どうか心を強く持って来る春を迎えて下さるように。
私は会社員時代に金沢から七尾線に乗って輪島へ旅した事があります。
宿主催の御陣乗太鼓を堪能して、採れたての新鮮な刺身を食べたことがあります。日本海の波が荒いせいか、魚の身がしまって冴えた美味でした。
能登の人も気性にメリハリがあって都会人とは異なる個性を感じたのです。
この特色が御陣乗太鼓の面の個性に象徴されてるようです。
本日は司馬遼太郎の『歴史と風土』の中から能登半島の歴史と風土を考えてみようと思いました。
私には荷が重いですが。
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能登半島と言えば、前田領だったところですね。
領主となった前田利家は豊臣秀吉と同期の仲間で、織田信長の家臣が住む貧乏長屋で秀吉の家のお隣さんだったそうです。奥さん同士が庶民的なお付き合いをして、よく出来た人だったらしい。
秀吉は知力が突出して優れ、利家は胆力抜群の人だったそうです。天才肌の信長は愛嬌たっぷりの秀吉に癒されて、一番のお気に入りだったらしい。
利家も忠実で優れた家来でしたが、信長寵愛の小姓と大喧嘩をして、あろう事か切り殺してしまったそうです。
信長は激怒して切腹を命じようとした時、止めに入ったのが、柴田勝家です。心の優しい人だったらしい。この柴田勝家は信長の妹の絶世の美女お市と結婚します。
お市は秀吉の憧れの女性で、実は彼女をめぐって勝家とバトルを交わした事があった。
それが原因かどうかは分かりませんが、かっての仲間だった柴田と戦って城を攻め落とす、その時お市さんと子供たち(娘だけ)は助けるようにと部下に命じたが、お市さんは夫と共に城に残り、燃え盛る城と運命を共にします。
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実は、この柴田勝家と前田利家は非常に仲が良かったのです。そして信長に切腹を命じられた時、柴田は前田利家の命乞いを必死に頼んだ。
つまり利家は東軍に組した筈の故柴田勝家に義理だてをしたい。
それで、(嘘みたいな話ですが)関ヶ原の戦いの時に西軍に属しながら、どっちへも動かなかった。すぐに戦いの中に入らなくても、俯瞰されない当時はわからない。
関ヶ原の戦いは小早川氏の裏切りによって、つまり味方と油断してたのが敵に変わったので、短時間の内に東軍が勝利します。
人心掌握においても、徳川家康は非常に優れた人だったのですね。
そして(野心が少ない?)前田家は能登半島をしっかり支配して江戸時代を生き抜いたのです。
歴史を変えた関ヶ原ですが、現在の地図上では殆どメインの土地ではありません。
逆に能登半島は大きく存在感があります。
ところが。
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地図上で見ると大陸から遠いです!
交通手段が限られた当時、大陸の人は海路で近い場所に渡っていく。
という事で能登半島は外敵の侵入が少なく、独自の文化が根付いたと思われます。
加賀百万石に伝統文化が今に残ってます。
『歴史と風土』では能登半島について殆ど語られてませんが、司馬遼太郎の史観によると「戦いにおいて正義は通用しない」そうです。
昨今の戦いを観ても、「たしかに」と思います。
しかし、平和な世界においては「正義」の規範が無くては秩序が保たれませんよね。
という事は、加賀百万石に習って、覇権争いから外れて、治安を保っていた方が長続きする、のでないか?と私は思うのです。
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こじつけみたいなお話とは別のおまけです。
冷凍のシーフードミックスは応用が効いて何かと便利ですね。
今日はシーフードカレーを作りました。短時間で出来ますよ♪