遺産相続は一通の書留便で知らされた。
父の故郷の地方都市の司法書士からワープロで打たれた書類が届いたのである。
要約すると、M町に住む稀衣の叔父の死去によって遺産相続人を調査した結果、椎木稀衣以外の該当者が居ないという文面であった。
叔父は独身を通して亡くなった。世話をする手伝いの女性が自室で亡くなった叔父を発見したという事である。
遺産相続該当者の一覧がコピーされて、一読して稀衣以外の人物は全て故人となっていた。
遺産の詳細は再度連絡する。負債は一切無い。疑問点が有れば下記に連絡、という事で事務所の住所が記載されている。
「という事は行方不明になったと思い込んでいた父親はもうこの世に居ないという事か!」稀衣は愕然とした。
稀衣は佐野智宏という叔父と一度も会った事がなかった。父智樹は実家とソリが合わず、大学進学で上京後、連絡を絶ってしまったらしい。
結果、実家は唯一の兄弟、智宏が継ぐ事になった。土地の豪農だった佐野家と父は一切縁を切ってしまったのである。その裏に高校時代に父の初恋の相手だった女性との仲を無理矢理断ち切られた怨みがあったらしい。一番の理由が身分違い(昔の小作人の娘だったから)という事だった。
大昔のそんな身分制度など、あった事も知らない稀衣にとって、父がチラッと漏らした初恋は御伽話の中の出来事のようだった。ただ、父にはかなり純粋でロマンチストの面があったようである。それが騙されて多額の借金を負う結果となったのだろう。
稀衣はしばらく目を閉じて回想に浸っていた。
マイホームパパとは程遠い父親だったが、それなりの思い出がある。
夏休みに珍しく親子三人で海水浴に出かけた。あの日の海、キラキラ光っていた、、。
閉じたまなこからしばらく涙が溢れて止まなかった、、。
母方の苗字を継いだ稀衣であるが、自分でも母親より父親に類似した性格であるのを感じる。
顔も知らない叔父が生涯独身だったと聞くと「さもありなん」と思う。「多分夢が多すぎて現実が受け入れられないんだわ」
それはともかく、自分一人しか佐野家の財産を継ぐ者が無い事は事実である。
図書館で稀衣が法律書を読んだところによると、確かに兄弟の子ども迄法定相続人になっている。
ただ負債は無いと言うが、一体どの程度の遺産が残っているのか?
旧家の名前だけで生きているような金銭感覚に薄い佐野家の人間が隠し財産を持っている事など想像できない。
ひょっとして売るのが困難な田舎の家ではないか?大きな家だろうが、当然古いだろうし独身という事で手入れも疎かになっているだろう。
享年55歳の叔父は定職に就いていたのだろうか?
いずれにしても、古い家の処分がついて回るだろう。
稀衣の想像力はおよそロマンチックでないところでたゆたっていた。
ただ、突然の遺産相続の話のお陰で、彼女は憂世のドロドロした人間関係からすっかり解放された気がしてきた。
司法書士の田貝が稀衣のアパートを訪れたのは、その2日後である。