子供の頃から“縁起”にまつわる言い伝え(迷信、とも言う)はよく聞かされた
今でも守っているものもある 夜に爪を切らない、とか
三つ子の魂百まで 生活習慣から人生全体にいたるまで左右するのは「教育」だとつくづく思う
よって暦の六曜(仏滅とか大安とか)などと言うものも、ちょう気になってしまう
新しい靴は右足からスタートとか 内心バカバカしいと思わないでもないが たとえば…
出かける前は水と火のまわりを掃除する →ある種の神頼み的なモノ
洗濯物を畳むが仕舞わないなど「やり残し」を置いて行く →帰って来てやるため
鞄の中身を変えない →平常心が保てる、ような気がする
時計やネックレスなど身に付けるアイテムを変えない →落ち着く、からだろうか
こうして思い出してみると科学とデジタルが幅を利かせる現代にあって自然物を神と崇めて踊りまくる原人のような気がしてくる
でもこうして落ち着きを得られるのであれば やるに越したことはない
外に出ればいろんな障害が待ち受けている
ちょっとしたミスが命取りになることや 他人様に迷惑かけることがあるやもしれない
仕事でも遊びでも一通りの目的を完了させ 家に帰ってソファーに腰を下ろすことができるってことが一日の終わり
本当の最終目的のような気がする