東京の下町生まれの奏江(かなえ)は、古風な雰囲気が色濃く残る地方都市で小学校教師として働く。
物語の書き出しは、独り身の女性の身辺を浄瑠璃の人形になぞらえて静かな情緒を漂わせて描いている。
ところが、彼女の教え子の彫り師、繁雄に嫁いだ女性が次々と謎の死を遂げるところから、不穏な展開を見せていく。
早くに母を亡くした繁雄は無口で朴訥な男だが、何かを必死で隠しているところがある。
繁雄の家には江戸時代から伝わる美しい浄瑠璃人形があり、その顔は奏江に瓜二つであった。
奏江は謎を探っていく内に、抜けられない深みにはまっていく。
題名の舞楽とは神事における舞楽の事を言い、作中でも幻想的に描かれている。
この舞は昔より性を象徴しているが、なぜ黒きなのだろう。
それは絶対の禁忌を破った罪の色だからだろう。
泡坂妻夫が平成二年にこの作品を上梓してから、私は何度か読み返している。
その度に陥る酩酊感が怖くて、とても恥ずかしく紹介できなかった。
今回できるのは、おそらく自分が年取ったお陰だろう。
凡そ物語と関係のない実生活を送っているのが明らかだから。
一口に言えば、官能の極みを描いた物語で、それも非常に危険な愛である。
私が読んだ本の中で最高のエロティックな小説だと思う。
縄田一男と言えば昭和の有名な文芸評論家だが、解説でこの作品を評して
「江戸趣味に始まり、禁忌を超えて至上の愛にたどりつく本書は、泡坂妻夫作品を貫く骨太なロマンの血脈」と褒めちぎっている。
実は性行為について、私は心では肯定出来るのに、現実の恋では無意識の激しい抑圧がかかる。
中学の頃真剣に将来尼僧になろうと考えた事がある。
といっても、信仰心が薄いため、簡単に断念した。
「性は愛でない」と身体と心に刷り込まれた幼少期を持っていた。
性に溺れる事によって人を傷つけ自分も傷つく大人たちが自分の周りにいた。
自分の中で解放を求めているものとそれを強く抑圧するものの葛藤が常にあった。
かなり、人間として不幸な事だったと思う。
学生時代、精神分析で「エロスとタナトス」という言葉を知った。
フロイト曰く、エロスは人間の持つ根源的な生の衝動であり、タナトスは人間を破壊しようという死の衝動で、このバランスを保つことで人は正常でいられるそうだ。
私はイマジネーションでしか恋から生じる性愛を知らないが、エロスと同時にタナトスの衝動は起きるようである。
性は生と死の境にあるものかも知れない。
そして、この作品はそれを美しく描いている。
他の動物やAIは性行為で快楽を持てない。
人間以外の動物の性は殆ど生殖を目的としている。
AIの肉体は快楽から無縁にできている。
そういう意味で、私が無意識にタブー化していた性とは、きわめて人間的な行為なのだろう。
小難しい理屈よりも、この作品を読まれた方がはるかに面白いと思う。
これは危ない魅力を湛えた本である。
読んでいただき心から感謝です。ポツンと押してもらえばもっと感謝です❣️
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