合気道鴻心館《明月会》Meigetsukai

美しい武道それが合気道《明月会ブログです》

Aikido 【日本合気道鴻心館 1/11】

2014年01月11日 | 鴻心館
☆平成26年1月11日(土)
【本日の稽古】
・百舌鳥八幡道場(310号線)
午前7時~8時 合気道一般部・・・茶帯練習生参加
午前8時~9時 空手道・・・親子2組、男子1名の計5名
午前9時~10時・・・居合
土曜日の早朝稽古は茶帯練習生が主に参加しての稽古となっています。
結構早い時間ですが、慣れてしまえば早いぶん一日を有意義に過ごせ
ます。なんでも要は覚悟の問題です。
合気道に限らずこの時期になると受験生は重い腰を上げざるをえなく
なり合格を勝ち取るために勉強します。お尻に火がつかないとなかな
か出来ないものです。
やらない、しない理由は百万個あるが、する理由は一つしかないと、
若いころに武道の先生に教えられましたが、まさしくその通りです。

【私の四大原則】
合気道をどうやって学ぶかという事は大切です。
私も氣の研究会を離れてもう13年の年月が過ぎ去りました。
離れた直後、日本合気道鴻心館という合気道会派をつくります。
正確には、心身統一合気道の支部のまたその教室という時期も
ありました。しかし短期間であったことなどから全く知られて
おりません。
話を戻して藤平光一という先生ですが、
藤平光一先生は、大先生の亡き後に合気会をはなれました。
そして出来たのが心身統一合気道(氣の研究会)です。
その関西支部に所属して私はここで合気道の基本を身に付け
たものです。その期間というのは、率直に言うならば、それ
は藤平光一先生の合氣道の四大原則を考え続けてきた年月で
もありました。
その後、私自身はすでに四大原則の考察は一通り終えて、その
統一體を基にして合気技の使い方の段階へと修行を進めていく
ことになります。この頃には鴻心館合気道を作り独自に合気道
探求の道に入っていたのです。
この四大原則は今の私が考えるところでは
合気道が出来る身体を創るためにある原則です。つまり四大原則
にしたがって稽古を行い、合気技が使える身体、つまり統一体を
完成させるという事です。これが出来ていないと、合気技はでき
ません。有名な養神館合気道でも表現こそ違っていますが、だい
たいにおいては同じ事をさして指導しているものだと考えています。
参考までに藤平先生の仰られた心身統一合気道の四大原則を以下に
あらわします。
一、臍下の一点に心をしずめ統一する
二、全身の力を完全に抜く
三、身体の総ての部分の重みをその最下部におく
四、氣を出す
この四大原則が一身上に昇華(物事が一段上の状態に高められること)され
るころになれば個々の原則一つ一つは意味を失い、意味なさなくなります。
この時が統一体完成時と考えてよろしい。
統一体を私なりに、みなさんにも分かりやすく言い換えると、それは
四大原則がカオス(混沌とした)状態になった結果をさして統一体といいます。
もちろん、これはわたしの私感ですが・・・
 ただし当会、鴻心館では四大原則そのまま教えてはいません。それは私の
合気道を一からの修行過程を振り返り鴻心館として新たなものになってし
まった四大原則=内容を指導しています(当会内の事ですからその詳細は割愛)。
それは四大原則そのものではダメだというつもりではありません。藤平光一先生
も植芝盛平翁より教わった合気道をそのまま指導したのではなく、天才藤平光一
氏が四大原則、さらに合気道の五原則として生み出し、天地の氣と称して大先生
の合気道を捉えなおして指導したことからもわかるように、合気道がその指導者
の一身上に創られ現れた時、その指導者の体得した言葉でのみしか合気道が語ら
れること、指導される事ができないからなのです。
単純に言えば、先生の受け売りでは、まだ身についていないという事の意味です。

【達人‐植芝盛平‐その3】
植芝盛平翁は、明治、大正、昭和の時代を生きました。
戦前の植芝先生が生きられた時代というのは、現代とは
全く異なった時代で、まだ農地解放、財閥解体もなく華族制度
もあり、新憲法も当然なくて良くも悪くもそんな時代でした。
武道は盛んに行われ、これまた今の時代と異なった意味で盛ん
でした。私は植芝盛平先生の修行されてきた時代背景、その時代の醸し出す
雰囲気、空気を知るために、植芝盛平翁の壮年期であった頃の歴史を調べて
いるところです。
何故そんなことをするかの理由は、簡単に言えば
その人の精神が技を創るものだからであり、その精神はその生きている時代
の中で創られたからです。細かいことは省きますが、その時代一般性によっ
て創られた精神という意味での調べものです。人間の精神は、時代一般性
(一般的な社会生活)とその個人の育った環境の2つから創られると考えます。
最近、特に植芝先生の壮年期の時代はこういうものだと実感したい、知識的に
ではなくて感情的に知りたいという思いを強烈にもっているところであります。
※「壮年」とは何かを検索、以下説明→
「成人として最も体力、気力共に充実しているとされる年代のこと。 一般に
青年期を終えた40歳から64歳頃までを指す。 この年齢は働き盛りとして社会
で活躍する・・・」
とある通り、大先生の壮年期の修行し生きた時代(合気技の発展期)の息吹を少
しでも実感したいと考え、その時代の個人(おもに武道家や軍人etc)が書き残し
たものを通して時代を生々しく掴みとっています。

【達人‐植芝盛平‐その4】へつづく





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