((1)のつづき)
革命のエチュードに限らず、ショパンの練習曲はすべて、ピアノ音楽の傑作中の傑作です。
作曲された数は、「24の練習曲」に「3つの新練習曲」も入れれば27曲、マズルカに次ぐ多さです。そして、新練習曲は肩の力を抜いた気軽な作品ですが、マズルカがショパンの人生そのものをスケッチした作品集としたならば、「24の練習曲」は24曲全部がショパンの遺した独創的な宇宙です。
中でも「木枯らしのエチュード」は、1台のピアノだけで到達可能な表現力の限界に達しています。ショパンの後で、ドビュッシーやラヴェルがやはり限界に到達したピアノ曲を書きましたが、それらは木枯らしとは違う道をたどって到達しなければならなかったと思います。
革命を練習し、次に弾いてみたいと思ったのは木枯らしでした。右利きなら、左手のテクニックがメインの革命より木枯らしの方がやり易いだろう、くらいのイメージでした。
しかし間もなく、これがとんでもなく難しい曲だということに気が付きました。とてもマスターできませんでした。ただし譜読みはできました。吹雪のように駆け下る右手の細かい音符が全部、楽譜を読むたびにどんどん頭に入ってきました。激しい音楽の譜面は混沌としておらず、他の練習曲と同じように明瞭でした。
◆小山実稚恵(ソニー・クラシカル SRCR8528)
◆メジューエワ(若林工房 WAKA4139)
◆アシュケナージ(デッカ UCCD-50038)
革命のエチュードで唯一無二の奇跡に近い名演を示したホロヴィッツは、木枯らしの録音を遺しませんでした。
木枯らしには、これが決定的という名演はまだない気がします。ある演奏を聴いてちょっと杓子定規だと思えば、別の少し崩し気味の演奏を聴くと、今度はタテの線がぴったり合った凄まじさを求めてしまうからです。
木枯らしは、練習曲の中でも究極の世界に達しています。それゆえに、真逆の個性を両方とも広く受け入れる革命のような曲とはまた、違うのかもしれません。「これしかない!」の「これ」が、いつまでも隠されて、分からないかのようです。
その中では、小山実稚恵の演奏が理想に近いと思いました。崩してはいませんが、形にはまった感じもありません。情熱と高揚感があり、細かい音符の1つ1つには前へと進んで止まらない力があります。
木枯らしのテーマが最後に荒々しく両手で弾かれる終結は堂々としており、(3:36)の和音がしっかり待って奏されるところもよく(ここは拍子の通りに弾くと、かえって早く飛び出したように聴こえると思います。)、最後のスケールにほとんど間を空けずに突入するところも素晴らしいです。
メジューエワの演奏も感動的です。革命と同じようにデモーニッシュな雰囲気が全曲を貫いています。(1:10)で転調した後の低音に、何とも言えない暗さがあります。そして、(2:47)の強烈な打鍵の連続が効いています。エチュードに限らず、この音色がショパンのすべての曲に合っていると感じられます。
アシュケナージ盤は、最初のテーマが強い音で速めに、叩きつけるように出るのがまず独特です。楽譜では1小節目から4小節目までは前半がピアノ(弱く)、後半がピアニッシモ(とても弱く)と指定され、静かな中で対比をつけるのですが、ここでは楽譜通りでなく、はっきり分かる強弱の対比が付けられています。
速い部分に入っても振幅が大きく、3枚挙げたCDの中ではもっとも崩した演奏です。自然な変化があちこちにあり、木枯らしが吹き抜けるような加速から(1:06)のような念押しまで多彩で、甘美なピアニッシモもアシュケナージならではです。そして、(2:40)や(3:11)のクライマックスでは、激情を受け止めるようにテンポの思い切った落とし方が現れます。
一気呵成の迫力とは違う演奏で、最もショパンの心に近い木枯らしだと思います。録音がやや平面的で、グランドピアノの奥行きがもう少し伝わって来ればという感じがします。
これは20年以上前に、最初に聴いた木枯らしでした。その時はこれがスタンダートだと思いましたが、他のCDの後で聴き直すと、個性的なところがとてもたくさんあります。
アシュケナージの練習曲全集には、ピアニストの超絶技巧の裏付けがあります。しかし、技巧の鋭さだけを前面に出さずに、それだけに傾いていない演奏が揃っています。そして、全集の性格を決定づけているのが23曲目の木枯らしだと思います。
(つづく)