土塊も襤褸も空へ昇り行く:北村虻曳

随想・定型短詩(短歌・俳句・川柳)・写真
2013/11/11開設

蟾蜍について

2020-05-02 | 随想

「蟾蜍長子家去る由もなし」草田男

中村草田男の句のなかで、私にも感慨をこめて理解できるものである。しかし草田男についての研究会の後で北の句会の幾人かの話を聞いていると、多くの人が蟾蜍の習性についてご存知ないように見受けられた。(蟾蜍=ひきがへる、せんじょ、ヒキガエル;蝦蟇=がまがへる、ガマガエル)

句の鑑賞にもかかわることなので少し述べてみたい。 私にとっての蟾蜍はこうである。小学生のころ、あとにもさきにもただ一度、一家で大きな屋敷に一年ほど住んだことがある。竹薮が二つ、テニスコートが一面,林もあった。私は肺結核で長期休学中であり、広い庭のあちこちにしゃがんで、なじみのない関東の生き物を観察していた。芝生の一角には熊笹が植えてあり、そこにやっこさんがいた。私はしばしばそこをのぞきにいった。彼はいつもそこに居り、喉を動かすだけでかしこまっていた。冬眠を終えてもまた同じところに現れた。

蟾蜍の別名は蝦蟇であるが、この「蝦」という文字は「遐(とおし)」ということに通じ、遠くからでも元のところに戻ることを意味するそうである。蛙倶楽部のホームページを孫引きすれば、小野蘭山の『重訂本草綱目啓蒙』に、「蝦蟇ニ限ラズ蟾蜍モ遠處ニ移セバ必還リ来ル故ニ皆カヘルト呼ブ」と書いてある。要するに蟾蜍は定住性が強いのである。蟾蜍は夏の季語などという理解で終わっていては、草田男の託したものが見えない。 ある長子にとっては、家は自身の依る原点であっただろうが、近代的な考えを持ったものには、大変な桎梏であったと思う。しかしむろん句はそのレベルを超えている。「 すべ=術」ではなく、「由」という言葉を選んでいるのである。蟾蜍の自若の姿がそれを具現する。これはよく知られていることであり、本人をはじめ、山本健吉がニーチェの運命愛を持ち出し、小西昭夫も運命を引き受ける言葉として解説されている。しかし、同席した皆さんはこの点に感銘を受けないように見えた。皆さんにおいては家の意味が変容を遂げているということであろうか。以前、就職を迎えた学生がしばしば発した悩みは、郷里を離れたいが親の面倒を見るため離れられない、ということであった。

いまこのことを訴える学生はほとんどいない。代わって流行の問題は、むしろ子供が独立しないということである。これまた「蟾蜍長子家去る由もなし」ということになるのだろうか。 これは、封建的と言われ、社会の中で位置づけられていた家が希薄となり,個人関係としての家がそれぞれの流儀で問題に抱えている。家は尊大な存在ではなくなり、媒介なしにゲゼルシャフトの風にさらされている。そのような家を考えると、引用の句のような身の処し方というものが実感されなくなるのであろう。

なお蛙足ながら、蟾蜍に興味をもたれた方は、奥野良之助「金沢城のヒキガエル」(平凡社ライブラリー)という文庫本をご覧になられるがよい。夏の季語でありながら、一番暑い頃は夏眠を決め込んで姿を現さないそうである。 (2006.09、2020。05少修正)

(北の句会報に書いたと思うがブログにも上げておく。執筆の時点では「親の面倒を見るために離れられない」学生が多いと感じたが、いまはまた存外そう思う学生が多く復活しているかもしれない。)


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1 コメント

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Unknown ()
2020-05-03 12:02:42
大変参考になりました、蛙は帰るんですね。
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