私は長く勤めた会社を辞めた後に脚の手術を何度かした。
気がついたら50歳を過ぎて、経済的不安は大きく、派遣で働く事になった。
丸の内の一流企業で張り切って勤め始めたが、全く冴えなかった。
仕事も人間関係もギコギコと歯車が食い違って辛い毎日だった。
自分がひどく惨めで、帰途東京駅の構内を暗い顔して歩いてると、当時小じめの書店があった。
文庫本を捲ってる内に吸いつけられる様に藤沢周平の著書を手に取った。
会社帰りの私は毎日の様にこの本屋へ通い、藤沢周平の文庫本を買った。
作品の中の人物は皆どうしようもない不幸を背負っている。
それを無理矢理振り払う事をしないし、優しい眼差しを失わない。
何処かで救いが待っていて、読者はホッと安らげる。
辛抱が足りなくて会社は辞めたが、この読後感の癒しが欲しくて私はその後も藤沢作品を読み続けた。
今思うに此れ程弱者を見る目の優しい作家も珍しいのではないか?
それは彼自身が弱者である苦しみを嫌という程味わったからだろう。
写真は藤沢周平の書斎だが、余計な物が無くて簡素なのが如何にもと思う。
本当に質素な人だったそうだ。
彼は愛娘、展子に「普通が一番」を望んだ。
彼自身は決して普通の半生を歩む事が出来なかったからだろう。
彼は、戦後間も無く当時死病と言われた肺結核に罹った。
助かったものの、当然それから選ぶ仕事も体力的に限られる。
勤勉に勤め、家庭を持ち子供に恵まれたばかりで、彼は妻を亡くす。
彼の文才を信じていた愛妻悦子は享年28である。
「砂漠への出発。この現実を受け入れなければなるまい。、、、生きるということに何の喜びがあるわけでもないが、展子がいるから、生きて展子をみてやらねばならない」
藤沢周平の遺した手帳に書かれている。
本質的に責任感の強い真面目な人なのだろう。
そして、彼は亡き妻の期待に応える為にも、そして当選の賞金で墓を建てる為にも、勤めを持ちながらオール讀物の新人文学賞に挑戦する。
幼い子供を抱えて寡の、愚直にも見えるひたむきな毎日。
恐らく藤沢周平は、寂しく当ての無い思いを何度も抱いたろうと思う。
この思いが後の珠玉の様な作品を生み出したのだろうと私は思う。
新人賞は藤沢周平が再婚した後に取った。
「再婚は倒れる直前に木にしがみついたという感じでもあった」と彼は言っている。
多分ごく普通に営まれる家庭生活は、人の救いになる場所なのだろう。
私は藤沢周平の作品の中の言葉に何度も救われた。
今改めて読んで、再び救われる思いの言葉を紹介する。
「しあわせなやつらが、ふしあわせな人間を嘲笑っている、と嘉吉はその家から聞こえて来るどよめきを聞いた。
世の中には、しあわせもあり、ふしあわせもあると考えなかった。
いましあわせな者もいつまでもしあわせではなく、ふしあわせな者にもいつかしあわせが巡って来るかも知れないという考えは思い浮かばなかった」
『はしり雨』より
不幸の真っ只中でも自分一人だけが不幸である訳もない。
真正面から不幸を叩こうといきむより、捉え方を変えると楽になるかも知れない。
私は不幸とは思わないが、何とか今より幸福になりたいと焦る癖が未だに抜けない。
間を置いて「のほほん」として見る。
藤沢周平が娘に言ったこの言葉に人生の知恵があると思う。
因みに、『はしり雨』の主人公に藤沢周平は小さな幸せを暗示して物語は終わる。
読んでいただき心から感謝です。ポツンと押してもらえばもっと感謝です❣️
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