未だ私が学生の頃、アメリカの田舎町に行った夢を見た。
かなり年代を経たレンガの壁と青々とした樹木が印象的だった。
別にアメリカでなくても、神戸や横浜の外人屋敷で見かけそうな光景である。
多分、幼い頃見た神戸の街の光景が瞼に焼きついていたのだろう。
ほんの一時期幼児の私は神戸の鈴蘭台という街に住んだ事があったからだ。
何故それがアメリカと結びついて、時代を忘れた様な昔の光景かと言えば、その頃読んだ童話が影響してたのだと思う。
『トムソーヤの冒険』は牧歌的なアメリカのとびきり悪戯な男の子の物語で、読んでるとその国で住んでる気になった。
きっと遠い未だ見ぬ所への憧れが何時もあるのだろう。
外資系の会社に勤め出した頃、英語で話す夢を見た。
それも、アメリカなら何処にでも有りそうな店で飛び切り甘いケーキを食べながら喋ってる夢だ。
この夢を見た後、ハワイへ行ってアイスクリームを食べたのだから正夢と言える。
香港やシンガポールに旅行する前は極彩色の寺院の夢を見た。
父親が南支で兵役に服して、昔の中国の建物が写真に残っていたからかも知れない。
この様な予知夢は、フランスで途切れた。
夢はフランスに着き向こうのトイレで閉じ込められ難儀をしたという変なものだ。
そこでフランスの光景は出て来ない。
私は夢の中でもフランスの街へ入る事が出来なかった。
その頃友人がフランスで働き盛んに遊びに来ないかと言っていた。
行こうかどうか迷いがあったので、そんな夢を見たのだろう。
このフランスの夢を最後に私の外国旅行は終わった。
バブル期で決まった収入も得て、世界旅行した友人も居たが、私はちっぽけなマンションの購入に夢中になったからである。
異国は手の届くところにあったが、自分から手を離したのだ。
私の中のアメリカもヨーロッパもアジアも、かなりセピア色した古き都ばかりである。
それは『嵐ヶ丘』や『小公女』、『風と共に去りぬ』、『阿Q正伝』の昔の情景である。
ただ、私の異国を感じたいという夢は、今現実になっている。
なんという僥倖であろう、今、SNSにおいて異国の人々と交流している。
我ながら、嘘でしょう、と言いたい。
遠い海の彼方は小さなスマホの画面から微笑んでいる様である。
ただ、外国の人が異国の人とは最早思えない。
私にとって異国とは、何も世界の何処かと限らない、日本の中でも見る事の出来ない遠い昔の光景なのかも知れない。
SNSやブログで交流する人々の多くに共通するのは、ひょっとしてノスタルジックな風物への憧れそのものかも知れない。
それは誰もが持つ甘い切ない風景なのだろう。
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