読書の森

浄真寺



境内の一角に紅いサルビアが咲いていた。

「もう長い夏休みは終わりね」
友人は少し寂しげに、しかしサラリと呟いた。
綺麗な顔が冷たく見えた。
彼女は折角得た職場を虐めの為に辞め、私は確かな職場に恵まれず、まるで学生時代の延長の様な生活を送っていた。

もう学生ではない、その事実を晩夏の寺でお互いに言い聞かせたのである。

あれは、70年代の初め頃の事だった。

世田谷区の九品仏浄真寺、落ち着いた佇まいの由緒ある寺である。
静かな境内に青々としたイチョウの大木があり、前方にドッシリした梵鐘がある。

今思えば、終わりとは言えこれが夏かと思える程、涼やかでシンと肌に優しい空気だった。



私達にとって、明日は必ず有り、しかも社会に出るべき明日だった。
ひどく頼り無いのはお互いさまなのに、強がりを言って、ちょっと傷ついた。

傷つきながら、参道にあるお茶屋で氷水(すい)を食べて微笑み合う。
あの日の友達は、あれから直ぐに、望まれて下町の旧家に嫁いだ。
私は大手の会社に正職員として採用された。

浄真寺参りの御利益であろうか?
何しろ、九品仏と言う駅名自体浄真寺の御本尊を称するのだから、大したお寺さんなのである。

それにしても、決してギラギラしない夕陽を受けたお寺は本当に優しい空気で満ちていた。

あの頃、鷺草園という一角があって可憐な花が咲いていた。
今はどうなっているのだろう。





私は、最早あの頃の様な打てば響く感性はない。
母の死や入院で心の角が擦れて鈍いカーブになった。
とても楽になった代わりに、ハッとする感動も少なくなった。

こんな自分とは真逆に、最近の天候は先鋭化して信じられない程だ。
まるで近未来小説だったのが、怖い現実になってしまった。

鷺草園のあった長閑な浄真寺の夏、もう一度戻って欲しい。


読者の方々、どうか酷暑を乗り切って元気でいらして下さい。



夏の思い出の後幾星霜を経て、本日新緑の浄信寺に詣でました。
現在長期の改修工事が施されて、浄信寺は美人さんになっていきます。

梵鐘も大イチョウも9体の立派な仏様も変わりありませんが、細部に意匠が見られてまるで古都のお寺の境内に入った気分でした。
若緑のこの美しさを伝えたく、サルビアの花の他は本日撮った浄信寺の写真を載せます。



平成最後の桜の散る日 記


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