晩秋の朝、世田谷区内の静かな町を散策していました。
かって住んでたこの町の商店街の道は都内の住宅街のメインストリートにも拘らず、目まぐるしい世の中を離れた雰囲気が漂っています。
商店街の一角に小さな古本屋さんがあって、早くから店を開けてました。覗いてみました。
そこで見つけたのが、この本
『スマホを捨てたい子どもたち』(!)でした^^
この本が世に出たのが、新型コロナ大流行の2020年6月、そして7月に第3刷が発行されてる。
著者は京都大学総長、霊長類学人類学者です。1952年東京都で生まれた方。
手に取った瞬間、「喜んで購入した読者は、子供達の保護者じゃなくて、保護者の親世代なのではないか?」
と私は思ってしまいます。
そして、、、しかし喜んで購入いたしました。
「格差が増大している今の状況をこのまま放置しておけば、ディストピア(ユートピアの反対、絶望的社会です)になる可能性も大いにあります」(本著より)
著者の考えるディストピアとは、ごく少数のエリートが富や権力を握り、残りの人々は思考力を失って重労働を強いられる世界の事です。
そういう社会にならない為に、これから「平等社会というだけでなく、一人一人違う個性を持つ」というコンセプトを持つべきだ、と
書かれてます。
スマホを通じて画一的情報だけを信じる事に警鐘を鳴らしてるのです。
😂ここら辺で情報発信する側を批判してる内容と受け取られた方もいたみたいですね。
誤解です。つまりスマホに使われず(?)情報の正否を判断した上で使った方が安全という意味です。誤解なきよう。
著者は人間も生物の中の一員であり自然の中で生きる野生を持つ、という点からスマホだけで人が繋がれた社会を危惧されてる訳ですね。
「平等な社会」とはとても美味しい言葉であります。しかし、みんながみんな同じ性格傾向、考えを持っている訳ではないです。
それを知る為にも、スマホに頼り過ぎない、リアルにお互いに共感できる社会が必要だと言うのです。
😒ただし、この本はしばらくすると全く売れなくなってしまったようです、、。
上の写真は鬼子母神に近くにあった古い家です。
実は2014年にある哲学者が古い民家を改造して、日本の古くからある慣わしや生活習慣を一般の人に知ってもらう家とされたものです。
コロナを経て、感染防止の為訪れる人もなくてすっかり寂れ、朽ちかけたこの家の佇まいは非常に寂しいものがありました。
古い一般家屋は、治安の為にもいつかは処分されてる運命にあります。
しかし、今はビルが立ち並ぶ均一の社会と婆さんは受け止めてます。
スマホを操るつもりが、操られる人間にならない為にも、それぞれが自分の頭で考えていく世の中になって欲しいですね。
自分の頭で使いこなせるスマホであれば、これほど便利なツールは無いと私は思ってますよ。念の為。