かつて三島切腹の事件とそれに関連する村上一郎の短歌について述べ、それらしき短歌を記憶で記した:「柄黒き刃を背なに立たしめて花繁き野に死ぬべかりしを」。正確な形は宿題として残した。今回はその正確な形を知ることが出来たのでそれについて報告する。
問題の歌はなにかの新聞に掲載されただけかなと思ったが、歌集「撃攘」(1971年)に収録されていた。近畿大学の図書館に寄贈されていたのだ。そこに類歌も発見し再確認に行こうとしたが新型コロナに阻まれて行きにくくなった。いまリーズナブルな価格で古書を手にし、しっかり確認できた。この歌集、おそらくほぼ作歌の順に並べられているから、三島の自決よりかなり前の作品で、「第三の章 変革眷属恋の歌」にある。
柄黒き刃を背に刺さしめて秋草の野に死ぬべかりしを
(るび:柄=つか、背=せな)
うろ覚えはほぼ一致し、2箇所誤っていた。「立たしめて」は「刺さしめて」より構図となり、本歌はより生理的である。「花繁き野」は、俳句の季語「花野」から考え、夏の暑さが緩んでいろいろな草花が一斉に開花する野となるだろう。派手ではないが「秋草の野」より色彩が入ってしまう。「繁く」無い方がいいだろう。やはり映画「灰とダイアモンド」のマーチェックの最後を想起してしまう。
同じ第三の章の終わりの方に
水漬く屍と死ぬべかりしを生きつぎて穢汚の裡に在るが宜しも
がある。こちらはむろんあのなんとも重い軍歌・鎮魂歌「水漬く屍」が鳴り響いている。この短歌について、かって次のように書いた。
(「柄黒き」にくらべて)沈み屈折した思いが現れている。現実を離れ耽美性に終止してしまうことを「宜し」とせず改作したものではないだろうか。
「水漬く」の方が後ろに並べられているので「柄黒き」より後で、それを意識しつつ作られたものと推察する。しかし歌集では続いて「歩を移せば、松本虎雄訓導の碑あり、太宰治亦ここに逝く。」の詞書をもつ次の二首がある。(訓導=教諭)
浄水に水奔りたり身を殺し仁を為せりといしぶみの謂う
かの渦に君死にたるか六月の虚空晴れゐたり 鯉群れゐたり
(六月=りくげつ、虚空=そら)
第1首の松本とは学童を引率中一人が溺れかけたのを助けようとして殉職した教諭である。第2首が太宰であろう。この川は玉川上水で、僕も子供の頃近くに3年ほどいたが、やはり「人食い川」と呼んで恐れていた。「水漬く屍」を三島の事件の余韻を引くと見るとき、三件の死はそれぞれ時代を揺さぶった事件であろう。しかしいま見ると、あとの2首は「水漬く屍」の歌にのこる沈鬱さを払拭してしまう。並べるべきではないと思うが、村上は作歌の順にも正直なのだろう。
1971年の三島の事件は「第四の章 怪力乱神の歌」に収められている。特に次の歌は明示的である。
霜月の蒼穹晴れゐたり悲しくて三島・森田と我ら呼ぶなり
(蒼穹=そら)
宿題はこれだけにしておこう。2020年2月に大阪で今野和代「悪い兄さん」出版記念会があった。そこの2次会で詩人・評論家の北川透氏と同席となった。最も論理的な詩論を書かれるので読んだことがある。いくつか質問をし、面白い話を伺ったが、記憶が悪いのでほとんど忘れてしまった。覚えているのは村上一郎について聞いたときの答えである:
北川氏の最初の大きな講演は早稲田大学で中原中也についてであった。そのとき一番前で聞いていたのが村上一郎であった。その講演に関係する内容を本にするときに助力を頂いたと言う。
僕の好みのものと、村上の輪郭を表す歌をいくつか引いておく。
たまきはる曠野のいのち夏草をおほひて遠く果てきいくさは
甲板に片手落としてさがしゆく白手袋の夢よ醒むるな
われとわが頭を撃てば血走りにサルビアの花咲くにあらずや
ただれ病む党風何ぞ秋たけてしぐるる日々をわがむせぶなる
(意見書提出、上達せられず。)
安全装置といふ語の悪寒、けふよりは、冷たき手もてひとを握らむ
(頭=こうべ、安全装置=スタビライズ)
念五昼、めしは食ひしか食はしめしか幕僚に問ふりんりんと問ふ
昏々とこの世を眠れわかくさのつまてふものはあはれなるかな
「ただれやむ党風」の歌は「柄黒き」の直前に置かれている。
「撃攘」のあとがきに、10歳のとき母に作歌を命じられて苦労して1首作ったが「一郎、汝、詩心ヲ解セズ。コレ己レガ躾ノ結果ナルカ――嗚呼」という旨の記述がある。戦争、共産党入党、党批判、「試行」への執筆など、撃攘と激情の人生であった
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