患者さんは、そのようなことを意識することはほとんどないのに対し、医師のほうは日々直面していることに、「今日の医学の限界」という厳然たる事実があります。
前回(https://yomidr.yomiuri.co.jp/article/20161101-OYTET50032/)と前々回(https://yomidr.yomiuri.co.jp/article/20161024-OYTET50032/)のコラムは、そのことをテーマにしました。
医師免許を持つ日本で初めての実在の女性眼科医を扱った「高津川 日本初の女性眼科医 右田アサ」(青志社)は、私の処女小説です。その中で、登場人物にこんなことを言わせている場面があります。
「昔は治療をしても2、3割の人しか助からなかったから医者はすごく感謝された。今は7、8割は助かる医学になってきたから、うまくいかないと医者が非難される」
「2、3割」とか「7、8割」という数値はどこから? などと迫られると困るのですが、含意を理解してください。
上の数値を用いれば、我々医師は、2、3割は完全な“ブラックボックス”を持ちながら日々診療していることになります。
しかも、「治療して助かる」レベルをどこに置くかでその数字は大きく変動するものです。また、自然回復しただけ、重大な事態になることが避けられただけという「助かる」もあり、これらを専ら医学の恩恵だとは強弁できないでしょう。
特に眼科の病気には、視機能が低下して元通りに回復しない不可逆的なものも夥(おびただ)しくあり、医師がその病気の活動性や、進行の度合いをみて、「安定していて、具合よいですよ」と診断しても、本人にとっては、不自由さは一向に改善せず、少しも具合がよいことはないと感じているケースはいくらでもあります。
患者にとって、診断治療で機能回復することが最終目標になるのは当然ですから、医学的手段で回復させられない場合は、その現状を当事者に、十分理解できるように示し、医学の限界をも説明すべきなのです。そうしないと、生きるための次の一歩が見えてこないからです。
しかし、多くの医師には、医学は専門家に任せておけばいいのだという頭がありますから、通り一遍の説明しかしません。
そのことは、患者さんに聞くとよくわかります。
「担当の先生からは、どういう説明を受けましたか」
という私の質問に、
「大したことはない、薬を出しておくから…」
「放っておくと失明するから、点眼をしっかりつけなさい」
などと、子供だましのような説明しかされていない例をみかけます。
病名は何で、なぜ起こり、薬は何のためにいつまで使い、治療のゴールはどこにあるということについて、患者は知らされていないことが多いのです。
これでは、その人がセカンドオピニオンを求めて私の外来を受診しても、前医の見解を知ることはできません。
少しでも説明があるのはまだよい方で、何の説明もなかったとか、異変を訴えて受診したのに、正常だからもう来なくてよいと怒られたなど、患者の実感や求めとはかけ離れた対応をされていることもあります。
先生にお任せすればよいという時代はもう終わりにし、患者も自分の病状を理解し、診断や治療の限界も認識しながら医療をうまく利用する時代に入るべきだと、私は思います。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20161108-00050047-yomidr-sctch