韓国ドラマは哲学的感性を刺激する

韓国ドラマ、IT・デジタルなこと、AIなどと並んで哲学に関する事柄や、よろずこの世界の出来事について書き綴ります

その場にふさわしい振舞い~TPOをわきまえる

2020-12-13 22:09:58 | エッセイ
 昨日、菅首相がネットの番組に出演した際、冒頭の紹介場面でおどけてみせたことが話題となっています。ただ、いい意味での話題ならいいのですが、実際は正反対でその場にふさわしくない振舞いだったという批判の声が出ています。

 また、インタビューの受け答えの際にニタニタしていて気持ちが悪く、不愉快であったとも言われています。

 どちらも菅首相にしてみれば視聴者へのサービスあるいは親しみをもってもらいたいという思いからくる行動だったのかも知れませんが、残念ながらそれが逆効果になってしまったようです。

 読者の皆さんの中にも、言動や服装のTPOで失敗した経験がある方は少なくないのではないかと思います。今はネットがあるのでTPOについて調べることは簡単ですが、逆に情報量が多すぎてどうしていいのかわからなくなることが少なくありません。

 TPOやマナーにうるさい人の基準に合わせると、非常に行動に制約を受けることになり、窮屈な時間を過ごすことになってうんざりしてしまったりします。

 日本人は一般に周囲の人に合わせようという傾向が強いので、振舞いや服装が不適切で白い目で見られたり、ばつの悪い思いをすることを極力避けようとします。

 菅首相は、その庶民的な経歴からわれわれ一般的な国民のことをよく理解してもらえるのではないかという期待があったがために、よけいに今回のようなことになってしまったのかもしれません。

 いかに出自がわれわれに近くとも、30年も永田町の政治の世界に身を置いてしまうと、一般の人間が考えていることや求めていることがわからなくなってしまうという、典型的な例なのかもしれません。

 「裸の王様」、あるいは「空気が読めない(KY)」という表現が思い浮かびました。どちらもTPOをわきまえることができないということを表しています。ただ、このくらいならまだお互いの住む世界はそれほど離れてはいないはずです。

 問題は「狂気」となってしまった場合です。TPOの話題からいきなり狂気という言葉が出てくるのは唐突かもしれませんが、結局究極のKY、あるいはTPOをまったくわきまえられず勝手な言動を為すことが狂気なのですから、この状態は今回の事態の延長線上にあると言えます。

 ひとり狂気の世界に入ってしまった人間は、周囲にいる者たちとまったく意思疎通ができなくなり、その場にふさわしい言動を期待することもできなくなります。

 これからの日本の政治の歩みが狂気の道に入ってしまわないことを祈らざるを得ないのは、私だけではないはずです。そのためにも、言うべきことは言い、決してあきらめないことが必要だと思います。

「私に乾杯~ヨジュの酒」をみる

2020-12-13 21:53:10 | 韓国ドラマ
 「私に乾杯~ヨジュの酒」というドラマをみました。これは、韓国版「ワカコ酒」にあたります。オリジナルの日本版を全部みている私としては、大いに期待しながらみることになりました。

 しかし、第一話で武田梨奈さんがゲスト出演して「ぷしゅー」をやってくれたにもかかわらず、私はこのドラマをあまり好きになれませんでした。

 一話23分で10エピソードしかないので昨夜一晩で全部見終わってしまったのですが、第一話で味わった残念な気持ちは変わりませんでした。

 あまりここで詳しくストーリーを話すとネタバレになってしまうので、詳細は語りませんが、韓国版はオリジナルのフォーマットだけ採用して、中身は普通の韓国ドラマの作りになっていたのです。

 ドラマとして面白ければいいだろうと言われるかもしれませんが、それでは何のためにオリジナルの版権を買う必要があったのかという話になると思います(ドラマのエンドロールのクレジットは、漫画版の原作になっていました)。

 具体的に一番違和感を感じる点は、主人公が呑んだり、食べたりするシーンが時間的に短く、かつその行為そのものがドラマのテーマになっていないのではないかと私には思えました。

 主人公は毎回いろいろなお酒と料理を楽しむという点ではオリジナルと同じですが、その呑み食いの部分が随分と軽く扱われてドラマ全体のストーリの中心になっていないように思えるのです。

 オリジナルのワカコは、とにかくおいしいお酒と料理に目がなくそれを幸せそうに楽しむというのがこのドラマのテーマなのに、韓国版では呑み食いのシーンよりも、それ以外の種々の出来事がメインで描かれているのです。

 日本版では、呑み食い以外のシーンはあくまで呑み食いに至るまでの導入のような形で描かれているのですが、韓国版ではそれが全く逆転してしまっていると強く感じました。

 韓国版のオフィスのシーンなど、日本版に比べると明らかにお金がかかっていることがわかりますし、主人公が食する料理もおいしそうなものばかりなのに、こういう印象を抱いてしまうのが極めて残念です。

 このような結果になったのは、国民性の違いなのか、単に韓国版の制作者の独自の考えなのか私にはわかりませんが、「ワカコ酒」へのオマージュにしたいのなら主人公の女性が本当においしそうに呑んだり、食べたりするシーンを中心に描いてほしかったです。

 オリジナルにこだわりのない方がみる分には、ここで述べたこともこのドラマの欠点にはならないかもしれません。韓国ドラマは一話当たりの正味の時間が1時間5分から10分くらいというものが多い中、こちらは23分で全10話なので気楽にちょっとだけ韓国ドラマを楽しみたいという方にはお勧めします。

美しいものをみること~真善美の価値

2020-12-13 21:51:43 | エッセイ
 今日のお昼ごろスマホでニュースをチェックしていたら、たまたまJAXAの國中所長の会見を見る機会がありました。その会見を見て、私はいつの間にか涙を流していました。表面上はそんな内容の発言があったようには見えないはずですが、國中さんの言葉は私の心に深く染み入りました。

 今年のコロナウイルスの流行が始まった頃から予定通りカプセルの回収ができるのか、検討と決断を迫られたことについてお話をされていました。コロナ流行がなければこのプロジェクトを支援してくれるたくさんの企業や支援者たちと一緒にイベントを開いて、このオーストラリアでの回収作業を盛り上げようと予定していたとのことです。

 しかし、状況が変わって商業的なイベントの類を実施することはふさわしくないという気持ちが強くなり、回収スタッフのオーストラリア入国さえ危ぶまれたので、そのようなイベントの類は行わないことに決めたそうです。

 國中所長は、とにかく今回のプロジェクトで何が一番大切かをもう一度思い返し、オーストラリア政府に回収スタッフの入国を認めてもらい、回収作業に協力してもらうために何をすればいいかについてだけ考えるようにしたそうです。

 もしも、こんな時に商業的なイベントにこだわったり、そこから生ずる利権に気を取られたりすれば、オーストラリア政府の信頼も得られなかったでしょうし、なにより、はやぶさプロジェクトのスタッフを失望させてしまい、回収作業に大きな負の影響を与えてしまったかもしれません。

 國中所長はそんな目先の利権やしがらみにとらわれず、そのとき何が一番大切なのかを思いかえすことによって、プロジェクトを成功に導いたのです。こうして文章にして述べてみるととても当たり前のことのように思えて、それの何に涙する必要があるのかと思うかもしれませんが、最近の世界的な状況のなかで、こんな当たり前のことが正しく行われたことが深く心を揺さぶることになったのです。

 未知のウイルスの蔓延、韓国や中国をめぐる国際関係上の問題、そして国内の政治事情に対しての大きな失望感等々、気が滅入ることや話題しか目にすることがない中に國中所長の言葉はとても美しく感じられたのです。

 形而下のことがらばかりにかまけて、「真善美」といった形而上的なものに思いをはせる機会が極端に減ってしまった日常生活の中で、このような経験ができたことをとてもうれしく感じます。

 このような素晴らしい人物が日本の科学技術を引っ張るリーダーとて活躍しておられるのは、本当に心強いことです。そのことがまた、日本の強みであると思います。目先の利権やしばらみばかりに目がいき、そこから抜け出せないような人物は人の上に立つ資格がありません。

 たとえ困難な決断でも、何が一番大切なことかを見失わずその時すべきことを恐れずに実行することこそ、この世界を正しい方向に導いていくことができるのです。今の国内外の政治状況やその他起きていることを眺めるにつれ、正しいことを実行するのがとても難しいことに思えます。

 今日の一件はリーダーにどんな資格が必要なのかを改めて気づかされたことに、価値があると思います。経済的な価値が一番、お金が神様になってしまった現代で、理想や、理念など青臭い事柄を口にするのも恥ずかしいと言われるかもしれませんが、その青臭いと見下す下劣な品性とものの考え方こそ、この世から駆逐されるべきものなのです。

国民の声を聞くということ~韓国時代劇に学ぶ

2020-12-13 21:48:49 | エッセイ
 現在コロナウイルスが猛威をふるい、感染者数が抑えられない状況になりつつあるようです。医療現場の過酷さが連日報道されているのを、これからどうなるんだろうかと見守っている方は多いのではないでしょうか。

 こんな中、政府の分科会の尾身会長がGoTo政策を一時的に停止すべきだと提言しても、政府が聞き入れないという報道がなされています。

 たしかに、今の感染者の大幅な増加の原因が100%GoTo政策であるとは言い切れないとしても、コロナウイルスの性質からして、人が広域的に移動することによって感染が広まるのは自明のことだとわかってきているわけですから。政府ももう少し耳を傾けたほうがいいのではないかと思われる方も多いかと思います。

 韓国時代劇では、王様がお忍びで街へ出かけて行き民の生の声を聞くというシーンが必ずと言っていいほど出てきます。このようにお忍び、隠密で行動することを「暗行(あめん)」といい、王様が地方の情勢を探るために遣わす密使のことを「暗行御史(あめんおさ)」ということを、韓国時代劇ファンの方ならご存じのことと思います。

 韓国時代劇はあくまでフィクションであって、ドラマで描かれているようなお忍び行動が実際にどのくらい行われたのかはわかりませんが、暗行に出かける王様は実に生き生きとして、酒場に出向いて一般の民と酒を酌み交わして楽しいひと時を過ごすシーンが特に印象的です。

 目の前にいるのが王様だと知らずに(知る由もないですが…)、王様の悪口を言う人物がお約束のように登場し、後に自分が酔っ払って絡んだり、小突き回した人物が王様だと知り大騒ぎになるというシーンがありますが、これは典型的な韓国時代劇あるあると言えると思います。

 実際の李氏朝鮮は両班(ヤンバン)階級や王族のやりたい放題の結果、衰退し滅びてしまうわけですが、ドラマの中の暗行のシーンは、ドラマ制作者の願望、王様はこうあってほしいと気持ちの表れなのではないでしょうか。

 翻って、現在の日本の為政者たちの行動はどうでしょうか。せめてドラマの中の王様のように街へお忍びで繰り出して、民の声を聞くだけでも聞いてほしいと思うのは私だけでしょうか。

 生の民の声を聞かないどころか、自らの利権を維持するために、あるいは特定の支援者の意向に逆らえないがために有効な政策を打ち出せずにいるとすれば、何のため、誰のための政治だと言えるのでしょうか。さっさと顔でも洗って出直してこいと言いたくなるのは私だけでしょうか。

 政治家は大義のためなら少数の犠牲は仕方がないとか、清濁併せ呑むことこそ政治家の理想だといいたがりますが、それは、本人たちの日頃の行いが正しいものであるかということにかかっていると思います。

 自分たちだけの大義や、濁ったものしか呑み込まないような人物に政治家の資格はないと思います。今の世相をもっと敏感に感じ取って、正しい道に国民を導いてほしいものです。

コロナウイルスに思う~正解のない問題を考えるということ

2020-12-13 21:47:32 | エッセイ
 もう12月も半ばですが、世界各国でコロナウイルスがますます猛威をふるっています。皆さんご存じの通り日本も例外ではありません。各地で医療機関の負担が増え、このままでは医療崩壊が起こると連日報道が続いています。

 こんな中、感染拡大の大きな原因になっているのではないかとGoToキャンペーンがやり玉にあげられています。このキャンペーンのおかげで旅行業に携わる人たちの生活がなんとか維持されている半面、人が各地で移動するわけですから、感染拡大の大きな原因ではないかと疑われるのも当然のことでしょう。

 もし、GoToキャンペーンがはっきりと感染拡大の原因だと証明されるのであれば、これを即座に停止するという決断ができるのですが、悩ましいことに現実はそうではないということです。

 もしかしたら原因かもしれないし、そうでないかもしれない。これでは、キャンペーンを停止した場合、何とか生きながらえていた観光業の人たちの生活までもが苦境に陥ってしまうわけです。

 万が一そんなことになった場合だれが責任をとるのかといわれてしまうと、停止の判断をするのも容易なことではありません。

 こんな風に、全く正解が見えない状況で何とか正しい道を選んでいかなければならないというのが現状なのです。必ず誰もが認める正解があり、それを探し出しさえすればいいという問題解きではないのです。

 為政者のことを批判することは簡単ですが、それをする前に自分ならどうするかということに思いを巡らせてみることも大切なことではないでしょうか。

 少なくとも、目先の金勘定にこだわるよりもできるだけたくさんの国民の理解が得られる手段を見つけて、反対、批判する人々を説得していくこと以外、対処する方法はないのではしょうか。

 為政者を批判する人たちは、それぞれの立場、考え方を根拠にして自分たちの意見を述べています。どの人たちの意見が正しいか、あるいは間違っているのか問題の渦中にいる間は判断できないことも多いのです。

 何が正しかったか、すべてが終わってからではないと判断できないなら、そのような状況の中、為政者のできることはいろいろな立場の人々の考えに耳を傾けて、現時点で何がなされるべきか優先順位をつけ、国民にその理由を述べながら必要な対策を行うのが、唯一正しい道だと思います。

 国民全員の賛成が得られる政策などないのですから、できる限りの説明をすることによって、その政策を今なさなければいけない理由を示して理解を求めることが何よりも大切です。そのような地道な努力を怠らないことが、政権の信頼性、支持率を保つのに必要なことだと思います。

(※2020/12/12 末尾を修正しました) 

「おひとりさま~一人酒男女~」…「ヨジュの酒」つながりで

2020-12-13 21:45:17 | 韓国ドラマ
 先日、ドラマ「ヨジュの酒」の話題を取り上げましたが、このドラマと同じようなテーマを扱う「おひとりさま」というドラマについてお話したいと思います。

 「ヨジュ」は、「ワカコ酒」への一対一のオマージュでしたが、「おひとりさま」に直接対応する日本のドラマがあるかは私にはわかりません。ただ、かけがえのない一人の食事の時間を心から楽しむというテーマは、「孤独のグルメ」に通じるものがあると思います。

 もっとも、「孤独の」の主人公の五郎さんは全くの下戸なのでお酒を楽しむシーンがない点が大きな違いがあると思います。一人で食事をすることにネガティブな印象がある韓国で話題になり、韓国ロケまで行われるほどの人気であることは、ご存じの方も多いかもしれません。

 「おひとりさま」は、韓国の公務員試験予備校が舞台のドラマで、そこの講師と生徒たちが登場人物になります。ネタバレにないますので詳しい内容は書けませんが、それぞれの登場人物たちが日々過ごす中、つらいこと、楽しいことを経験したときに一人で味わう酒と食事が中心テーマになったドラマです。

 食事シーン以外は、ごく普通の韓国ドラマの構成で主に恋愛ネタが中心になって、韓国の公務員試験の過酷さが講師と、受験生両方の立場から描かれています。

 個人的なことで申し訳ないのですが、ヒロインの女性講師役でパク・ハソンさんが出演しています。派手目な顔の女優さんが多い中、清楚で上品な感じの彼女の演技が私は大好きです。

 この作品のほか、「トンイ」で仁顕(イニョン)王后役を演じていたので、ご存じの方も多いのではないでしょうか。「トンイ」では子宝に恵まれず、挙句の果てに廃妃(ペビ)として追い出されてしまう、幸薄い王后役でした。のちに王后として返り咲くとはいえ、あの悪女で有名な張禧嬪(チャン・ヒビン)に苦しめられる様は、視聴者としてもつらいものがありました。

 すみません、すっかり脱線しました。あと、日本由来の似たようなテーマのドラマとして「深夜食堂fromソウル」がありますね。こちらは残念ながらまだみていません。主人公のマスターに、これも私が大好きなキム・スンウさんが、そして食堂を訪ねる客の中にチ・ジニさんがいると聞いて、是非みたいなと思っています。

 食事とお酒を楽しむことがテーマになるドラマ。深夜の飯テロなどと言われることもありますが、食べること、呑むことに目がない人には必見の作品だと思います。

韓国ドラマあるある~「悪い人」と許し

2020-12-13 21:33:09 | 韓国ドラマ
(タイトル修正しました…)

 私が韓国ドラマをみていて一番感じることは、主人公の前に立ちはだかり、あらゆる手段でその行く手をはばもうとする「悪い人」(Bad Guy)が、徹底的に悪く描かれていることです。

 その反対に、主人公は徹底的に「いい人」(Good Guy)として描かれます。わざわざ英語を添えたのは、アメリカのドラマでも同じような構図は存在するのですが、韓国ドラマでは、そこまでやるのか!というくらいのレベルで悪い人は悪いのです。

 韓国ドラマに慣れないうちは、そのギャップについていけずに感情移入のし過ぎで気が滅入ってしまう経験を何度もしました。一話見終わるたびにどっと疲れてしまい、ぐったりするのには自分でも驚きました。

 でも、何話も進んでいくうちに今度はその構造が中毒性をもって襲い掛かってくるようになります。一話終わり、ぐったりとしているのに次のエピソードを見たくて仕方がなくなり、どんどんと夜が更けていくのです。

 こんなにも人間の醜い面をこれでもか!と見せつけられることは、どう解釈しても精神衛生にいいこととは思えないのですが、韓国ドラマに慣れるにつれて一つだけいいことがあるのに気が付きました。

 それは、現実の世界の中での韓国政府の立ち振る舞いが理解できるようになったことです。現在日韓関係は最悪と言われる状態ですが、今の政権になってからの韓国政府のわが国に対する悪行(!?)あるいは仕打ちがものすごく理解できるようになったことを、けがの功名と言ってしまったら笑われるでしょうか。

 しかし、悪い人をただただ悪い人と描いて終わってしまってはストーリーに深みが出ません。この点韓国ドラマはとてもよくできていて、悪い人がなぜ悪い人になってしまい、そんな風にしか生きられない、いられないのかということについての描写が必ずと言ってあるのです。

 もし、そういう風にできていなければストーリーが極めて薄っぺらなものになってしまい、途中で飽きられてしまう恐れがあると私は思います。特によく出てくるのが、「縁」の概念です。

 悪い人によるいい人に対する攻撃で、こじれにこじれてしまった人間関係を「縁」の悪さで表現するのです。劇中では「悪縁」という言葉が頻出します。悪い人とはいえ、自分がこんなことしかできないのは、悪縁のせいであって、楽しくてやっているのではないし、こんなことしかできないことで自分自身も傷ついているのだと、心情を吐露する場面がよく出てきます。

 このように、悪い人の心の葛藤を描くことでストーリーに深みが出て、見ている側もほっとすることができるのです。そして、その気持ちを汲んでかどうかはわかりませんが、いい人の反撃で追い詰められた悪い人に、いい人が改心するチャンスを与えるのです。

 このシーンは、現代劇、時代劇問わず見られるもので、韓国ドラマにおける普遍的な描写と言えると思います。それも、一度だけでなく、複数回のチャンスを悪い人に与えるのです。

 しかし、悪い人はいい人の気持ちを知ってか知らずか行動を改めることができずに破滅の道をたどるのです。時代劇なら死罪で毒を仰ぐ直前にいい人側の登場人物と悪い人の対面があり、現代劇なら刑務所か拘置所の鉄格子越しの対面になるのです。

 いい人はそんな風にして悪い人を許そう(赦し)とするのですが、悪い人はその気持ちに応えることができずに終わります。まるで、それが悪い人の業であるかのように。

 ただ、すべての悪い人がそのようにして破滅するわけではありません。悪い人の中には、仲間から裏切られトカゲのしっぽ切りで切り捨てられる人物がいます。その人物は、いい人たちの思いやりある許しを受け入れ、改心して今度はいい人の仲間になって悪いひとを追い詰める側に回ります。

 このいい人の許しと悪い人の改心という場面は、ドラマの中のこととはいえ何度見ても自分の心が救われる思いがするものです。これは、一種の快感で中毒性があり韓国ドラマ中毒になる原因でもあるのです

 以上、長々と大げさな感じで書いてきましたが、韓国ドラマの中のこのような描写の構成はすべての韓国ドラマに普遍的なものであり、それが魅力となっていることは間違いないと思います。

 つらい思い、せつない思いを追体験するのはしんどいことですが、今回述べたことが韓国ドラマの真骨頂と言える部分なので、そこに自らの身を委ねて心からドラマを楽しむのも悪いことではないと思います。