日本全体が好景気に包まれていた頃、仙台の小さなスナックで一人の女性が働いていた。
歳は36歳、決して若くはないが、憂いを帯びた美しい女である。
名を田島百合子という。
夫と別れ、たった一人の男の子を置いて、東京から初めて住む仙台の街に来た。
決して過去を語ろうともせず、ひっそりと慎ましやかに暮らしていた。
百合子を目当てに通う客はいたが、至って身持ちは堅かった。
十数年後、彼女は病のためにたった独りで自室で亡くなった。
親切で人情味のある経営者の宮本康代は、身寄りのない彼女の葬儀の手配をしてやる。
気にかかるのは別れた息子への連絡である。
彼女は店の客の中でたった一人心を許した男がいた。
綿部というその男は息子の住所と名前を教えてくれた。
息子は加賀恭一郎、警視庁捜査一課に勤めていた。
何故か、その事を伝えた後に、綿部は姿を消してしまった。
百合子は嫁いだ家で特別困難な問題があった訳でもない。
夫も子供も百合子を心配していた。
しかし百合子は何も語らず、まるで一人で罪を負うかの様に寂しく貧しい部屋で亡くなっていった。
そんな百合子と深い付き合いをしていた男、綿部も自分について何一つ語らず、百合子の死後姿を消した。
人の好い宮本康代はそれを気にかけていたが、時の流れは全て押し流していく。
十数年後、東日本大震災が起きた。
その後、東京で起きた殺人事件を、加賀恭一郎が探る。
それはあの綿部とも深い関わりのある事件だったのだ。
この作品は2013年に刊行されている。
悲惨な大震災が起きてから暫く、ようやっと人心地がついた頃だろうか。
しかし、震災によって人の命も魂も生活も流し去られ押しつぶされたとしても、人の過去は消えない。
これは忌まわしい過去を持つ事によって、本当の自分を押し隠して生きていかねばならない人の物語である。
人間は時として、単なる善意や理性で解決できない状況に陥る事がある。
その解決を、東野圭吾はかっての様にぐさりと解剖しない、ありのままを提示するだけである。
加賀恭一郎というキャラクターが登場してから、初期の東野圭吾の作品にあった悪魔性や残忍性は全く見られない。
それは、単に作家として成功を収め、人格が丸くなったからだとは思えない。
歳を重ねて、ドライに悪を捉えて割り切る事の残酷さを突き付けられたからではないか?
当事者として死や別れに遭遇すると、虚構の殺人についても別の見方が出来るのではなかろうか。
冷淡に犯人の過去を暴き抜く代わりに、「祈り」が来るのかと思う。
作品を読んだ後、何故か、同じ作者の『白夜行』がしきりと脳裏に浮かんだ。
どうしようもない理由で、過去に犯した罪の為に、身を潜め逃げ回る男女の姿がオーバーラップしたのだ。
ただ、親子の闇、夫婦の闇、を描く点は『白夜行』と同じであるが、この作品を見つめる作者の目線が違うと思う。
穏やかで広くなっている。
卒業した人の目線だなと思った。
それにしても、さすが理系の人で、東野圭吾の作品は一貫した筋が通っていて読みやすい。
良い意味で、それだけ靄った部分がないのだろうと思う。
読んでいただき心から感謝です。ポツンと押してもらえばもっと感謝です❣️
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