韓国ドラマは哲学的感性を刺激する

韓国ドラマ、IT・デジタルなこと、AIなどと並んで哲学に関する事柄や、よろずこの世界の出来事について書き綴ります

聞く耳を持つということ~裸の王様になってはいけない

2020-12-17 16:33:40 | エッセイ
 菅首相の会食の件、今日のTV番組でいろいろと取り上げられていますが、一般の人に対するインタビューで、今回の出来事をはっきりとよくないという人が意外と少ないのに驚きました。

 TV局側で極端な意見の人は控えたのか、たまたまそうなってしまったのかはわかりませんが、私個人の感想とはずいぶん違うなと感じました。

 私の感想は、一国の宰相ともあろう人がなんという情けないことをするのだろうという厳しいものです。二階幹事長からの誘いを断れなかったのでこういう事態になってしまったようですが、それにしても今の時期にこのようなことは不適切ですと、意見をすることができない関係に私は大きな危惧を抱いてしまいます。

 自分の意見や考えが間違っている場合に、はっきりそうだと指摘してくれる人を必ず周囲に置いておくべきだと思うのは、私だけでしょうか。

 耳の痛い意見を言う人物を排除してしまっては、その人は裸の王様になってしまいます。余計なことを言って、叱られる、左遷される、職を奪われるということになれば孤立してしまい、大切な情報も入ってこなくなります。

 菅首相は官房長官のころと比べて情報が入ってこなくなったと嘆いているようですが、なぜそうなったかは、もはや自明のことでしょう。そう、自業自得なのです。

 こんな当たり前のことがなぜできないのか、それが私の率直な感想です。今回の一件から、大きな器を持った人間の重要性が非常によくわかります。どんなに不愉快なことでも、とりあえず聞く耳を持つというがどんなに大切か、改めて考えさせられました。

 この寒空に裸の王様でいること…さぞかしつらいかと思いきや、渦中にいるとそれも自分では気が付くことができない。それが、この問題の一番やっかいな部分です。