土塊も襤褸も空へ昇り行く:北村虻曳

随想・定型短詩(短歌・俳句・川柳)・写真
2013/11/11開設

マルセイユの海

2015-04-18 | フォト・エッセイ
>トップの画像はマルセイユ沖のフリウル島からの眺め。ときどき雨が来る日で、地中海では期待されない暗い午前であった。手前の家は、左方の屋根の破損から察して放置された家屋であろう。しかし人気のない風景の中で収まりの良い家であった。

マルセイユの中心はサン・シャルル国鉄駅である。変な彫刻を見ながら大きな階段を降りて旧港まで1.4km程か。googlemap ではなぜか 2.1km を超えるが。最短で着いたところがベルギー埠頭である。午前中は魚や貝を売る行商が露店を出す。魚の面は日本で見慣れたものもある。旧港の湾の左右のサイドにブイヤベース屋さんがたくさんある。一度試すと小魚・子蟹がたくさん使われていて磯臭く、西洋で食った魚料理では一番うまかった。ブイヤベース屋さんはここで魚介を買うのだろうか。今回訪れた時は参加する研究会のオーガナイザーたちが特異点の展示を行っていた。魚臭い埠頭と特異点の取り合わせは愉快であった。上の写真には雨に濡れたせいで上下対称性が生じている。"face-to-face" ということか。

湾の左方の隅に If島 と Frioul 島へ順に回る船が出ている。両島へ行くとして往復 2000 円ほど。前回来た時はひどいミストラルが吹いていてこの船は欠航していた。どこかに書いたが、紙の地図を開くと一瞬で真っ二つになった。空は快晴でゴミは完全に吹き飛ばされて街はとても綺麗、と言った感じである。今回、港では半端な風だったので街にはごみが結構あった。(このブログの別項で書いたように、リュミニーの山ではひどい風だった。)

湾の両岸は小さな船で埋められている。その間を抜けてイフ島に向かう。左方にマルセイユのランドマーク、Notre dame de la Garde 聖母子像が見える。イフ島見物にはまた入場料、500 円ほどいる。ほんとに小さな島だが軍事的には重要で後には牢獄とされたそうである。そしてなんとフランス革命時のミラボーやマルキ・ド・サドが閉じ込められたという(これは誤りのようだ。下のコメントを見てください)。アレクサンドル・デュマは「モンテ・クリスト伯」(エドモン・ダンテス)の舞台をここに定めた。壁にデュマの肖像が貼られている。イフ城外観。城内の井戸?なんかかわいい、よく見ると物悲しげな表情の塔があった。


次はフリウル島である。イフ島ほど宣伝されていないし、期待していなかったが、ラトノー島 ile Ratnneau という部分を歩くとこれが面白い。以前は小さな列車があったとネットにあるが、これは今は無く、限られた時間をひたすら歩く。船着場の近くには巨大な岩の層からなるがけがみえる。麓には軍施設やその廃墟がたくさんある。誰もいない石ころだらけの坂道を登り、頂上に着くとまたわけのわからぬ廃墟だ。一見、墓のようだが火事の跡だろうか。(後でいわれがわかりました。ナチスの要塞の残骸です。下のコメントをご覧下さい。)これはなんだろう。昔あったというプティ・トランのレールだろうか。急峻な崖の上だが。超芸術トマソン的な危ない階段もある。遠くには先ほどのイフ島とマルセイユが一望できる。岩層の目立つ島も。有名な海水浴場を抱える静かな入江。崖の上は検疫病院の廃墟。竜舌蘭であろうか、植物まで怪気炎を上げている。

数時間と二千数百円ででとても面白いものを見せていただいた。スニーカー程度以上の靴を履いて、少し登る気があるならばおすすめだ。でもネットではこの島はマルセイユ「最後の楽園」と言われて、エコロジストの憧れの地だそうだ。この緑の少ない岩山がねえ、と感心する。

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5 コメント

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廃墟の由来 ()
2015-04-20 00:55:13
日本語の検索ではもひとつ掴めなかった廃墟の生じた訳がわかりました。
http://fr.wikipedia.org/wiki/Archipel_du_Frioul
によると、第2次世界大戦の時、この島はドイツに占領され要塞化したのですが、連合軍側の爆撃によって粉砕されたようです。(これは私の頼りないフランス語解釈によるもので、間違いであれば教えて下さい。)
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眠気が覚めた。 (Etsuko)
2015-04-20 17:02:41
マルセイユは、海岸通りに陽気な魚市があるかのように思っていましたが、すごく奇怪な廃墟があるのですね。
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デュマ ()
2015-04-20 20:57:00
マルセイユと言っても、その目の前の島ですが、とても奇怪。
デュマの強そうなパネルもすごいでしょう。実際、ウィキペディアによると、彼は黒人と白人の混血で、その勇猛さによって敵国からは「黒い悪魔」と呼ばれたとか。さらに、

「ある日デュマが友人と激論を交わし、ついに決闘で決着をつけることになった。しかし友人もデュマも射撃の名手だったので、まともに決闘をしては2人とも死ぬ可能性があった。そこで相談の結果、クジをひいて負けたほうが自らを撃つことになった。はずれクジをひいたのはデュマのほうで、彼はピストルを握り、書斎へ入ってドアを閉めた。数分後、書斎の中から大きな音がしたので心配した友人達が中へ入ってみると、そこにはピストルを片手に立ち尽くしたデュマの姿があった。彼はこういったという。『驚くべきことが、起こった。私としたことが、撃ち損じた』と。」
いろいろ大変な人のようです。
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訂正 ()
2015-05-01 01:33:42
廃墟の目立つのは、フリウル島とつながっているラトノー島でした。
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訂正2 ()
2023-06-29 14:57:35
サドがつかまっていたという風説はあるがこれは嘘のようです。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%83%88%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%95
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