ほっかも!!

ゴールキーパー北野貴之のつれづれ日記
HP https://www.kitano-takashi.com

ブラジルへの想い

2015年08月19日 00時45分53秒 | Weblog
こんばんは☆

前回のオフ、大阪にあるシュラスコに行きました。

エジミウソン、パブロ、通訳の方。
残念ながらマグノは予定があってこれなかったけど。

エジミウソンは、新潟時代の戦友であり、同い年の最高の友です。

自分が入団1年目、20歳の時、当時アルビレックス新潟はブラジルキャンプでした。

チームキャンプ1ヶ月が終わったときに、突然ブラジル留学をしてみないとかと言われました。

迷うことなく、「したいです!」と言ったのを今でも覚えています。

それから7ヶ月間、僕はアトレチコパラナエンセに残りました‼︎

辞書一つだけもらい、ブラジルに残り、色々な年代のブラジル人と同じ屋根の下で過ごしました。

この20歳の7ヶ月は、僕にとって最高の時間であり、自分のベースが更につくられた時代です。

ブラジル人の愛し方、ハグ、人への熱い接し方、リスペクトする選手間の姿、熱い心、子供達への優しさ。

全てが、素晴らしい学びでした。

ブラジルは、プロになったスーパースターも小学生、中学生、高校生と同じ空間で生活をします。

親指をたてる、そんなジェスチャーひとつで友達になってしまうのが、ブラジルの素晴らしさです。

当時アトレチコパラナエンセには、今はブラジル代表に選ばれ、マンチェスターシティーで活躍するフェルナンジーニョといつも練習をしたり、いつもご飯食べたり、ビリヤードやったりと最高の友達でした。

実は日本のJリーグにもきた、友達も何名かいました。


僕はブラジルで、日本だとなかなか恥ずかしさから表現することが難しい、愛のかたち、親と子の愛の接し方を、熱く触れてきました!

いろんな友達の家に泊まりに行きましたが、どの家族も家族の一員として、ハグで受け止めてくれました。(感動)


そして、当時のブラジルは、まだ日本人が1人で歩くことができない、危険なブラジルでした。

そんなときに、今でも思い出す、友達の優しさ。
僕は20歳だったのでほとんどが年下でした。

皆んなでリオデジャネイロに行ったときの話です。

カバンは前に持ってねと必ず前に。
そして、お金は靴下に隠し、左右に少しでも分散するように。
そして、更には友達四人が僕を挟んで、日本人と目立たないように隠しながら歩いてくれたのを今でも覚えています。

そんな優しさと、親友がたくさんいるブラジル。
今でもMessageがきます。


最後の夜には、涙しながら、星を眺め熱く語った………最後のブラジルの夜のことも今でも覚えています。


僕が7ヶ月間無事にいれたのは、そんな仲間のブラジル人がいたからだと心から感謝しています!


日本にいる今でも、ブラジルの親友や仲間のことを思い出します。

その感謝の気持ちは、いつも忘れることができません。

だから、僕はこっちにくるブラジル人には、最高の愛で接します。
ブラジル人の愛で更に熱く学び、育った人生。

こっちにいるブラジル人に最高の愛で迎えることが、最大の感謝の気持ちなんです!【愛感謝】








[しゃ=]