水晶岳(2,986m) ((3)のつづき)
◆(3日目) 雲ノ平山荘7:00→祖父岳→水晶小屋→水晶岳12:11→水晶小屋→三俣山荘15:45
この日も引き続き雨の中の出発です。
長野県の天気予報では晴れ時々曇り(曇りと晴れは逆だったかもしれません)だったので、余計に悔しい感じがします。
山は雲に覆われていて、街は晴れているのだと思います。今いるのは雲ノ平ですが、雲の中に突入してしまったような山登りになっています。
2014年の夏は、いい天気の日が少なかったと思います。8月に出かけたのは、雲ノ平・水晶岳を除けば、お盆休みに月山と蔵王に登っただけでした。
コバイケイソウが全然咲いていないとも聞きました。前の年盛大に咲いた分、今年は逆に大ハズレとのことでした。去年は9月でも、笠ヶ岳でコバイケイソウがたくさん咲いていたのを思い出します。
ハイマツの中に、そのコバイケイソウが一輪だけ咲いていました。咲く年を1年間違えてしまったようです。トウモロコシの形をしたコバイケイソウの花は、数年おきにしか咲くことはありません。
いくつもの超人的な山行を単独行で成し遂げ、1936年1月に槍ヶ岳北鎌尾根で遭難し亡くなった加藤文太郎の著作「単独行」にも、水晶岳(黒岳)のことが出てきます。
「薬師岳から烏帽子岳の小屋まで」と題された、昭和5年12月30日から翌年1月8日にかけて歩かれた厳冬期の記録で、水晶岳には1月6日に登られています。
「~ 蓮華の下りは頂上からズーとスキーによかった。蓮華の小屋は雪に埋れていて窓が掘り出せなかったので、壁板を一尺五寸四角ほど破って入った。それで翌日窓を掘り出して後、破った所を修繕した。道具は全部小屋の中にあった。その後、小屋の主人にこのことを話して弁償する約束をした。 ~」
「~ 黒岳には最初ちょっとした岩場があったが、ここは帰りに西側の雪の斜面を巻いてみて雪の方がよいと思った。頂上を過ぎて一つ向いの三角点の所まで行ったが、櫓の朽木が二、三本立っているだけで三角標石は見えなかった。この山へはから身で往復したが一番山らしい感じがした。 ~」
(『新編 単独行』加藤文太郎(山と渓谷社))
1月6日と前日の天気は「雪」で、前日は三俣蓮華の小屋で滞在したとあります。
淡々と書かれた記録はただ凄く、「小屋の主人にこのことを話して弁償する約束をした」というところに、何とも言えない律義さがあります。
十日間の山行では、正月の1月3日に「霧後快晴」の天気で薬師岳に登頂したとのことです。それでも、水晶岳が「一番山らしい感じがした」と書かれています。それは、山頂からの眺望ではなく、歩いた印象からきたものだと思います。
天気が良くなくとも、「山らしい感じ」がするというところに、山への愛情がひしひしと伝わってきました。
「~ 鍋の中の味が、たべなくても分ることくらいは当然のことだ。 ~」
「~ 料理の味も、一々たべてみなくては分らぬようでは困る。芸術は、芸術家だけの専有物ではない。料理も芸術である。鍋の中の味が分ることは、料理するものの暖かい愛情であると思え。 ~」
(『春夏秋冬 料理王国』北大路魯山人(中央公論新社))
(登頂:2014年8月上旬) (つづく) (好天の写真は、2012年7月)