は考えるのでございます そこに少しでも民謡の世界をはせてくださると更に私は嬉しいのございます ご拝読、誠にありがとうございました
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私が思うのに現代の子供達は昔の時代の子供達に比べて・・ あまり幸せそうに見えないのです なぜでしょう 現代では食料はなんでも有り余り(好きなものがいつでも家にある状態)電化製品も優れていて(自動皿洗い機から全自動洗濯乾燥機まである)更に家の室内で遊ぶのに困らないように一人一人に専用のゲーム機まであるという大変裕福な時代なのに・・ 私が思うに床屋で最近の子供達と接していて感じることなのですが・・ 最近の子供達には笑顔があまりないんです(表情が豊ではないのです) 感動をしない体質といいますか・・ 私はそのことに少し心を痛めているのです なぜこの国、日本で戦争もなく裕福で平和なはずの日本なのに・・ 子供達に活き活きさや笑顔などが現われないのでしょうか? もちろん全員がそうだとは私も思ってはいないのでありますが・・
私なりの分析では、昔の時代では食べ物もろくにありつけない厳しい時代があって とっても心がハングリーで何か食べるものがないだろうかと 母の話では食べられる草でもないだろうかと必死で探しては、それをてんぷらにして食べたりと工夫をして少しでもお腹の中を満たそうと努力をしたそうです(それが当たり前の時代だった)。 もちろん、私も43歳ですので・・ 有難いことに生まれた時から食に不住したことなどございませんでした(有難いことです) だから正直、食べている野菜や肉、米などに対しての感謝の気持ちは・・ 当たり前になってしまっておりまして・・ それらを作るのにいったいどれだけ大変な苦労が裏には隠されているのかなどあまり考えずに毎日、食べているのでございます。 私の子供の頃には、食べるもので困るほどではございませんでしたが・・ 家の冷蔵庫の中にはジュースも置いてなく お菓子も置いてはなかった ですので友人の家に遊びにゆくと・・ その友人のお母さんがジュースとお菓子を出してくれたりすると もうそれが嬉しくてたまらなくって満面の笑顔が溢れていたのです
つまり、たったそれだけの人のやさしさで幸せを感じられていたということです(幸せを感じるレベルが低かったのでしょう) 私のレベルでは、お菓子とジュースで 本当に心が満たされていたのです でも現代では何か違うように感じるのです。 時代が変わったのだから・・ 当たり前だろって言われればそうでしょう そうではなくって・・ なんでも便利なモノがあふれて もっともっと昔より幸せになれる条件が揃っているはずの現代に・・ なぜ人の笑顔が減ってしまったのか そこが私の考える一番の問題点なのでございます。 まず徹底的に昔の良いところと悪いところを書き出してみましょう
昔の良いところ 食べ物や物資が少なかったために人は苦労を強いられたが、その反面に苦労を重ねた痛みが = 逆に人に対してのやさしさを生んだ → それらが人と人を結びつけて連帯性を生み → 日本発展への大きな力となった = 昔の人は連帯感や忍耐があったため(苦しかった時代が己を鍛えたため)、人を扱うことも優れ、又、扱われることにも優れていた。
昔の悪いところ 食べ物が少なかったので生活が厳しく苦労が多かった。 電化製品が発達しておらず主婦は特に大変だった。 なんでも手間をかけなければならなかったし大変苦労されたと思います。 (母親が苦労する姿を子供たちが見ることにより親を尊敬することに繋がってゆく = 家族教育の望ましい形があった)
現代の良いところ 食べ物はなんでもあるし家の中にもお菓子ジュースお酒いつでも楽しめる。 携帯電話の発達、子供達でも持っている家庭が多い。 ゲームの発達、パソコンの発達、スマートフォンの発達。 主婦にとっても冷凍食品、コンビにのおかずのバリエーションの多さ、食事が簡単に出来る工夫がとても発達し楽になった。 洗濯乾燥機も一家に一台の時代になりつつある。 皿洗い機もあれば更に楽。 自動車もみーんな持っている。 手紙を書かなくてもメールや電話でなんでも済ませることが可能になった。 時代が進んですべてが簡素化、便利になった。
現代の悪いところ 食べ物が簡素化になった分、冷凍食品やインスタントに頼りがちになってしまい栄養のバランスが崩れてきている点がある。 お菓子やジュースが家の中に常にあることで食事の前に間食を行うことにより、夕食をあまり食べなくなる分、しっかりとした丈夫な体が作られにくくなっている。 ゲームが進化しすぎて友人と外で遊ぶことが減ってしまっている → 人間関係が育たない → 大人になっても会社でうまく対応できにくくなってしまう。 子供を勉強の競争社会へと駆り立ててしまうケースが目立っている。
こういうふうに私が簡単にまとめて考えてみますと人の幸せっていうのは決して裕福だからとか時代が良いからだとかはあまり関係がないように思われます。 昔といっても戦争の時代は全く別でありますが、時代が進み・・ 楽になればなるほど人はその便利さに浸かってしまい・・ その間になんでも当たり前になり感謝の気持ちを忘れてしまってゆくのだと思います。 時代が進化し便利になればなるほどに人間は工夫しようとする能力の進化が絶たれてしまって あげく物事を考える能力は減ってしまうのです。 それらが現代の子供達の能力の向上を妨げてしまっている可能性があるのかもしれません。(私だけの推論です)
私の亡くなった父は、思い出してみますと・・ 家の中で何かが故障を起こしたとしても・・ なんとか自分で治しておりました。 けれども私にはできません 父いわく・・ 「俺らの時代には、プロがモノを修理する時には興味を持って、じっと観ていたのだ」とよく言っていたのです。 なぜじっと観ていたのか それは、どうやって治すのか そこに興味が沸いていたからです。 興味が沸くってのは、昔の時代特有の理由があったのだと推測されます。 物が少なく、乏しく、それでも昔の多くの人にはいつかは裕福になりたいとか 夢を持っていたのです。 そのバイタリティーがモノに対しての執着力を生んでいたのだと私は考えるのです。 バイタリティーは、苦労を重ねた人でないとなかなか生まれないものだと僕は思う。 つまり、現代のなんでもあるのが当たり前の世の中でバイタリティーを備えた子供達を育るってことは難しいと考えます。 何かが故障をすればすぐにプロを手配し短時間で治してしまいます(お金を払い短時間で解決させます=解決するプロセスに家族は余り興味を持たない方が多いように思います) 昔の人はお金があまりなかったために自分達でなんとか工夫をし治そうと最大限の努力をされていたのではないでしょうか その努力の中から粘りと発展した工夫力が生まれ・・ それらが重なって日本の大きな原動力と変わっていったのだと思います。
私が考える理想の子供教育っていうのは 1.勉強ばかりに走らせない(勉強ばかりに時間を費やすと人間関係能力が下がってしまいますので注意が必要と考えます) 2.外で友人と遊ばせてたくましく人間関係力をつけさせる(ゲームは家の中だけで) 3.休日には親と色々なところに出掛けて色々なものを観て楽しむ(音楽を聴ける場所に行く、サイクリング、ハイキング、山登り、キャンプ、海で泳ぐ、野球やサッカーなどのスポーツを一緒に行うなど) 4.学校のクラブに参加させる(団体行動と礼儀を学びます) 5.とにかくさまざまな自然と触れ合える場に出掛ける(花、木、草原、川、鳥、昆虫、山、空、雲、景色の良いところ、空気の美味しいところ) 6.子供と一緒に料理を作って一緒に食べる(食べることの大切さと、それらが健康に大きく結びつくことを学ばせる)
と理想を書くのは簡単ですね 私には残念ながら一切できなかった それが私の実力です カッコイイことを書いてすみません だけれども・・ 自然に少しでも向き合って 民謡や料理にも興味を持てるような そんな子供達がこの国、日本に一人でも増えることを天に向かって祈りたいと思い書きました 子供を本当に良い大人にするためには勉強では決してなく、周りの人間と そして自然なのです 自然と共にふれあいながらすくすくと育った子供さんの未来は明るいと私は考えるのでございます そこに少しでも民謡の世界をはせてくださると更に私は嬉しいのございます ご拝読、誠にありがとうございました
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絵文字は互換性がないのでパソコンの機種及び携帯の機種によって空白になります・・・汗・・・絵文字を控え目にとは言いませんが^^これから読者になりますので頑張って下さい!ではお体ご自愛下さい^^