倉嶋厚は、ユーモアに満ちた分かりやすい天気予報でTVの視聴者に親しまれていた気象予報士です。
温厚で、真面目な、とても感じの良いおじさんと言う印象でした。
その方が、ある出来事をきっかけにしてまるで人格が一変したように、暗く沈んで何を考えてるか分からないような気味の悪い人になってしまったのです。
そのある出来事とは、最愛の「妻の病と死」でした。
大恋愛を実らせて一緒になった妻は、明るくしっかりしていて、彼は暮らし向きの仕事は全て任せて仕事に励んでられた。
大恋愛を実らせて一緒になった妻は、明るくしっかりしていて、彼は暮らし向きの仕事は全て任せて仕事に励んでられた。
ところがその妻が突然癌を宣告される。
しかも末期癌だと。
妻は身体の苦痛、心細さと死の恐怖で、性格も一変したようである。
子供がいないので彼自身が子供のようになれて、家に帰れば明るく包み込んでくれた妻とは全く違う。
オロオロするばかりでどう対処すべきか、彼に考える余裕がなかった。
医師は治療方針について相談を求めてくるが、彼の頭は混乱する。そこに「尊厳死の勧め」があった。
心が混乱したままで、彼は戸惑う妻に尊厳死も受け入れる書類の署名をさせてしまう。殆ど一方的な形だった。
それから間もなく妻は心の張りも何もかも無くしたように死んでいってしまった。
その直後から、彼は「妻を死に追いやったのは自分ではないか」と言う激しい自責の念に駆られる。死後の手続き一切もおぼつかず、光の消えた部屋は散らかり放題で、頭は混乱する一方、彼はただ「死にたい」と思い詰めていく。
実際には、彼を案じた周りの気付きによって、彼は自死の一歩手前で心の治療を受けて、立ち直っていきます。
「愛と死」などと言う大それたテーマじゃない、誰にでも突然襲ってくる「かけがえのない人の死」の後の喪失感、絶望、自暴自棄、鬱、自殺念慮、をリアルに綴った手記です。
今の時代、よけい切実に感じます。
表題の「やまない雨はない」は類似した言葉はありますが、ほぼ倉嶋さんの生み出した言葉です。
彼は又二月をロシア語を彼が翻訳して「光の春」と伝えた初めての人です。
暖かい中に鋭い感性があった方なのですね。その人柄を慕う友人も多かったそうです。
そんな人でも心の病いにかかる場合がある。それは家族を亡くした時だった、と言うのは、とても自分の心に響くものがありました。