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また東村山ふるさと歴史館へ行ってみた その3 南秋津村って?

2011-02-24 13:59:03 | 秋津とその周辺
笹塚遺跡の笹塚の名前の由来って何でしょうという疑問にについてです。

答えから言うと地名なのです。旧字名(あざめい)になる訳です。

時代によって村やら町やら市やらと区分が変わるのでしょうけれど、私の手元に今ある資料では「武蔵野話」の入間郡北秋津村の記述の中に

「此村の南東に流るゝは簗瀬川なり。その川を隔て向ふに南秋津村あり、同村にして多痲郡に屬せり。」

とあります。(本の通り旧字体を使っております)

今でも秋津町は東村山市北秋津町は所沢市と東京と埼玉で都県が違っておりますが、1800年代前半でも入間郡と多痲郡で違っていたんですね。

そして明治になると、まだ東京都は都として発足していなかった訳ですし、この辺りもその区分ではなく県だった訳です。「昔はこの辺りは神奈川県だった。」という話は子供の頃から聞かされていたのですが、それ以前にも色々な県の変遷を経てきた様です。

まあ、県の話は置いておいて、南秋津村の話なんですが、明治初期の南秋津村は

下秋津、宮前、笹塚、下沢、中沢、上沢、上ノ山、中ノ台、双木、下大沼田、中大沼田、上大沼田、堀向、中ツ原、上ツ原、関発

という字(あざ)で構成されていた様です。
それで、現在の東村山市にあたる地域というのはその当時は

南秋津村
久米川村
大岱村
野口村
廻り田村

と区分されていて、後にこの5村が合併したという訳です。

それで笹塚という字(あざ)の由来ですが、残念ながら現在の所私の手元に資料が有りません。
目星を付けている資料が有るのですが、手に入るかどうか.....。
それに書いてあるとも限りませんが......。

上記の字区分ですと、クラウドはおそらく宮前になると思います。
クラウドの周辺で「宮前」に由来する建物や場所は.....思いつきませんね。
志木街道が武蔵野線を渡る橋に「大沼田橋」と書いてありますね。
関発なんて読み方が分かりません。「かんはつ」かな?
Googleなんかで検索しても出て来やしません。
どなたかご存知の方がいらっしゃって教えて下さったら幸いです。

クラウドWEB

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