私の高校時代です。
見出しの写真、横に「危険ですから物を投げないでください」の立て看板があります。私は全然気が付かないで何がおかしいのか大笑いしてます。横で学友が困ったように笑ってます。そのころ古文の表現や文法には恐ろしく敏感なくせに、人の目や外見にとっても鈍感な女子でありました。
母を見た仲の良い学友が「あなたのお母さんはスッゴク綺麗で色白できちんとしてるのに、なあにその恰好は!」と私を詰るのです。
母はいつも薄化粧をして(だから色白に見えた)、工夫して洒落た身なりをしてました。
「綺麗なお母さんねえ、それに比べてあなたは」といつも友達からけなされていた高校時代でありました。
良く言えば小麦色ホントは日に焼け放題で何もつけない肌は真っ黒け、制服のブラウスは何日も洗わず、放っとけばずっと同じ格好をしてます。この身なりを構わぬ私がモテル訳もないのですが。
母に対する反抗心もあって、私「人は外見ではありません」を実践してるつもりでした。
何しろ当時の母はモテタのでした。お店に行くと店のオジサンが妙に母に優しい(うら若い私は無視された)。
おまけに母の昔の切ないコイバナは小6の終わりから聞かされぱなしで、母が連絡してから(そんなこと許されない不貞と当時思ってた)昔の複数のボーイフレンドから年賀状が毎年くるのです。
その当時の私はいい加減頭に来てたのであります。
生徒会の先輩、後輩と学校の門の前で写した写真です。前で座っているのが私。
多少びっこはひいてましたが、そんなのドンマイの気持ちで体育もダンスも旅行もみんなとしてました。恋愛のれの字も全然分からない、とってもダサい高校生だったと記憶してます。
それなのに、古今東西の恋愛小説に読みふけっていたのですから、中身と外身とがアンバランスでございました。
上の写真は高3の時、東日本大震災で大被害を受けた浄土ヶ浜でボートに乗った時のものです。おさげの女子が私。
均一周遊券とユースホステルを利用しての夏休み東北一人旅の途中です。
他の二人(カップル)は知らない人たち、人畜無害そうな私を一緒にボートに乗せてくれたのです。
吹く潮風は爽やかで、海は澄み切ったグリーンがかったブルー、綺麗です。
目の前のカップルとそう年は違わないのに、お兄さんお姉さんに優しくされてる気分、最高でした。
狭い家で両親の夫婦喧嘩を見てるのがとても苦痛、家の事情や過去の経緯などとても知ってる人には話せない、私はともかく知らない遠くへ一人で行きたかったのです。
まとまった旅は夏休みしか出来ないし、暑いのは苦手だし、私の心はひたすら「北へ北へ」と向かったのです。旅行の日程計画、予算の割り出し、切符や宿の予約、旅行準備にはさすが過保護の母も手だししない。望んでる自由そのものでした。
当時受験生だったのですが、この旅の後、集中して勉強できた記憶があります。かなりいい気なものだったと思います。