旧満州の建築物の写真集は数多いですが、これは理工系エリートが満州の歴史を記した本としてユニークなものがあります。
1920年竣工のハルビンの旧百貨店(当時の中国建築家の手にになる)
1914年竣工の大連ヤマトホテル(日本人の手になる)
1925年竣工の旧奉天旧東北大学(張作霖設立の満州唯一の総合大学)
1936年竣工の旧新京(長春)旧満州国国務院庁舎(当時の日中共同建築)
著者は東大大学院工学部卒業後、1988年より中国北京の名門精華大学建築学院に留学してます。この当時は中国との民間交流がかなり盛んだったのですね。建築に携わる人として非常に魅力的な建物だったのでしょう。著者は後にロンドンの美術研究所に在籍しています。
幾星霜を経ても多くの美しい建築物が残っているのは、この地に天変地異が殆どなく、かつ強固な建築物だったからと考えます。
1920年竣工のハルビンの旧百貨店(当時の中国建築家の手にになる)
1914年竣工の大連ヤマトホテル(日本人の手になる)
1925年竣工の旧奉天旧東北大学(張作霖設立の満州唯一の総合大学)
1936年竣工の旧新京(長春)旧満州国国務院庁舎(当時の日中共同建築)
ハルビン、大連、藩陽、長春の位置関係は上の図の通りです(現在)。
広々した満州は当時のロシア、中国、日本にとってたいそう魅力的な土地だったようです。当時の日本人の場合大連港から入ったのです。
日本が満州に野心を持ったきっかけは、日清日露の勝利によるようです。これで組みしやすいと思ったのですね。
実はその背景に当時のロシアや中国が専制君主の圧政により民衆の殆どが貧に喘いでいた実情があります。つまり革命の寸前で、非常に弱い体制だったのです。その弱い点に乗じて各国が襲ったと感じました。
満州という国をやっと少し理解できた気がします。
日本人が本格的に満州国設立の野望を抱いたのが1920年頃で関東軍の派兵が始まります。
ここからシビアな歴史も始まったのですね。
最後に私がもっとも感動したのは表紙裏に書かれたメッセージであります。
平成10年(1998年)、親思いの娘さんはかって父が戦った満州の写真集を誕生日プレゼントに贈ってくれたのです。父の感謝のメッセージです。
お父さんの年齢から推察したものですが、さほど戦闘は激しくなかったようです。このお父さんは旧奉天当時一流のホテルに宿泊してます。幹部候補生だったのでしょうか?
父の若き日の思い出を娘が再現してあげようとしたのか、と私の想像力は膨らんでしまいました。
それから20年以上過ぎて、このお父様が鬼籍に入られたのかも知れない、娘さんも老いて捨てるよりは人に読んでもらいたい、と古本屋に渡ったのかも知れません。
観る人が幾度変われど、永遠にその思い出は建物を通して残る、ロマンを感じてしまいました。