私は長いこと『理由』を「わけ」と読むのだとばかり思っていました。
正しくは理由があるの「りゆう」です。
世間的な訳でなく社会的な理由として名付けたのではないでしょうか?
1999年、直木賞を受賞したこの作品に、宮部みゆきは最初から思い入れを込めてます。
「わたし自身にとって、ある時期の現代ミステリのけじめとなる作品」と読者に向けた後書きで明らかにされています。
私が気付いたのは、『理由』では下町人情を背景に描かれたそれまでの作品に居た等身大の彼女を消してる事です。
これは、理不尽な世間の風に即鋭敏に反応するのでない、その時代を客観視して分析する第三者の立場で描く作品です。
バブル崩壊後、より一層の値上がりを見込んで資産として購入した不動産が信じられない程値下げされたのは周知の事実です。
その事によってせっかく手にした夢のマイホームを手放した上に多額の借金を背負う庶民が続出しました。
人の心も荒れ、目標の為に一つになっていた家族の崩壊が目に見える形で起きたのもこの頃です。
この作品はこの悲劇を核として描かれてます。
東京荒川区の一際美しく新しい超高層マンションで凄惨な一家殺人事件が起きました。
しかし、この一家はそれぞれ他人で、このマンションの部屋の持ち主は居ないも同然でした。
これはバブルが崩壊してローンが払えなくなった為競売物件になった部屋でした。
何故この部屋に全く関係ない4人の人間が住んでいるか?何故誰も気づかなかったのか?どうして殺されてしまったのか?
如何にも家族に相応しい年齢性別の4人はどんな形で知り合いになったのか?
この何故を解く「理由」が感情を抑えた形で説明されていきます。
宮部作品らしい人情味のある家族の場面が織り込まれて、事件のおぞましさの印象を柔らかくしてます。
それでも、この作品で描く、変わりつつある家族観、家族の断絶と憎悪はかなり怖いものがあります。
偶然、家族の問題ばかり扱う書評となりましたが、これは意識して選んだのではありません。
ただ、向田邦子、井上ひさし、の時代と宮部みゆきの時代の家族観は明らかに違う事をひしひしと感じました。
前者は複雑な事情を抱えても家族の形を保って家族単位のコミュニティがになっている社会ですが、宮部さんの時代から家族崩壊、コミュニティの変貌が明らかになって来ました。
これは単に貧困が起こした悲劇ではないですよね。
何故なら向田邦子の時代、井上ひさしの時代の方が人々の貧困度は高かったからです。
ここらでちょっと一服してミルクゼリーをいただきます。
甘く優しく癒すものはお腹だけでなく、心が求めているのでしょうね。
特に今の時代。
コロナ禍になって、巣ごもりを守る程に見えて来た世の中に対するストレスを癒すには本著は重すぎる印象があります。
読了するのは辛いけど、綺麗事で終わらせてならぬ事は明らかにしたいと思います。