(後編)
その島を出た後に向かった先は、東京へ。
お勉強を含めて、東京に行き、お世話になる方に挨拶をしたり、そんな日々を過ごすこと5日〜13日。
14日からは大阪に入り、京都の伝統工芸であるちりめんという織り方を見学しに行ったり、日本製のシルクを京都の丹後に探しに行ったり、14日〜17日が大阪、京都、三宮など毎日動き回っていました。
シルクの布を探しに、何件か回りました。
京都の山奥まで来たからには、自分の好きな素材のシルクを探そうと、真剣に肌での感覚、気持ち良さを選んでいました。
そんな毎日であっという間に、島へ戻る18日に近付き。
移動手段は、時間を有効活用するために全て夜行バス!!
17日の夜のバスで新潟へ目指してまずは、三宮から東京入り、早朝18日の東京では、朝、昼、夜とスケジュールみっちりで動き、18日の夜行バスで、新潟へ。
そして、翌朝早朝にのフェリーで島へ向かいました。
19日に島上陸!
そこからは19日〜10月2日まではおじいちゃん、おばあちゃんの農家の手伝いや、お米の収穫の手伝いをさせて頂き。
その中で、また素晴らしい出逢いがありました。
今では生産される方が減り、手に入るのが難しくなってきた拘りのお米の生産者のもとへ、縁があって住み込み生活をしました。
仕事の行き来でその育てるお米の歴史や、この米へのこだわり、なぜこの米を守らなければいけないかなど、熱い想いを毎日聞きながら、収穫の手伝いをしました。
朝は8時からから晩は、18時まで。
そんな日々の毎日でした。
それでも、10月2日にはひと段落できたので、近くなっていた我が誕生日をどこで迎えようかなと考えた結果、新潟へ向かいました。
まさか10月4日を新潟で誕生日を過ごす流れになるとは。
全く考えていなかったけど、ビッグスワンを見ながら、試合があったため会場から響くコールを聞きながら……ここで誕生日を迎えれるとは……不思議な縁だなと、深く感じておりました。
新潟で迎えることができた誕生日。
ありがたい事に8日まで皆様にお祝いをして頂いて、また、ここから新たな展開が起きました。
我が地元北海道で、ちょっと来てサッカー指導をしてくれないかなと、頼まれごとを受けたので、、、、9日から北海道へ渡りました。
そのお話を受け、旭川のチームのために北海道に渡り、そして母校である、北海高校のサッカー指導にいったり、先輩、後輩のスクールのサッカー指導にいったり、札幌大学のサッカー指導にいったり。
まさかあのときベースの家を出発してから、北海道にまで動くとは全く思っていたなかったです。
その時その時、答えれることを立ち止まったり、必死にしていたら、まさか北海道の実家に帰ってくるという。
そして、今も北海道という。
この流れについては、本当に流れの如く、一つ一つ一所懸命に立ち止まり、答えてきたら、今ここにいるという。
それでも、あと少しで北海道をでます。
目的地に向けて!
そこからは、またのブログで!
続く