☆平成26年1月15日(水)
【空手ー和歌山支部】
昨日の火曜日はインターナショナルスクールの合気道部
で教えた後、小走りで中津駅に向かいます。
JR鳳駅前に止めている車にのりこみ和歌山県橋本のM小学校
に向かいました。
橋本市の山に囲まれたM小学校の体育館で午後7時から少年部
空手を指導するためです。少年部を終えたころ一般部の練習
に私も通常は参加して空手をします。
昨日は気温1℃と電光掲示場に表示されていました。
体育館もとても寒いというよりは、足が痛いという感じです。
暖房などはなくてきれいな体育館ですが、天然冷凍庫みたい
だと思いながら昨日はやっていました。
【合気道部】
大阪YMCAインターナショナルスクール合気道部は
今年初めての稽古という事で、事務所で年始の挨拶をすませて
から体育館にむかいマット準備をボチボチしていると、部員た
ちが授業を終えてやってきました。
ここは大阪市中津6丁目にある元公立小学校でしたが、YMCAの
学校としてほぼそのまま使っています。トイレや教室、事務所
など新しく改装していて美しい学校です。
スタッフも親切に対応してくれ合気道部を創って良かったと、
こちらが感謝しているところです。
体育館はもちろん暖房はありませんが、午後4時から始まると
いうことと都会の中にあるためそんなに寒くありません。橋本
の空手の体育館はやはり放射冷却とあわせ山間部に位置してい
ため寒さは半端ではないですが。
ケビン先生も子供の指導に少しずつ慣れてくれていますし、順
調に子供たちも上達してくれています。
【グランフロントにてー大阪駅】
書のカルチャー教室が昨日はなかったという事ではやばやと大阪駅
にでました。11時に事務局をでたので、正午には大阪駅に着き
グランフロント6Fの書店に向かいます。いつも私が座る席が決まっ
ていて昨日も空いていました。
さっそく本を二冊探して、テーブルに置いて午後3時15分までの
2時間30分以上座って二冊の読書タイムでした。
・日中『再』逆転 近藤大介著 講談社
・江戸は世界最高の知的社会 徳川宗英著2013年12月19日第1刷発行
上の二冊です。
特に、写真の本「江戸は世界最高の知的社会」は最高でした。なにが最高
かというと、易しい文体で江戸時代の技術や社会を紹介されていて、とく
に明治維新後の日本が歴史的に発展したことを良く分からされる、今まで
にあまりない書でした。世界で 初めて全身麻酔を用いた手術(乳癌手術)
を成功させた花岡青洲の医学をはじめいろんな分野の凄い日本人たちを
さらりとすぎるほど紹介しています。
著者、徳川宗英は徳川幕府―徳川家の一支系の田安家の人です。
以下にこの書「江戸は世界最高の知的社会」から引用してみますと、
P55より引用ー
小学校五年生のとき、呉海軍港の裏山にのぼってドックを見下ろすと、戦艦『大和』
をつくっているのが見えた。ドックの周囲は、なかが見えないようにしてあったが、
山の上からは丸見えだった。そのときの父の言葉が、いまも大切な教えとして胸に刻
まれている。『なにごとも、少し離れた上のほうから見れば近くでは見えないものが
見えてきて、全体のことがわかるものだよ』
ものごとを俯瞰(ふかん)して冷静に見ることー。これは理系の発想といえるだろう。
P60より引用
日本に『数学』が伝来したのは、飛鳥時代のことだった。六世紀半ばに、数学と関係
の深い天文暦学や易学の博士が百済から来日し、その後、遣隋使や遣唐使によって中
国から最先端の数学がもたらされた。ピタゴラスの定理もこのころ中国から伝えられ
たという。平安時代には、貴族の子弟のあいだで掛け算の『九九』がおこなわれた。
当時は『九九八十一』からはじまっていたため、『九九』と呼ばれるようになった。
いまのように『ニニが四』と小さい数からはじまる覚えかたが広まったのは、江戸時
代になってからだ。
P62より引用
さて、戦のない徳川の世になると、武士からそろばん塾の先生に転職する者
が現れた。そろばん塾といっても子供習い事ではなく、大人相手に基本的な使い方か
ら高度な計算まで教えた。なかでも、京に『割算の天下一』と看板を掲げた毛利重能
(しげよし)は、優秀な和算家を何人も育てたことから、『和算の祖』と呼ばれている。
弟子の今村知明商(ともあき)は、江戸で和算塾を開き、『最近の子供は、くだらん歌
ばかりうたって毎日を無駄に過ごしている。算術の決まりごとを口ずさむほうが、よ
ほど将来のためになる』と、さまざまな数学の公式を和歌にした。たとえば、三角形
の面積を求める公式『底辺×高さ÷2』は、こんな歌だ。『山形は 鉤(つり)と股(は
たばり) 掛けてまた 二つに割りて 歩数(ぶすう)とぞ知る』山形は三角形、鉤は高さ
、股は底辺、歩数は面積のこと。これなら覚えやすい。優秀な数学者でありながら研
究の世界にこもらず、子供たちにもわかるように算術を教えたのはすばらしい事だと
思う。こうした工夫が、庶民に数学を普及させる原動力になりひいては日本の国力を
高めることになった。その最たるものは、毛利重能の高弟・吉田光由(よしだみつよし
)が刊行した算術書『塵劫記』(じんこうき)であった。
ー引用終わり
【空手ー和歌山支部】
昨日の火曜日はインターナショナルスクールの合気道部
で教えた後、小走りで中津駅に向かいます。
JR鳳駅前に止めている車にのりこみ和歌山県橋本のM小学校
に向かいました。
橋本市の山に囲まれたM小学校の体育館で午後7時から少年部
空手を指導するためです。少年部を終えたころ一般部の練習
に私も通常は参加して空手をします。
昨日は気温1℃と電光掲示場に表示されていました。
体育館もとても寒いというよりは、足が痛いという感じです。
暖房などはなくてきれいな体育館ですが、天然冷凍庫みたい
だと思いながら昨日はやっていました。
【合気道部】
大阪YMCAインターナショナルスクール合気道部は
今年初めての稽古という事で、事務所で年始の挨拶をすませて
から体育館にむかいマット準備をボチボチしていると、部員た
ちが授業を終えてやってきました。
ここは大阪市中津6丁目にある元公立小学校でしたが、YMCAの
学校としてほぼそのまま使っています。トイレや教室、事務所
など新しく改装していて美しい学校です。
スタッフも親切に対応してくれ合気道部を創って良かったと、
こちらが感謝しているところです。
体育館はもちろん暖房はありませんが、午後4時から始まると
いうことと都会の中にあるためそんなに寒くありません。橋本
の空手の体育館はやはり放射冷却とあわせ山間部に位置してい
ため寒さは半端ではないですが。
ケビン先生も子供の指導に少しずつ慣れてくれていますし、順
調に子供たちも上達してくれています。
【グランフロントにてー大阪駅】
書のカルチャー教室が昨日はなかったという事ではやばやと大阪駅
にでました。11時に事務局をでたので、正午には大阪駅に着き
グランフロント6Fの書店に向かいます。いつも私が座る席が決まっ
ていて昨日も空いていました。
さっそく本を二冊探して、テーブルに置いて午後3時15分までの
2時間30分以上座って二冊の読書タイムでした。
・日中『再』逆転 近藤大介著 講談社
・江戸は世界最高の知的社会 徳川宗英著2013年12月19日第1刷発行
上の二冊です。
特に、写真の本「江戸は世界最高の知的社会」は最高でした。なにが最高
かというと、易しい文体で江戸時代の技術や社会を紹介されていて、とく
に明治維新後の日本が歴史的に発展したことを良く分からされる、今まで
にあまりない書でした。世界で 初めて全身麻酔を用いた手術(乳癌手術)
を成功させた花岡青洲の医学をはじめいろんな分野の凄い日本人たちを
さらりとすぎるほど紹介しています。
著者、徳川宗英は徳川幕府―徳川家の一支系の田安家の人です。
以下にこの書「江戸は世界最高の知的社会」から引用してみますと、
P55より引用ー
小学校五年生のとき、呉海軍港の裏山にのぼってドックを見下ろすと、戦艦『大和』
をつくっているのが見えた。ドックの周囲は、なかが見えないようにしてあったが、
山の上からは丸見えだった。そのときの父の言葉が、いまも大切な教えとして胸に刻
まれている。『なにごとも、少し離れた上のほうから見れば近くでは見えないものが
見えてきて、全体のことがわかるものだよ』
ものごとを俯瞰(ふかん)して冷静に見ることー。これは理系の発想といえるだろう。
P60より引用
日本に『数学』が伝来したのは、飛鳥時代のことだった。六世紀半ばに、数学と関係
の深い天文暦学や易学の博士が百済から来日し、その後、遣隋使や遣唐使によって中
国から最先端の数学がもたらされた。ピタゴラスの定理もこのころ中国から伝えられ
たという。平安時代には、貴族の子弟のあいだで掛け算の『九九』がおこなわれた。
当時は『九九八十一』からはじまっていたため、『九九』と呼ばれるようになった。
いまのように『ニニが四』と小さい数からはじまる覚えかたが広まったのは、江戸時
代になってからだ。
P62より引用
さて、戦のない徳川の世になると、武士からそろばん塾の先生に転職する者
が現れた。そろばん塾といっても子供習い事ではなく、大人相手に基本的な使い方か
ら高度な計算まで教えた。なかでも、京に『割算の天下一』と看板を掲げた毛利重能
(しげよし)は、優秀な和算家を何人も育てたことから、『和算の祖』と呼ばれている。
弟子の今村知明商(ともあき)は、江戸で和算塾を開き、『最近の子供は、くだらん歌
ばかりうたって毎日を無駄に過ごしている。算術の決まりごとを口ずさむほうが、よ
ほど将来のためになる』と、さまざまな数学の公式を和歌にした。たとえば、三角形
の面積を求める公式『底辺×高さ÷2』は、こんな歌だ。『山形は 鉤(つり)と股(は
たばり) 掛けてまた 二つに割りて 歩数(ぶすう)とぞ知る』山形は三角形、鉤は高さ
、股は底辺、歩数は面積のこと。これなら覚えやすい。優秀な数学者でありながら研
究の世界にこもらず、子供たちにもわかるように算術を教えたのはすばらしい事だと
思う。こうした工夫が、庶民に数学を普及させる原動力になりひいては日本の国力を
高めることになった。その最たるものは、毛利重能の高弟・吉田光由(よしだみつよし
)が刊行した算術書『塵劫記』(じんこうき)であった。
ー引用終わり