新年おめでとうございます。
2017年新たな年、素晴らしい身体で迎えることができた皆様、本当に素晴らしく幸せなことであり、心からおめでとうございます。
今日、お正月も終わり、スタートとなる皆様も多いかと思います。
今年の自分は、2016年最後のblogに書いたように、歩きながら2016年を感謝の心で振り返り、2017年を雪に足跡をつけながらスタートさせました。
歩いて2017年迎えたいという強い想いがありました。自分の道を切り開く年になると思ったので、そんな心に至ったんだと想います。
その足で、1人で神社へ向かいました。
1人で神社に訪れていたのは、たぶん自分1人だったと思います。
この、多くの人が並んでいる時に、色々なことを1人で考える時間は、とっても素敵な時間でした。多くのことを考えました。
そんな中、こんなフレーズが頭によぎりました。
“自分って、孤独に耐えられる漢になってきたかも……”
“孤独でも自分の信念をもって歩める漢になってきたかも……"
以前こんな言葉との出逢いがありました。
大人と子供の違いは何か。
「大人は孤独に耐えられるんです」
孤独に耐えて咲く華ほど美しいもの、人に勇気を与える華はない………と。
神社に1人で並びながら、ヴィジョンを考えたり、多くの人の中で視線も気にせず、熱く音楽聴きながら、そんな言葉が舞い降りたのです。
さて、今年の大晦日、その前の日から読書、トレーニングの毎日。
神社から帰ってきても読書。
元旦も読書、毎日読書とトレーニング、人と会う。
心の修行を本からして、人の会う場所でアウトプット。
インプットとアウトプットの繰り返し。
本読んで、脳と言葉を結ぶトレーニングの毎日でした。
1年は、365日、8760時間、525600分………31622400秒です。
この時間は、世界中の皆さんに、平等に与えられています。
寝てても、何をしてでも過ぎてしまう。
今も一秒を、どう過ごし、使うのかは自分次第です。
しかし、この秒数、日にしても人が分かりづらいのが、現実であり、なかなか身にしみないかと思います。
しかし、満開の桜で考えると私達はあと何回その桜をみれるでしょうか?
そう考えると30回、40回、あと10回かもしれないです。
そして、最後の桜満開をどのような姿でみたいですか??
僕にははっきりと最後の桜をみたい姿があります。
多くの熱い弟分仲間がいて、自分の愛する家族とみたい。
もしくは、桜の下で自分を思い出して欲しい。
そんな人生を刻めるように、自分に対してコーチングをし、自分を導きたいと思います。
眼で見るのでなく、「心眼」で先を見抜く力。
観察の眼、洞察の眼、想像の眼。
そんな自己鍛錬から、相手の心も汲み取ることができる漢へとなるために、自己鍛錬、自己修養、自己への断捨離をものとしていけなくてはならないと思います。
2017年だけでは、ベストなんてならないけど、今がベストなんて思わず、常に学ぶという心の2017年、この一年が未来を創ると心に刻みます。
いつも、blogを見てくださる多くの皆様、blog見てますとお声をかけて下さる皆様、そんな、温かいお言葉、多くの皆様のお陰で今日まで熱いblogが続けれています。
皆様の幸せを、ほっかもを通してですが、心より願っております。
「幸せだから笑顔ではなく、笑顔だから幸せになる」
共に幸せを共感し、共に笑える、最高の2017年にしましょうね。
北野貴之
2017年新たな年、素晴らしい身体で迎えることができた皆様、本当に素晴らしく幸せなことであり、心からおめでとうございます。
今日、お正月も終わり、スタートとなる皆様も多いかと思います。
今年の自分は、2016年最後のblogに書いたように、歩きながら2016年を感謝の心で振り返り、2017年を雪に足跡をつけながらスタートさせました。
歩いて2017年迎えたいという強い想いがありました。自分の道を切り開く年になると思ったので、そんな心に至ったんだと想います。
その足で、1人で神社へ向かいました。
1人で神社に訪れていたのは、たぶん自分1人だったと思います。
この、多くの人が並んでいる時に、色々なことを1人で考える時間は、とっても素敵な時間でした。多くのことを考えました。
そんな中、こんなフレーズが頭によぎりました。
“自分って、孤独に耐えられる漢になってきたかも……”
“孤独でも自分の信念をもって歩める漢になってきたかも……"
以前こんな言葉との出逢いがありました。
大人と子供の違いは何か。
「大人は孤独に耐えられるんです」
孤独に耐えて咲く華ほど美しいもの、人に勇気を与える華はない………と。
神社に1人で並びながら、ヴィジョンを考えたり、多くの人の中で視線も気にせず、熱く音楽聴きながら、そんな言葉が舞い降りたのです。
さて、今年の大晦日、その前の日から読書、トレーニングの毎日。
神社から帰ってきても読書。
元旦も読書、毎日読書とトレーニング、人と会う。
心の修行を本からして、人の会う場所でアウトプット。
インプットとアウトプットの繰り返し。
本読んで、脳と言葉を結ぶトレーニングの毎日でした。
1年は、365日、8760時間、525600分………31622400秒です。
この時間は、世界中の皆さんに、平等に与えられています。
寝てても、何をしてでも過ぎてしまう。
今も一秒を、どう過ごし、使うのかは自分次第です。
しかし、この秒数、日にしても人が分かりづらいのが、現実であり、なかなか身にしみないかと思います。
しかし、満開の桜で考えると私達はあと何回その桜をみれるでしょうか?
そう考えると30回、40回、あと10回かもしれないです。
そして、最後の桜満開をどのような姿でみたいですか??
僕にははっきりと最後の桜をみたい姿があります。
多くの熱い弟分仲間がいて、自分の愛する家族とみたい。
もしくは、桜の下で自分を思い出して欲しい。
そんな人生を刻めるように、自分に対してコーチングをし、自分を導きたいと思います。
眼で見るのでなく、「心眼」で先を見抜く力。
観察の眼、洞察の眼、想像の眼。
そんな自己鍛錬から、相手の心も汲み取ることができる漢へとなるために、自己鍛錬、自己修養、自己への断捨離をものとしていけなくてはならないと思います。
2017年だけでは、ベストなんてならないけど、今がベストなんて思わず、常に学ぶという心の2017年、この一年が未来を創ると心に刻みます。
いつも、blogを見てくださる多くの皆様、blog見てますとお声をかけて下さる皆様、そんな、温かいお言葉、多くの皆様のお陰で今日まで熱いblogが続けれています。
皆様の幸せを、ほっかもを通してですが、心より願っております。
「幸せだから笑顔ではなく、笑顔だから幸せになる」
共に幸せを共感し、共に笑える、最高の2017年にしましょうね。
北野貴之