心が満ちる山歩き

美しい自然と、山に登れる健康な身体に感謝。2019年に日本百名山を完登しました。登山・街歩き・温泉・クラシック音楽‥‥

北アルプス 折立から薬師沢・雲ノ平・水晶岳を経て新穂高温泉へ(4) 加藤文太郎「単独行」の記録を読んで

2020年07月12日 | 北アルプス


水晶岳(2,986m) ((3)のつづき)


◆(3日目) 雲ノ平山荘7:00→祖父岳→水晶小屋→水晶岳12:11→水晶小屋→三俣山荘15:45

 この日も引き続き雨の中の出発です。
 長野県の天気予報では晴れ時々曇り(曇りと晴れは逆だったかもしれません)だったので、余計に悔しい感じがします。
 山は雲に覆われていて、街は晴れているのだと思います。今いるのは雲ノ平ですが、雲の中に突入してしまったような山登りになっています。
 2014年の夏は、いい天気の日が少なかったと思います。8月に出かけたのは、雲ノ平・水晶岳を除けば、お盆休みに月山と蔵王に登っただけでした。
 コバイケイソウが全然咲いていないとも聞きました。前の年盛大に咲いた分、今年は逆に大ハズレとのことでした。去年は9月でも、笠ヶ岳でコバイケイソウがたくさん咲いていたのを思い出します。
 ハイマツの中に、そのコバイケイソウが一輪だけ咲いていました。咲く年を1年間違えてしまったようです。トウモロコシの形をしたコバイケイソウの花は、数年おきにしか咲くことはありません。


 いくつもの超人的な山行を単独行で成し遂げ、1936年1月に槍ヶ岳北鎌尾根で遭難し亡くなった加藤文太郎の著作「単独行」にも、水晶岳(黒岳)のことが出てきます。
 「薬師岳から烏帽子岳の小屋まで」と題された、昭和5年12月30日から翌年1月8日にかけて歩かれた厳冬期の記録で、水晶岳には1月6日に登られています。

 「~ 蓮華の下りは頂上からズーとスキーによかった。蓮華の小屋は雪に埋れていて窓が掘り出せなかったので、壁板を一尺五寸四角ほど破って入った。それで翌日窓を掘り出して後、破った所を修繕した。道具は全部小屋の中にあった。その後、小屋の主人にこのことを話して弁償する約束をした。 ~」
 「~ 黒岳には最初ちょっとした岩場があったが、ここは帰りに西側の雪の斜面を巻いてみて雪の方がよいと思った。頂上を過ぎて一つ向いの三角点の所まで行ったが、櫓の朽木が二、三本立っているだけで三角標石は見えなかった。この山へはから身で往復したが一番山らしい感じがした。 ~」
 (『新編 単独行』加藤文太郎(山と渓谷社))

 1月6日と前日の天気は「」で、前日は三俣蓮華の小屋で滞在したとあります。
 淡々と書かれた記録はただ凄く、「小屋の主人にこのことを話して弁償する約束をした」というところに、何とも言えない律義さがあります。
 十日間の山行では、正月の1月3日に「霧後快晴」の天気で薬師岳に登頂したとのことです。それでも、水晶岳が「一番山らしい感じがした」と書かれています。それは、山頂からの眺望ではなく、歩いた印象からきたものだと思います。
 天気が良くなくとも、「山らしい感じ」がするというところに、山への愛情がひしひしと伝わってきました。

 「~ 鍋の中の味が、たべなくても分ることくらいは当然のことだ。 ~」
 「~ 料理の味も、一々たべてみなくては分らぬようでは困る。芸術は、芸術家だけの専有物ではない。料理も芸術である。鍋の中の味が分ることは、料理するものの暖かい愛情であると思え。 ~」
 (『春夏秋冬 料理王国』北大路魯山人(中央公論新社))


 (登頂:2014年8月上旬) (つづく) (好天の写真は、2012年7月)



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