節目の選挙も終わり、一気に時雨(?)のような小雨の降る当地。
終わってホッとはしましたが、更に混沌としてきた日本でございます。
こんな大袈裟な話をするより、又お話作りを始めた方が自分には良いみたいです。
昔のblogの焼き直しで申し訳ないですが、又upいたします。
読んでいただければ幸いです。
荏田卓が高ニの春、母は病の床に就いた。
早期癌と診断され、後の検査でかなり進行した悪性の癌である事が分かり、一家は混乱に陥った。
母は癌専門病院に入院して、それまで卓が当たり前に享受していた日常生活がぼろぼろ崩れていった。
家事には全く疎い父親と、年の離れた弟、入院した母、受験を控えた卓の肩には重過ぎる荷物だった。
もともと無口な卓だったが、一層寡黙になり好きだった野球部の練習に参加する事もなくなった。
好野手だった男らしい彼に女性ファンが校内に多くて、連休明けの朝から、卓にファンからの励ましのメッセージが届いた。
杉野愛もその一人だった。
卓に会いに来たその時も、愛は八重歯をのぞかせ可愛い笑顔を見せていた。
頬が染まって丸い目がキラキラ光っていた。
それがやけに生臭く見え、卓は言われのない嫌悪を覚えた。
「それからこれ、、」
愛は学生鞄から小さな包みを出した。
「何ですか」
「これ病気回復の御守りです。よく効くんですって」
「わざわざ君が貰ってきたのか?」
愛は恥ずかしそうに頷いた。
「要りません。余計なお世話だよ。僕は迷信は信じない事にしてるから」
疲れていた彼はサディステックな気分に陥って、もっと残酷な言葉を急に萎れた花のような顔に変わった愛に投げかけたかった。
卓にとって今欲しいのは自分一人の時間だった。人間同士のしがらみや繋がりを断ち切って、将来の自分の為に受験勉強に集中したかった。
卓は、頭は切れるのに要領が悪い為うだつの上がらない父親を見て育った。
彼には、「世間的な成功や金」、をまるで汚いものの様に捉える父がひどく馬鹿げて見えた。
己の能力について正当な対価を得る権利がある。
それには、肩書きや地位が必要になる。
ナルシストと言われようと、理屈で割り切る事の出来ない曖昧な「愛情」などクソ喰らえと内心考えていたのだ。
まず一流大学に入り成績を伸ばして、給与の高い大企業で働く、そのための受験勉強がしたい、内心卓はそう考えていた。
今迄自然に享受していた家族の繋がりさえ、一度歯車が狂うといかにも面倒くさく思えたのである。
卓は女を知らない、「それが何だろう、単に粘膜の触れ合いに過ぎない、動物だって出来ることだ」と己自身に思い込ませていた。
冴えない父に従順に従う母に対する屈折した思いがあったのかも知れない。
「目の前の可愛いらしい女だって、所詮無力な雌だ」卓は冷たい目で愛を眺めていた。
そんな彼の心中は知らなくても、あまりの対応に一瞬フリーズした愛は、「そうですか、すみませんでした」と低い声をあげて、逃げるように去っていった。
何故か同時に、激しい風が音を立てて心を吹き抜けたのを卓は覚えている。
その冬、母が亡くなった。
覚悟していた事だったが、卓に与えた影響は大きかった。
卓に甘い母親で、彼はかなり我儘に振舞っていたのである。
「未だ若いし、あんなに元気だったから」とたかを括って、病床の母に随分辛く当たったのが、今さらのように悔やまれた。
ふくふくした大柄な体が、見る影も無く哀れに痩せて、打ち捨てられた老人の様に惨めに変わった母の遺体が、卓の目に長く焼きついて何も手につかなかった。
卓がやっと自分を取り戻したのは、受験に失敗した後である。
卓の父は仕事後も付き合いで家を空ける事が多かった。恐らく忘れてしまいたい事が多過ぎたのだろう。
帰宅して、気にいらぬ事が有れば暴力を振い出す父を見兼ねて、親戚、主に母の弟妹が動き出した。
弟の弥は子どもの居ない叔母に引き取られ、卓は家の近い叔父の助言で三畳一間のアパートで一人暮らしを始めた。幸い食事などの世話は叔父の妻がしてくれた。
かなり貧しい暮らしになったが、卓はようやく一人の時間を持てるようになった。
彼は一浪して、やっと第二志望の大学の理系に入学する事が出来た。
時が過ぎ、成人式の後、高校のクラス会が開かれた。仲の良いクラスのほぼ全員が集まった。
進学校で落伍者がほぼ0というのが自慢のクラスだった。
皆和やかな表情で、高校時代のノリそのままに、おおっぴらに酒が飲める、という事で、賑やかな宴席になった。
「おい、杉野はどうした?杉野愛欠席か」
ひょうきんな声を出したのは、卓と同じ大学の文科に現役入学した坂下である。
声と裏腹に心配そうな顔をしていた。
「そうなの、病気なんですって」
鮮やかな色の口紅を付けた叶美世が告げた。
「どこが悪いの」
「分かんない、お母さんから電話があって残念だけど欠席ですって」
「この前見かけた時、全然変わり無かったけどな」
卓も、杉野愛が志望の大学に入って、張り切ってるという噂を聞いてはいた。
愛の明るい笑顔と純情そうな言動が、一部の男子にかなり人気があったらしい。
話題はすぐに変わって、一同は又和気藹々と酒を呑みおしゃべりを交わした。
卓も久しぶりにハメを外す気分だったが、愛の話はどこかで引っかかるものがあった。
亡くなった母を含めて、自分が女性全体を一段低く見ているのを自覚はしていた。
彼は、愛が多分純粋に心配して入手した守り札を邪険に断った事を妙に悔やんだ。
別に愛に特別な感情を持つ訳でもない、女に対して特別な感情を抱く事は当分ないだろう、世間から自分を認めてもらいたい、それが先だ。
自負心の強い卓はそう考えていた。
それでも愛の事が何処かで引っかかる。
同窓会でも元気に青春を満喫してるらしい愛を見て、気取りなく対したい、その時卓はそれだけのつもりだった。