卵巣がんで腹膜に転移、再発した50代のNさんが私の外来を受診しました。
Nさんは、卵巣がんと診断され、手術を受けたものの、手術後の抗がん剤を拒否して、自然療法や、免疫療法などをやっていたそうです。
抗がん剤を拒否したのは、インターネットや近藤誠先生の書籍で、「抗がん剤は毒であり、全く効果なし」という話を信じてしまったためでした。
がんと診断され、子宮や卵巣を取る大きな手術を受けたことだけでも、Nさんには、大変なショックでした。その上、手術後に
「すぐに抗がん剤をはじめた方が良い」
と主治医から言われ、すぐには受け入れられなかったというのです。
そのような際に、『抗がん剤は受けなくても良い』というささやきは、
Nさんにとっては、救いの声だったのではないでしょうか。
Nさんは、抗がん剤治療を拒否した後、自分で何とかしようと、自然療法をはじめました。
そこは、有名人も通う有名な施行院でした。
施行院のひげの先生から、
「がんになったのは、あなたの心と食事が悪かったせいだ。病院の薬を一切 止(や) めて、自然療法をするように。そうすれば、必ずがんは治る」
と言われ、ひげの先生の自然療法に取り組むことにしました。
最初の3か月間は、肉類、糖分、炭水化物を一切やめる食事療法に取り組み、コーヒーを使ったコーヒー 浣腸
(かんちょう)もやりました。
その後も、肉を 摂(と) らず、野菜中心の食生活を行い、勧められた特別なサプリメントを毎日飲みました。
自然療法の驚きの治療費
Nさんが行った自然療法の治療費は、どうだったのかというと、
1回の治療費は、1万2000円で、月12回前後通いました。
サプリメントは、乳酸菌系・きのこ系・活性酸素除去らしいサプリメント・漢方薬など月20万円位。
体に良いらしい腹巻き3万円・タオルケット5万円・食事が良くなるランチョンマット1万2000円などなども、勧められるままに買ってしまいました。
加えて、大量ビタミンC療法を毎月行い、計240万円。
Nさんが、自然療法、免疫療法に費やした総額は700万円にもなりました。
このような自然療法を続けていくのは、かなり大変なことだと思いますが、
Nさんは、自分のがんを治すためと思い、必死にがんばったそうです。
このような療法で本当に効果があってくれればよいのですが、
Nさんのがんは、半年後に再発してしまいます。
再発後も、Nさんは、自然療法を続けました。
ひげの先生は、
「効果がないのは、あなたの反省が足りないからだ」と言い、
毎回、反省文を書かせたそうです。
その反省文も、
「できが悪い」
と、毎回書き直しだったそうです。
Nさんは、とうとう胸に、胸水がたまってきて、息ができなくなり、病院に緊急入院し、ドレーン(排液するための管)で胸水を抜きました。
Nさんは、このような状況になり、やっと抗がん剤をやる気になったそうです。
がん情報の間違った洗脳?が解ける
私の外来を受診した時には、まだ、Nさんの洗脳?ともいうべき思い込みがかなり強かったのですが、丁寧にお話をしていくと、次第にNさんの誤解が解けていきました。
「がんとうまく共存していくこと」
「抗がん剤は通院でできること」
「副作用は何らかの対処が必ずあり、対応可能であること。がまんせず、言ってほしいこと」
「抗がん剤治療をやりながらも、自分の楽しみができること」
「食事には特に制限はなく、おいしいものを楽しく食べることが一番良いこと」
「家にじっとしている必要はなく、いつでも出かけてよいこと」
「生活の質を大切にしていくことは、がんの治療の一つと考えて良いこと」
などなど
Nさんにとっては、どれも初めて聞く内容で、驚かれたようでしたが
実際に、抗がん剤を始めて、副作用にもうまく対処でき、改めて、私の話を信じてくれるようになりました。
抗がん剤もよく効き、胸水がなくなり、Nさんは、今ではすっかり元気になりました。
大好きなフラダンスもできるようになり、毎日、楽しく過ごしています。
最初の外来のときは、泣いてばかりいましたが、
今では、「毎回の外来が楽しみ」と笑顔で通ってくれています。
Nさんの例は、極端な例かもしれませんが、
がんになった方は、誰でも一度は、自分の食事内容を反省し、改善しようなどと試みる人が多いのではないでしょうか。
前回お話ししたように、
がんの予防に関して、また、がん体験者であったとしても、特定の偏った食事療法をするようなことで、がんの予防ができることはありません。
では、現在、がんに 罹(かか) っていて、目に見えるがんが体にある状況で、抗がん剤などの治療をやっている場合、抗がん剤と併用して、食事療法を行うことに効果はあるのでしょうか? また、がんに対して、直接、食事療法が治療効果はあるのでしょうか?
残念ながら、このような場合、食事療法の効果として、科学的・医学的に実証されたものは一つもありません。
がん細胞というのはとても強力な細胞です。正常細胞が、何百という遺伝子異常を起こして、がん細胞になります。いったん遺伝子異常を起こした細胞は、ちょっとやそっとではビクともしません。
強烈な副作用のある抗がん剤を使って、やっと少し、細胞を死滅させ、縮小させることができるのです。しかも、その効果を持続させることがかなり難しいのです。
このようながん細胞に対して、特定の食事療法やサプリメントなどが、一度出来てしまったがん細胞には、微々たる影響も与えないといったところでしょうか。
楽しく食事をすることも治療効果につながる!
がんに対して、早期に緩和ケアを導入し、生活の質を高めることが、がんの治療効果にもつながるのではないかというエビデンス(科学的根拠)が報告されたことを以前にお話ししました(注1)。
食事療法で、生活の質が上がればよいのですが、玄米・菜食など、つらい思いまでしてやるような食事療法でしたら、生活の質を上げるどころか、生活の質を下げてしまいます。
おいしい食事を楽しくいただくことのほうが明らかに生活の質を上げることができると思います。
ちまたには、「食事でがんを治す」「がんに効く食事」などの決して、科学的とは言えない本が多く出回っています。
このような著書を医師が執筆している場合も多いのですが、たいていは、きちんとした専門医でないことが多いので注意が必要と思います。
食事療法やサプリメントなどの情報は、患者さんにとっては、聞こえがよく、自分でできる方法として、すぐに飛びついてしまわれるかもしれませんが、無理な食事療法は、科学的でないことに加えて、生活の質を低下させ、がんに効くどころか、命まで短くさせかねないことになりますので、注意していただきたいと思います。
参考
- Temel JS, Greer JA, Muzikansky A, Gallagher ER, Admane S, Jackson VA, et al. Early palliative care for patients with metastatic non-small-cell lung cancer. N Engl J Med. 2010;363(8):733-42.
https://yomidr.yomiuri.co.jp/article/20160527-OYTET50036/1/