☆平成26年1月16日(木)
【中百舌鳥道場】
昨日は休みの練習生が複数おり、また今年初めて参加された
練習とともに練習をしました。
ここ一般部は大学受験で休んでいる者をふくめて5名限定の
道場です。
狭いというのが理由です。ここへ参加していた練習生は鳳
南道場に移ってもらったこともあります。そんな鴻心館で
一番の狭さを誇っています。
今日はミドリ帯練習生は、天地投げ(呼吸投げ)をやりました。
【達人‐植芝盛平‐その6】
―呼吸投げ―
昭和15年、植芝盛平翁当時57歳でした。この時に私の師
そのまた師である藤平光一先生が植芝道場に初めていか
れた年でした。
当時(大東亜戦争前)は、誰でも入門することはでない時
代としてよく知られていますが、藤平先生もそのときに
は満州鉄道に勤務(後の環境庁長官)されていたM氏の紹介
で植芝道場に行かれています。
この時藤平光一先生は柔道二段でした。
たしかM氏は藤平先生の柔道の先輩であるかたです。
それは著書にも書かれている事ですから周知の事実です。
藤平先生は植芝盛平翁と出会いはどうであったかは、著書に
そのエピソードがのっていますので以下に引用します。
「中村天風と植芝盛平 氣の確立」藤平光一著
p52~p53より引用
「お弟子さんがひょこひょこと軽く投げられているのを見ると
、どうしても八百長にしか思えなかった。おかしいなとわざと
らしく首をひねっていると、気配を察せられたのか、あんたも
きなさいと言われた。
「いえ、でも、道衣をもっていませんから」
「いや、上着を脱いでそのままでいい」
相手は小柄な老人だ。仕方ない、柔道の技でつかまえて、すぐ
に投げてしまおうと思った。
ところが、先生につかまれた瞬間、わけもわからないうちに私
は投げられてしまったのだ。当時、柔道二段だった私は、それ
なりに自信もあった。ところが、すーっとあまりにも簡単に寝
かせられてしまう。
体をさわられた感触さえないのである。もし、どこかをさわられ
たりつかまれたりしたのなら、次からそこを警戒するという防御
策もあるのだが、いくら考えてもわけがわからない・・・・」
―引用終わり
これは当時、藤平先生は呼吸投げで投げられたと考えて良いです。
ー「わけもわからないうちに私は投げられてしまった」という事
から、藤平先生は柔道経験者でしたから、柔道とはまったく違っ
た感じをうけ投げられたという点、この技術は合気技以外に考え
られません。
ここまででしたら私もよく理解できます。
しかし問題は次の文
「体をさわられた感触さえないのである」それから
「先生につかまれた瞬間、」瞬間と表現していますが、どれだけの
瞬間なのかが問題です。おそらく植芝盛平翁の凄さはココだと考えます。
説明すると、植芝先生はつかんできた、それは事実です。しかしその掴
まれた感覚もないまま、手ごたえもないままに投げられた、もしくは倒さ
れという事です。
呼吸投げ(その形はいろいろあるけれども)が出来る人が、これを読んだ時
「私もできます」という方はいると思います。私もこの書を読んだときに
そう一時期感じたことです。
最近になってこの箇所引用部分を読んだ際には、こんなスマートに投げる
にはまだ15年は早いと客観的にみて感じたものです。実際には倍の30年
早いのかもしれません。
呼吸投げは、合気技習得のバロメーターであると私は思っています。
呼吸動作→片手取り両手持ち呼吸投げ、天地投げ、正面打ち呼吸投げ、
恩師の御意、正面打ち入身投げ・・・・・
呼吸投げの真の修行は、統一体が完成し相手の力を受けなく(レベルはある
けれども)なった瞬間から新たに始まります。
さらに呼吸投げは、合気道を続けている限り磨いていきたいと考えています。
達人‐植芝盛平‐その7へつづく
【初心者への合気道】
合気道をこれから習いたい方向けに書いてみます。
先ずは体験し、もしくは見学がおおすめです。その結果考えてみても
始まりません。直感でーやる―、または―やらない―を即決しましょう。
即決といってもその場ですぐ決め、その場で返事をする場合と、家に持ち
帰ってから後日返事をするというスタイルという意味です。
グズグスと考えるのは得策ではありません。その場で口に出すか、後で出すか
の違いです。やるか、やらないかをその体験の場で心のうちに決めろというこ
とです。
何事も「機が熟す」という言葉が示してくれています。やる環境、時期がこなければ
やれないものです。
そして何事においても決断はすばやくする習慣は大切です。それを口に出すかは
また別問題です。
【中百舌鳥道場】
昨日は休みの練習生が複数おり、また今年初めて参加された
練習とともに練習をしました。
ここ一般部は大学受験で休んでいる者をふくめて5名限定の
道場です。
狭いというのが理由です。ここへ参加していた練習生は鳳
南道場に移ってもらったこともあります。そんな鴻心館で
一番の狭さを誇っています。
今日はミドリ帯練習生は、天地投げ(呼吸投げ)をやりました。
【達人‐植芝盛平‐その6】
―呼吸投げ―
昭和15年、植芝盛平翁当時57歳でした。この時に私の師
そのまた師である藤平光一先生が植芝道場に初めていか
れた年でした。
当時(大東亜戦争前)は、誰でも入門することはでない時
代としてよく知られていますが、藤平先生もそのときに
は満州鉄道に勤務(後の環境庁長官)されていたM氏の紹介
で植芝道場に行かれています。
この時藤平光一先生は柔道二段でした。
たしかM氏は藤平先生の柔道の先輩であるかたです。
それは著書にも書かれている事ですから周知の事実です。
藤平先生は植芝盛平翁と出会いはどうであったかは、著書に
そのエピソードがのっていますので以下に引用します。
「中村天風と植芝盛平 氣の確立」藤平光一著
p52~p53より引用
「お弟子さんがひょこひょこと軽く投げられているのを見ると
、どうしても八百長にしか思えなかった。おかしいなとわざと
らしく首をひねっていると、気配を察せられたのか、あんたも
きなさいと言われた。
「いえ、でも、道衣をもっていませんから」
「いや、上着を脱いでそのままでいい」
相手は小柄な老人だ。仕方ない、柔道の技でつかまえて、すぐ
に投げてしまおうと思った。
ところが、先生につかまれた瞬間、わけもわからないうちに私
は投げられてしまったのだ。当時、柔道二段だった私は、それ
なりに自信もあった。ところが、すーっとあまりにも簡単に寝
かせられてしまう。
体をさわられた感触さえないのである。もし、どこかをさわられ
たりつかまれたりしたのなら、次からそこを警戒するという防御
策もあるのだが、いくら考えてもわけがわからない・・・・」
―引用終わり
これは当時、藤平先生は呼吸投げで投げられたと考えて良いです。
ー「わけもわからないうちに私は投げられてしまった」という事
から、藤平先生は柔道経験者でしたから、柔道とはまったく違っ
た感じをうけ投げられたという点、この技術は合気技以外に考え
られません。
ここまででしたら私もよく理解できます。
しかし問題は次の文
「体をさわられた感触さえないのである」それから
「先生につかまれた瞬間、」瞬間と表現していますが、どれだけの
瞬間なのかが問題です。おそらく植芝盛平翁の凄さはココだと考えます。
説明すると、植芝先生はつかんできた、それは事実です。しかしその掴
まれた感覚もないまま、手ごたえもないままに投げられた、もしくは倒さ
れという事です。
呼吸投げ(その形はいろいろあるけれども)が出来る人が、これを読んだ時
「私もできます」という方はいると思います。私もこの書を読んだときに
そう一時期感じたことです。
最近になってこの箇所引用部分を読んだ際には、こんなスマートに投げる
にはまだ15年は早いと客観的にみて感じたものです。実際には倍の30年
早いのかもしれません。
呼吸投げは、合気技習得のバロメーターであると私は思っています。
呼吸動作→片手取り両手持ち呼吸投げ、天地投げ、正面打ち呼吸投げ、
恩師の御意、正面打ち入身投げ・・・・・
呼吸投げの真の修行は、統一体が完成し相手の力を受けなく(レベルはある
けれども)なった瞬間から新たに始まります。
さらに呼吸投げは、合気道を続けている限り磨いていきたいと考えています。
達人‐植芝盛平‐その7へつづく
【初心者への合気道】
合気道をこれから習いたい方向けに書いてみます。
先ずは体験し、もしくは見学がおおすめです。その結果考えてみても
始まりません。直感でーやる―、または―やらない―を即決しましょう。
即決といってもその場ですぐ決め、その場で返事をする場合と、家に持ち
帰ってから後日返事をするというスタイルという意味です。
グズグスと考えるのは得策ではありません。その場で口に出すか、後で出すか
の違いです。やるか、やらないかをその体験の場で心のうちに決めろというこ
とです。
何事も「機が熟す」という言葉が示してくれています。やる環境、時期がこなければ
やれないものです。
そして何事においても決断はすばやくする習慣は大切です。それを口に出すかは
また別問題です。