音信

小池純代の手帖から

日毎の音 蔵 201016

2020-10-15 | 日記
 
  蔵


 エアコンが神で仏が冷蔵庫そんな真夏の二〇〇〇年代


 扉の錆朱さびしゆてならぬ蔵一宇ずつと黙つて路を見てゐる


 蔵の字に「かくす」の読みがあることをよろこぶ隠も匿もわたしも


 所有から離れて売られある本の蔵書印こそゆかしかりけれ


 蔵の壁しんしんとして秋草の繊き影さへ吸ひ込みしかな





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日毎の音 靴 201015

2020-10-15 | 日記

  靴


 茶碗とか小皿が置かれあるやうに華奢なヒールのい並ぶ靴屋


 ウェアすればかさあげさるる心地せる究極の靴オートモビール


 靴脱いで身投げするのはどの国の慣らひなるべし此の世とは靴


 靴はこれ舶来のもの舶来の美的なるものしばしば嗜虐


 大きなる黒の革靴客船に見立て磨きし昭和の子ども






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日毎の音 麺 201014

2020-10-13 | 日記
 
  麺


 素麺としばし別れて秋の夜に煮麺としてふたたびの逢ひ


 割り切れぬことばかりある十月の十割蕎麦の十割ぞ良き


 貸したまま逝つてしまひし名古屋びと『蕎麦ときしめん』いかに読みけむ


 更科の永坂布屋太兵衛かな春でなくても麻布でなくても


 カウンターどんつきで蕎麦たのむのがたのしみなりしかの日「AMECOYA」






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日毎の音 塔 201013

2020-10-13 | 日記

  塔


 全歌集の扉にありし砂の塔ピーテル・ブリューゲル「大バベル」


 崩れつつ崩れ果てずにいまだかも言語の塔は崩れつづけて    


 貴人の佇むうしろ姿かな街路の果ての塔のものごし
                       貴人:あてびと

 函入りの家庭を積んで積んで積んで限りあるタワマンの高さ


 背伸びしてあこがれゐしか尖塔のモデルは山か樹木か知らず
 



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日毎の音 湯 201012

2020-10-12 | 日記

  湯


 湯が水に戻るまでの間失ひし時と熱さがとても人生


 祝ふことなにもなけれど桜花揺すり起こして桜湯を飲む


 湯たんぽを抱へてゐたる冬のこと大地震ふりしあの年の冬
                大地震:おほなゐ

 白湯が白湯であるあひだはかぎられてゐる素の色の失せぬそのまに


 湯沸かしに湯を沸かすとき地涌菩薩ふつふつ弗弗あらはれたまふ
                     弗弗:ふつふつ





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日毎の音 籠 201011

2020-10-11 | 日記

  籠


 鳥かごに鳥ゐなければ何のかご解体をして空を増やさむ
                    空:そら

 籐籠にくだものを盛るできるだけ球体に星に似てゐるものを
                球体:スフィア

 竹籠のなかのガラクタ棄てがたし離れがたしよ日の小部分


 点心の蒸籠の湯気を持てくるる中華街こそ行かまほしけれ


 愛らしきものには愛のまなざしを小籠包のひとつひとつに






 
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日毎の音 茸 201010

2020-10-10 | 日記

  茸


 原木にぽこぽこ生るる茸ぽこぽこあぽこぽこ採りてこぽこぽ

           
 平鍋にきのこの駒をまろばせむ歩兵のシメジ女王のドンコ


 丈高くくさびら突と立ちたるは雨の一夜のやしなひによる


 きのこ山きのこが傘をさすならばKENZOの傘をわれはささうよ


 海山に分かれたはいつ傘と傘かしげあひにしキノコとクラゲ







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日毎の音 茶 201009

2020-10-09 | 日記

  茶


 かどごとに茶葉焙じゐる河原町しばしとてこそたちどまりつれ


 焙じ茶と言へば鍵善良房の茶房の翳のほどよき暗さ


 朱袱紗で抹茶の粉を拭ふのが是か非か知らぬままに年経る


 ぼくはラム彼女はジンがお気に入り♪茶色の小びん魔法の小びん


 そちらにはそちらの経緯こちらにはこちらの推移茶を煎れに立つ





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日毎の音 壜 201008

2020-10-08 | 日記

  壜


 持ち重りするよろこびといふものよ左右の手に壜それぞれ五本
                 左右:さう

 次の世はどなたの伴侶今生はジャムと過ごした壜を煮沸す


 なにものも容れず貼らずの素の壜の「存在が壜」してゐるすがた


 ワレモノの空き壜に挿す吾亦紅フラジリティーのありさまふたつ


 壜はこれ酒瓶をこそ始祖とすれ酒肆の壜の壮麗は 見よ
               酒肆:さかや






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日毎の音 象 201007

2020-10-07 | 日記
  象


 よき夢が待つてゐさうなむらさきのサテンの象の三日月クッション


 大小の象うつむいて卓の上象なんだけどどうにも軽い


 笑ひ皺のある人はいい亡きあとも象の眼の笑みをこぼして


 豪徳寺のジーゲスクランツ失せにけり鼻で旗振る象と一緒に


 飾り付けするなら象の姫君を所望す背にも耳にもリボン




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日毎の音 栞 201006

2020-10-06 | 日記

  栞


 つやつやと長きねむりの栞紐起こさぬやうにページ繰りたり


 栞紐二色の凄み五色ともなれば浄土につながる極み


 のど飴の紙を栞とせしは誰そすこやかなるを祈りつつ棄つ
            誰:た

 失せものの栞の絵柄なつかしきランプふくろふ蔓草模様


 たそかれにうかべる淡き月の裔しをりはうごく本の夜空を







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日毎の音 駅 201005

2020-10-05 | 日記


  駅


 改札は開封をする心地にて鉄路は手紙を読む心地にて


 一心に駆け寄つてくる鉄の馬受けて穏しき駅の両腕


 同じ駅同じ車両に乗り合はせ見知らぬままといふも運命


 駅ピアノ通りすがりの通り雨音のしづくのすがしさに遇ふ


 死のやうな迅さで通り過ぎる駅一度も降りたことのない駅




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日毎の音 鍵 201004

2020-10-04 | 日記

  鍵


 鍵盤の象牙の象を思ひつつ象の墓場の音思ひつつ


 世の果てで鍵を見つけたよろこびに果ての扉をあかるく開ける


 星ひとつひかりこぼしてゐたりけり夜の扉の鍵穴として


 かりそめの日々の宿りにふさふべくしづかなりけり鍵のしろがね


 一日の扇を閉づるかそけさに仮住みの鍵すこしく鳴きぬ

 



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日毎の音 円 201003

2020-10-03 | 日記

  円


 大きあり小さきあり世の円形の菓子のアーキタイプぞ望月


 円はヱンYENと読むべし厭世のエンではなくて怨声のヱン


 白黄赤白白硬貨かがやきぬ黄金ぢやないけど黄色い五円
             黄金:きん

 円は縁どんないろでも重さでも好き嫌ひなくがまぐちは食ふ


 円錐があれば手にとり帽として冠りてゆかな帝国の秋






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日毎の音 角 201002

2020-10-02 | 日記

  角


 縦書きの角丸の挨拶状が洋封筒に収まりてをり


 人生の何の分岐ぞ直立のビルの大きな角曲がるとき


 一角の角長ければ長いほどつよいのだとかあはれ生きもの
     一角:イッカク 角:つの

 落款の角どうしても掠れがち捺し癖はどの指に由来す
     角:かど

 遺跡から出土したかの顔かたち三角柱のチョコレイト菓子





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