今朝 散歩道で写しました
昨日 公共交通機関利用で医者に連れて行った。
私のもっている トイカ マナカ ICカード2枚で 改札口を通過するため母にも一枚持たせた。
まず最初に電車。 金額が足りないといけないのでチャージ。
そして改札を通りぬけ電車に乗り そして降りた時も
改札口に ここにカードかざしてねと言い 通過した。
乗り換えの駅に到着。
乗り換えをするため 地下鉄改札口に行った。改札 上手く通りぬけることができて地下鉄に乗車
目的地の駅に着いたので 出札口へ・・・・。
ここで 小さな事件が起こった。
いつも母は私に先に行ってねという。だから ここにタッチしてねと言って(聞こえてなかったかも)
私はICカードをタッチして抜けたが母は カードを何処にかざすかわからなくなったらしい。
確かに 90歳の母 「IC」という文字が
冷静になれば C の文字読めるかもしれないが
どこに充てるか どうして出札口を出るのかわからなくなったようだ。
私は振り返り 「タッチ カードをそこにタッチ」
といったが 耳の遠くなった母には 聞こえなかった。「何!聞こえん」
「そこにかざして 」 というも 「 エッ ・・」
返事は わからないというもの
次に瞬間 カードを 切符挿入口の中に投入 ランプが点滅 係りの方が走ってきて
「こんなとこに入れたら機械が壊れてしまう 」と怒ってみえます。
「ごめんなさい」 何度も私謝りました。
私が悪かったのです。
そもそも この年の人に ICカードが理解できてないこと
十分に話をして説明してないこと。 先に通過させて後から行かなかったこと 反省しきりです。
年寄りだからと エスカレーターは転ばないように
エレベーターは 「閉まると挟まる」と いつもいつもそのたびに
先にも乗せ 気を使っているつもりですが 電車に乗る時も母は「先に乗って」
といいます。 でも
「プラットホームと電車の間に隙間があるから
落ちたらどうするの?」と手を持って乗ります。
私もいつかはいや 直に不自由な思いをする時がきます。
こんな思いして 片道2時間もかけ医者に行く意味があるのか。
だれかの介添えで医者にゆかなくてはいけなくなった時のことを考えてしまいます。
私は 母の為なら全く嫌な事とは思わないし、最後まで できることはすべて頑張ろうと考えてます。
でも自分の子供は果たしてどこまで私の方を向いてくれるだろうか??
結婚して別の家族となった娘にやはり遠慮するだろうと思えます。
そこの医者さんはある時期に 地元の医者を紹介しましょうかとも言ってくださいました。
でも母はここがいいのです。
一ケ所だけでなく 医院を変えているのですが十数年前に行っていたところは
医師が 看護婦と話ばかりしていて不信感があったようで
今のところに来たら よい処置をしてくださり薬も母の目にあっていたようで
すぐに改善されたという経緯があるのです。
若いうちは気に入らなければ医者も替えることもできますが 年齢を重ねると交通面やすべてのことに不自由が出てくるものですね。