音楽には形式があります。形式にピタッとはまった、とことん形式を追求した音楽には迫力があります。ブルックナーの書いた交響曲のスケルツォは、「大三部形式」を頑なに貫いたからこその凄味があります。
逆にショパンの場合、”ピアノ・ソナタ”という古典的な音楽の形式からなんとか逃れようと、のたうち回るように必死の想いで筆を動かした結果、最も独創的なソナタの傑作が生まれたのです。
◆キーシン(RCA BVCC31025)
◆ホロヴィッツ(ソニー SICC1190~6)
新しい録音で一番の名演と思うのがキーシンのCDです。
第一楽章、(0:13)ドラマの始まりは静かですが、その後すぐ複雑な左手の伴奏に乗って、焦燥感ほとばしるメロディーがやってきます。こうやって弾けるピアニストはなかなかいないのではと思います。
(2:39)~逡巡と情熱が同時に聴こえる感動的な音楽です。2番目のピアノソナタこそ、ショパンの最高傑作と信じてやみません。
(3:03)~ここは第1楽章最大の聴かせどころだと思います。しかし、クライマックスが意外にあっさりしており物足りなさを覚えます。左手の”タターン”というリズムが全部静かだからだと思います。
ところが、(4:41)から最後まで途切れないキーシンの凄まじいテクニックは、第2楽章でいよいよ頂点に達します。こんなに難しい曲で、よくこんな音が出せるものです。荒ぶる迫力を感じる和音の連打は、しかしタテの線がことごとく合っています!
これがスタンダードになると、他の演奏はみな物足りなくなってしまうでしょう。
第3楽章は、ここだけ取り出せばただのよく知られた葬送行進曲かもしれませんが、全曲通して聴くと、この曲に欠かせないピースであることがよく分かります。
最後の第4楽章は、荒野を吹きすさぶ風のように、あらゆる感情が取り払われたユニークな音楽です。音の粒がはっきりしないところが多いですが、もどかしい気分は一切しません。くっきり響く音楽の上を敢えて濃い霧で覆わせ、見えなくしてしまう贅沢さ。
ホロヴィッツの方は、「ウラディミール・ホロヴィッツ ショパン・コレクション」という7枚組のCDで聴いたものです。世紀の大ピアニストが、RCAとソニーにそれぞれ遺したショパンの録音がぎっしり詰まっています。ショパンもホロヴィッツも両方好きな自分にとっては、これ以上はない嬉しい企画。
ピアノ・ソナタ第2番は、モノラル、ステレオ、2種類の録音が収められています。どちらも素晴らしいと思いますが、より感動したのは前者の方です。音は古いものの(1950年の録音)、迫力が段違いだからです。
今年亡くなられた音楽評論家の宇野功芳氏は、ホロヴィッツが1941年に録音したチャイコフスキーのピアノ協奏曲のCDを、このように推薦しています。これは何回読んだか分からない本で、どの曲の批評も参考になりました。
「部分的にどこがどうというような演奏ではない。初めから終わりまで、そのすべてがアシュラのように凄まじく、完全にノックアウトされてしまう。
もっとも、ホロヴィッツの演奏には、寂しさとか哀しさ、あるいは病的なデリカシーといったものは求め得ない。当時三十代の彼は、身も心も健康そのものだった。」(宇野功芳『協奏曲の名曲・名盤』講談社現代新書)
本当でしょうか?音色は徹底的に迫力があって明るく、確かにデリカシーのようなものはどこにもありません。
これはきっと世界の果て、宇宙の果てまで辿り着いた時の明るさです。
あるいは、もし人間が太陽の間近に立つことができた時に感じる明るさ。その場にい続ければ、生きていくこともできないような場所の明るさです。
「身も心も健康そのものだった」人に、こんな衝撃的な演奏ができるのだろうかと思ってしまいました。
ショパンのピアノソナタも、チャイコフスキーと同じくらいか、それ以上に凄まじい演奏です。
曲の性格がチャイコフスキーと正反対なので、より暗く、デモーニッシュな雰囲気にあふれています。
第1楽章では、最初の(0:12)からテンポが遅いのに驚きますが、音楽が緊張感を失うことはありません。それどころか、遅さが巨大な迫力を生み出すのです。
(2:14)のようなもの凄い加速もホロヴィッツならではです。晩年の演奏”ホロヴィッツ・オン・テレビジョン”(ソニー)での、”バラード第1番”や”ポロネーズ第5番”を彷彿とさせるものがありました。
キーシンで物足りなかった(5:27)~のクライマックスも最高です。咆哮のような音を生じる左手には、最高の集中力がこめられています。
(7:35)地の底まで鳴り響く和音!リズムをほとんど変えないのが効いています。
第1楽章以上に遅い第2楽章を経て、第3楽章の葬送行進曲では迫力が頂点に達します。これほど振幅の大きな葬送行進曲の演奏は考えられません。
ピアノが壊れてしまうのではないかと思うほどのフォルティッシモ。
全曲通して、ホロヴィッツにしかできない弾き方だと思います。
こうやって弾くことが許されるピアニストは、未来永劫現れないでしょう。