☆11月20日(水)
【For my opinion 植芝盛平翁】
合気道を学ぶ上で、私が合気道を始めた時代は
合気道を学ぶという事は、開祖植芝先生、藤平先生、塩田先生の門下生となる
という鉄則、暗黙の掟があった晩年期の頃。
理由は簡単で、合気技の完成がこれらの先生方にあったから。
(※異論がもちろんあるのもわかっていますが、一般論として。)
しかし時代は過ぎていきました。
植芝盛平翁も光一先生、塩田館長もこの世を去っています。
現在は渾沌とした時期です。合気道を誰に習ったらいいのか
ある意味分からない、見定めきれない、的をしぼれない時代です。
これから合気道を始めたいけど入門先をどこにするのかと迷う時代
なんじゃないかと漠然と考えています。
真の合気技を目指したい方においては
自分の実力を知る方法があります。
それは歴史に尋ねるというものです。
簡単にいえば、植芝語録、藤平語録、弟子とのやり取りの記録など
より自分の実力を知ることが可能です。
ここの意味がさっぱりわからない人は、もっと合気道をしっかりと
練習してくださいね。
例えば合気ニュースから次のような文を引用しますと、
『大先生の棒やなんかは、派手ではなかったね。例えば、棒、つまり杖であれば
神道夢想流のように派手ではなかった。派手ではないけれども、急所、急所が
ぱっぱっと決まっているんだなあ。杖が生きているんだ。相手がこうやってぱ
っと打って来るのをぱっと派手に打ち返すんじゃなく、ほんのちょっと動かす
んですね。棒の先が生きているんです。それが違うんだね。いわゆる、自然と
いうか純な使い方なんだ・・・・』(p102より引用-植芝盛平と合気道)
上記の文章を読んでどう思ったでしょうか?
私は、「ほんのちょっと動かすんですね。」の箇所を読んだとき
植芝盛平翁は凄いと、鳥肌が立ちました。
ほんの僅かに操作する(その瞬間に合気をかけている)時が植芝先生の
合気技をだした瞬間です。それは相手の力を抜く=崩す=無効にする瞬間だからです。
ここの表現が生きて(目の前で起きているような)いる感覚を持ちます。
杖で相手を崩すときの状況がそれと重なるからです。
【「いい技術」と「護身的」には距離がある】
合気道の核になっている技術とは、ズバリ
相手の力を受けなくする技術です。
言い換えると、相手の頑張りを無効にして
いくら力で踏ん張られても例えば小手返しが出来るという合気技術。
だから相手の力技(=人間業)に対抗する手段として
ある場面においてはすぐれています。
しかし世の中には100%ものの技術はありません。
だからこそ進化、発展させていくために稽古があると思います。
【For my opinion 植芝盛平翁】
合気道を学ぶ上で、私が合気道を始めた時代は
合気道を学ぶという事は、開祖植芝先生、藤平先生、塩田先生の門下生となる
という鉄則、暗黙の掟があった晩年期の頃。
理由は簡単で、合気技の完成がこれらの先生方にあったから。
(※異論がもちろんあるのもわかっていますが、一般論として。)
しかし時代は過ぎていきました。
植芝盛平翁も光一先生、塩田館長もこの世を去っています。
現在は渾沌とした時期です。合気道を誰に習ったらいいのか
ある意味分からない、見定めきれない、的をしぼれない時代です。
これから合気道を始めたいけど入門先をどこにするのかと迷う時代
なんじゃないかと漠然と考えています。
真の合気技を目指したい方においては
自分の実力を知る方法があります。
それは歴史に尋ねるというものです。
簡単にいえば、植芝語録、藤平語録、弟子とのやり取りの記録など
より自分の実力を知ることが可能です。
ここの意味がさっぱりわからない人は、もっと合気道をしっかりと
練習してくださいね。
例えば合気ニュースから次のような文を引用しますと、
『大先生の棒やなんかは、派手ではなかったね。例えば、棒、つまり杖であれば
神道夢想流のように派手ではなかった。派手ではないけれども、急所、急所が
ぱっぱっと決まっているんだなあ。杖が生きているんだ。相手がこうやってぱ
っと打って来るのをぱっと派手に打ち返すんじゃなく、ほんのちょっと動かす
んですね。棒の先が生きているんです。それが違うんだね。いわゆる、自然と
いうか純な使い方なんだ・・・・』(p102より引用-植芝盛平と合気道)
上記の文章を読んでどう思ったでしょうか?
私は、「ほんのちょっと動かすんですね。」の箇所を読んだとき
植芝盛平翁は凄いと、鳥肌が立ちました。
ほんの僅かに操作する(その瞬間に合気をかけている)時が植芝先生の
合気技をだした瞬間です。それは相手の力を抜く=崩す=無効にする瞬間だからです。
ここの表現が生きて(目の前で起きているような)いる感覚を持ちます。
杖で相手を崩すときの状況がそれと重なるからです。
【「いい技術」と「護身的」には距離がある】
合気道の核になっている技術とは、ズバリ
相手の力を受けなくする技術です。
言い換えると、相手の頑張りを無効にして
いくら力で踏ん張られても例えば小手返しが出来るという合気技術。
だから相手の力技(=人間業)に対抗する手段として
ある場面においてはすぐれています。
しかし世の中には100%ものの技術はありません。
だからこそ進化、発展させていくために稽古があると思います。