この尺八は私が持っている尺八の中で最も重く長く、そして固い。 まるで意地を持っているかのように音がとても出辛い。 私はこの尺八で二人の大会伴奏を引き受ける予定となっている。
当然、自分自身の唄での出場よりも緊張が高い。 尺八というものは、精神がとても影響する和楽器で緊張によって唇が硬くなってしまうだけで、いつもの音は出せなくなってしまうからである。 この楽器は実に不思議で、毎日、吹き込んでやると、少しずつではあるのだが音が前日よりは出やすく成長している。
つまり、この音の大変出にくい尺八をよく出る尺八に変えてやることが出来るのは主である私次第なのである。
頑固な4本木官尺八、今は「お前なんぞにわしゃ無理だろ」と笑われているかの様である。 それでも私は諦めない。 諦めるわけにはいかない。
田村さんがたまに床屋に寄ってくだされば練習の為に唄付けを御願いさせていただいている。 自分一人で自由に吹ける場合には小さな音でも耳に入ってくるので吹きやすい。 だが唄い手が入ると私の技量の小さな音は欠き消され、自分が正しい音程を保てているのかがわからなくなってしまう為に実に不安定となるのである。
私は習わずなんとかここまで歩んできたのだが、最近、尺八という和楽器の奥深さに脱帽している。 この楽器は本当に奥が深くて素晴らしい。
私のつたない伴奏に任せてくださる心広い民謡人には、これで一生の借りが出来る。 だからこそ、その嬉しい借りは舞台上で、この先、ゆっくりと返してゆけるような奏者になってゆきたい。
私は今日も4本木官に息を吹き込んでは対話する。私:この口の形でいいかい? 「もっと背中の角度を真っ直ぐにしなさいよ」(尺八) 私は常に鏡を見ながら自分の吹いている姿勢や口の形などを確認している。
口の中の舌の形やほっぺたの裏側の筋肉の形も筋の細い息を出すために形を何通りをも試しては作っている。
自分にとってどんな音が心地が良いのか!? 実はこのテーマは、それぞれの民謡人にとって違うそうである。
私の目指す音色。 私の心を癒す音。 それを目指して日々、この頑固な尺八と格闘している。 じろうさんにいつの日か驚いてもらえるほどの音を出したいと夢を見ている。
実際、彼が三味線を初めてまだ2ヶ月の頃を私は見た事があるのだが、素晴らしい将来性の感じられる良い音色を出されていた。
私だって出来るはずだ。和楽器は、どれだけ愛情を込め使い込み接してゆけるかで音色も決まってくると私は信じている。
頑張った分だけ楽器も同調してくれ互いに成長を遂げるのだと感じている。 三味線には三味線の楽しさがあり、尺八には尺八でしか得ることの出来ない楽しさと独特な世界がある。
私は和楽の会主として、どんな和楽器のパートでも受けれるようになっておきたい。 春のお祝いコンサートでじろうさんや夢先生が足りないパートに回り合わせてくださり見事に成功に導いてくださった記録は輝かしい。
私が目指す民謡人とは、そのようなオールラウンダーなのである。 そしてもう一度、人生を欠けた大舞台を今度は母の為に開くことが夢である。
私は母に素晴らしい民謡を聴かせ最後に花束を自ら渡す。 そこでもし母の目に涙が流れれば、そのコンサートは大成功となるのだ。
え!? 笑ったら?? 成功でしょう~ 勿論、イチゴホールケーキも裏側で手作りしますので、司会は、夏生さんに御願いたしますー
当然、自分自身の唄での出場よりも緊張が高い。 尺八というものは、精神がとても影響する和楽器で緊張によって唇が硬くなってしまうだけで、いつもの音は出せなくなってしまうからである。 この楽器は実に不思議で、毎日、吹き込んでやると、少しずつではあるのだが音が前日よりは出やすく成長している。
つまり、この音の大変出にくい尺八をよく出る尺八に変えてやることが出来るのは主である私次第なのである。
頑固な4本木官尺八、今は「お前なんぞにわしゃ無理だろ」と笑われているかの様である。 それでも私は諦めない。 諦めるわけにはいかない。
田村さんがたまに床屋に寄ってくだされば練習の為に唄付けを御願いさせていただいている。 自分一人で自由に吹ける場合には小さな音でも耳に入ってくるので吹きやすい。 だが唄い手が入ると私の技量の小さな音は欠き消され、自分が正しい音程を保てているのかがわからなくなってしまう為に実に不安定となるのである。
私は習わずなんとかここまで歩んできたのだが、最近、尺八という和楽器の奥深さに脱帽している。 この楽器は本当に奥が深くて素晴らしい。
私のつたない伴奏に任せてくださる心広い民謡人には、これで一生の借りが出来る。 だからこそ、その嬉しい借りは舞台上で、この先、ゆっくりと返してゆけるような奏者になってゆきたい。
私は今日も4本木官に息を吹き込んでは対話する。私:この口の形でいいかい? 「もっと背中の角度を真っ直ぐにしなさいよ」(尺八) 私は常に鏡を見ながら自分の吹いている姿勢や口の形などを確認している。
口の中の舌の形やほっぺたの裏側の筋肉の形も筋の細い息を出すために形を何通りをも試しては作っている。
自分にとってどんな音が心地が良いのか!? 実はこのテーマは、それぞれの民謡人にとって違うそうである。
私の目指す音色。 私の心を癒す音。 それを目指して日々、この頑固な尺八と格闘している。 じろうさんにいつの日か驚いてもらえるほどの音を出したいと夢を見ている。
実際、彼が三味線を初めてまだ2ヶ月の頃を私は見た事があるのだが、素晴らしい将来性の感じられる良い音色を出されていた。
私だって出来るはずだ。和楽器は、どれだけ愛情を込め使い込み接してゆけるかで音色も決まってくると私は信じている。
頑張った分だけ楽器も同調してくれ互いに成長を遂げるのだと感じている。 三味線には三味線の楽しさがあり、尺八には尺八でしか得ることの出来ない楽しさと独特な世界がある。
私は和楽の会主として、どんな和楽器のパートでも受けれるようになっておきたい。 春のお祝いコンサートでじろうさんや夢先生が足りないパートに回り合わせてくださり見事に成功に導いてくださった記録は輝かしい。
私が目指す民謡人とは、そのようなオールラウンダーなのである。 そしてもう一度、人生を欠けた大舞台を今度は母の為に開くことが夢である。
私は母に素晴らしい民謡を聴かせ最後に花束を自ら渡す。 そこでもし母の目に涙が流れれば、そのコンサートは大成功となるのだ。
え!? 笑ったら?? 成功でしょう~ 勿論、イチゴホールケーキも裏側で手作りしますので、司会は、夏生さんに御願いたしますー