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「その代わり外であいましょう」
頼子はかってない硬い表情で言った。
智樹も硬い顔で頷いた。
指定されたホテルで宇多は輝く様な女の身体を見た。抱き合った二人の耳に遠くで波のうねりが聞こえるようだった。豊かなうねりの中に二人は溶け込んだ。
翌朝目覚めた時、頼子の姿は無かった。
「お仕事頑張ってね。さようなら」
メモ書きが枕元に残っていた。
佐藤春夫の詩集は、忘れ物を口実に教授の自宅で渡した。
頼子はまるで無口になり、静かに頷いて受け取った。
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頼子がそれからすぐ離婚したと聞いた時、智樹はショックだった。
頼子の行方を探したが、本当に消えていったというしかない。
無防備に見えた彼女が、恐ろしく考え抜く人だと智樹は初めて知った。
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懐かしい本を得て、智樹は遅過ぎた探索を再開した。
本の売り手を調べると、頼子に所縁の人だった。
係累の少ない頼子にたった一人の姪がいた。
それも遅く出来た腹違いの姪である。
その姪の住所が判明した。
下町のしもた屋風の家でふっくりとした女性は応対してくれた。
頼子は身体を壊して一年前に亡くなった。亡くなる数ヶ月前から口が聞けず、何をお棺に入れていいかわからない。
立派な本は活かした方がよいと、人に頼んで売ってもらった。
眩暈がするような絶望感を智樹は味わった。
あの頃は不倫に厳しい世間だった。新入社員の経歴を穢してはいけないと、頼子は考えたのだ。
智樹は小さな仏壇に手を合わせた。
ちょっと年取ってはいるが、昔の面影を残す頼子の写真が飾ってあった。
「ねっ、私結構世間の事分かってるでしょう。その証拠にあなた偉くなったじゃない」
悪戯っぽく囁かれた気がして、智樹はため息をついた。