嫁です
次男の高校野球最後の夏が終わりました。
それと同時に11年間の野球生活も終わりを迎えました。
長かったような、あっという間だったような…。
小学校1年生の秋から野球を始め、野球以外何もいらないという訳ではありませんでしたが、それでも高校まで続けてくれました。
高校受験の時、今所属している野球部に惚れ込み、この学校じゃなかったら野球辞める!とまで言って入った野球部。
野球を続けていていい事ばかりではなかったけど、それでも野球を辞めると言ったのは成績が足りず今の学校に入れないかもとなった時、この1回だけ。
通信制もある学校だったので、全日制に落ちたら通信制に行こうと決め、それでも必死に勉強をして何とか一般受験で全日制に合格をしました。
そうまでして続けてきた野球でしたが、夏大直前の5月の末に右膝の靭帯を痛めてしまいました。
MRIを撮っていただいてもハッキリとは診断が付きませんでしたが、切れていると言っていいでしょうと言われました。
痛みでまともに歩く事も出来ず、2週間松葉杖で過ごしました。
その後、オーダーのサポーターが出来上がり松葉杖は外れましたが、野球の練習にすぐには参加出来ずひたすら筋トレの日々。
痛めた靭帯の代わりに筋肉が必要だったため、筋肉が付くまで練習再開の許可がでなかったので必死でした。
(靭帯が切れてしまうと足が前に出てしまい、歩く時にふらついてしまうのだそうです)
練習再開の許可が下りたのは、ベンチ入りメンバーの登録直前。
ベンチ入りメンバーに入れるかはわかりませんでしたが、希望を捨てずに頑張りました。
おかげさまで、ベンチ入り20人のところ背番号「20」とギリギリでしたが入る事が出来ました。
元々怪我をしていなかったとしても代打要員だったので、1打席だけでも打席に立てるようにしようと目指し願いが叶いました。
最後まで見捨てずにいて下さった監督、サポートして下さったトレーナーさんには感謝してもしきれません。
こうして迎えた最後の夏の大会。
くじ運良く2回戦からの出場でした。
初戦は代打が出る場面がなく次男も出番がなかったのですが、初戦を突破してくれたので次の試合に期待しました。
初戦は雨で順延して行われたため、当初の予定では神宮球場での試合でしたが大田スタジアムに変更になりました。
神宮球場で試合が出来る、試合が見られると期待していたのでガッカリでしたが、3回戦に進んでくれたので神宮球場に行くことが出来ました。
プロ野球やダンナの母校、日大三の試合を観に何度も来ていますが、我が子が神宮球場でプレーをする姿を見る日が来るとは思っていませんでした。
対戦相手はシード校。
強豪校とはいえ同じ高校生。
勝つ可能性がない訳ではない。
選手みんなで話したのでしょう。
次男が「8月は忙しいから」と言うので、何で?と聞くと「甲子園行くから」と頼もしい答えが!
これは高校で野球をやっている子たちみんなが思っている事。決してウチの次男がおめでたいヤツではないですよ。
こうして始まった3回戦。
今年は次男が高校に入って初めて、新型コロナの関係で来られなかった吹奏楽部とチアリーディング部がスタンドに応援に来てくれました!
吹奏楽とチアの応援は高校野球の醍醐味。欲を言えば“全校応援”もお願いしたかったのですが、残念です。
初戦は雨で順延したため平日だったのが日曜日になったおかげで、たくさんの保護者の方に応援にきていただきましたが、3回戦は平日だったため初戦よりは応援が少なめ。
それでも、なんとかお仕事や予定をを調整し、保護者、OB、OBの保護者のみなさんが集まってくださいました。
みんな野球を始めた時から目指してきた3年生最後の夏大。
それは保護者も同じ。
1日でも長く、1試合でも多くと願いを込めた試合が始まりました。
後攻だったため守備からでしたが、緊張からか動きが悪く初回に3点を失いました。
元々点を取られ取り返すパターンの多いチームでしたので、3点なら何とかなると思っていました。
ところが、打線が繋がらずランナーが出ても残塁する回が続きました。
4対1で迎えた9回裏。
1点を返し、1アウト1・2塁の場面で次男が代打で出ました。
ひとつ前の打席の代打が次男ではなかったので、もう出番はないかと思っていたので嬉しかったです。
1ボール1ストライクのあとの3球目。
見事にレフト前ヒットを打ってくれました!!!
もちろんすぐに代走を出されましたが、これで満塁。
ボークなどで2点を加え同点にしましたがサヨナラとはならず延長戦へ。
延長10回のピッチャーは、初戦で先発のエースが崩れた後好投した投手。
3番からのクリーンナップに1点取られ勝ち越されましたが、まだ1点。
4番から始まる打順に期待しましたが、ランナーを出したものの残念ながら敗戦となりました。
タラレバで話してしまうとキリがないのですが、勝てたかもと思うと残念で仕方がありません。
もちろん一番悔しいのは選手達。
最後の記念に、神宮球場の前で記念撮影でもなんて雰囲気ではありませんでした。
暗い雰囲気のまま学校へ戻る選手たちを見送り保護者も解散しました。
帰ってきた後も悔しさからか、ろくに話もせず部屋に引きこもってしまった次男。
そっとしておいてあげてはいたのですが、次男に「今日の夕食、残り物のカレーと豚バラ餃子(次男の好物)どっちがいい?」と聞いたら、ニコりと笑い「豚バラ餃子」と答えていました。
悔しい気持ちはたぶん一生残ると思います。
それでも、靭帯を痛めてから、ベンチに入ること、打席に立つこと、ヒットを打つことを目標にしてきましたので、それが叶ったことは次男にとって大きな収穫だったと思います。
私にとっても、そのために最大限のサポートをしてきたので、ヒットを打ってくれたことに感謝しています。
これで3年生は引退。
8月に三送会を開いていただき、年末に謝恩会を開いて野球部の活動は終わります。
このあと、次男が大学に行って野球を続ける予定がないので、次男に限らず佐藤家の野球漬けの生活が終わりました。
少年野球ではコーチ、高校野球では1年間保護者会長としてがんばってきたダンナは、完全に暇になったわけでありませんが、時間に余裕ができたので自分の草野球にいきました。
私に至っては、11年間仕事をしているか、子供の野球に付き添っているか、その合間を縫って家事をしているかしてこなかったのでこれから何をして過ごそうかなと思っています。
とりあえず、今日はお天気がいいので久し振りにお布団を干しました
サイコーの試合だったよ
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