今、朝田は新幹線に乗って新しい任地に向う。
かなり辺鄙な場所である。
その地に新製品の開発工場を新たに作った。
計画が出来た時から朝田は転勤を希望していた。
総務部長の肩書きは付いたが、要するに何でも屋である。
少人数の従業員の人事経理全て引き受ける。
彼はそれ以前早期退職を考えていた。
エリートサラリーマンの妻という肩書きを加奈子は捨てたくない訳だ。
ならば、自分がエリートでなくなったら、離れてくれるかも知れない。
「惜しいよ。君この会社が好きで入ったんだろう!仕事の実績も評価してたのだが」
取締役の川辺は辞職願を引き出しの奥にしまった。
彼とは個人的付き合いもあり、朝田の悩みの概要は知っている。
「君は真面目すぎて融通が効かん。
どうだろう。しばらく離れて冷却期間を置いたら? 事態は変わると思うがね」
結局、退職願はシュレッダーにかけられ、朝田の転勤が決まった。
加奈子の好きなブティックもカフェも遊び仲間も、何もない片田舎である。
当然単身赴任である。
部長に昇格したので左遷とまで言えない。
それに工場が本格的に稼働し、落ち着いたらその県庁所在地の支店長の座が保証されていた。
加奈子だけは青い顔していた。
なぜなら、彼が全てのカードを取り上げ、毎月決まった金額しか送金しないと宣言したからだ。
カードを自由に使う生活が出来ないのである。
必要最低限の持ち物を用意し、小旅行に行く様子で朝田は出かける。
行く先は新幹線からローカル線に乗り換え、さらに山間をバスで行くところだ。
車は現地で調達する事にした。
やっと手に入れた自由は会社が誂えたものとも言える。
しかし、家を出るとは、何と心が軽い事だろう。
ブルブルとスマホが鳴る。
「行ってらっしゃい!」
さゆりからだった。
「お元気で。お世話になりました」
と返す。
さゆりともこれから、どうなるのかわからない。
未来の予測出来ないほどワクワクと面白いものはない、と生まれて初めて朝田は気付いた。
決まりきった生活とはおさらばし、やっと自由を手に入れるのだ。
彼は澄んだ高い晩秋の空に向かって、思い切り伸びをした。
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