歳をとると、最近の記憶は直ぐ忘れるくせに古い昔の記憶は妙にしっかり覚えているものです。
次々と起こる現実の災厄に耐えかねて、又も高校時代にタイムスリップしてしまいました。
修学旅行の時、我が身に降りかかった災厄が妙に懐かしい。
母が私の為に買ってきたガーターベルトのために発生した深刻な悩みについてお話しします。
高校の修学旅行は1963年秋東北に行きました。
写真上は小岩井農場。
十和田湖畔です。
十和田湖畔です。
高校生の私の衣類は全て親任せ、全く身につける物に関心なかったです。
さて、当時パンティストッキングは発売されていません(1968年高価で発売)。
筋目のある黒いナイロンストッキング(膝上までの靴下)を私は靴下止め(ゴムの輪)で止めてました。
修学旅行だから靴下止めは野暮だと、母はわざわざ綺麗な細めのガーターベルトを買ってきてくれたのです。そしていそいそ私の旅行カバンに詰めてくれる。
ともかくやたら手を出したがる。
私このガーターベルトの使い方にまるきり慣れない。原理だけは分かるのですが、直ぐクリップが外れてくる。
ガーターベルトとはベルトについた4本の紐のクリップで靴下を止める下着です。
それでどうした?と言われると、つまり観光どころでなく、いつストッキングが外れてくるか気が気でない。思考が止まる程の苦痛でありました。
見かねたクラス仲間の女子が、走り回ってゴム輪の靴下止めを入手してくれ、一件落着致しました。
靴下止めがどこで売ってるかも知らない、なんたら、情けない高校二年生の女子でありましょうか(´∀`)
国語の成績結構優秀でありますが、身なりや日常生活においては幼児並みです。
「これも過保護が悪いのよ」などと言っても呆れられるでしょうか?
これは、ガーターベルトのおかげで思考力を失ってしょんぼりしてる私を友達が写してくれたものです。
当時の十和田湖畔の土産店です。
つまらない話でごめんなさいね。
それにしても家のママゴン(というには可愛いい母)は夫と一人娘の全てを取り仕切ってしまってました。
なので、父は最後までお湯の沸かし方も知らないようでしたが。
蛇足ですが、世のお母様、子どもと夫がやる事は目をつぶって口出ししない方が、彼らの自立を助けるようでございますよ。