はるのつぶやき

家族のこと、仕事のこと、いろいろです。
本業は税理士です。

幼馴染との再会

2012年10月31日 08時10分20秒 | 赤ちゃんのこと

昨日、念願かなって美咲ちゃんとの再会。
あっという間に2X年前にタイムスリップ、思い出話や恋バナ、仕事などなど、気づいたら5時間以上も話しちゃいました。
昔の友達と会うと、素直になれる。

結婚はともかく、子供が欲しいんだよね。

っていう非常識な告白にたじろぐことなく、

いいよ~、子供は!
誰の子でも、結局女性にとっては自分の子供だから。
欲しい人の子供を作ったらいい。
子供がいるって、本当に素晴らしいことだよ。

「無償の愛」をささげる相手がいるっていうのは、人生の最大の喜びだと思うんだ。

そう思える私はもう、母になる準備ができているよ、と背中を押してくれた。

勇気と、不思議な安心をもらって、涙が出るくらいうれしかった。

美咲ちゃん、ありがとう、ありがとう、ありがとう!

そして神様、美咲ちゃんにこのタイミングで再会させてくれて、本当にありがとうございます。


Bali Trip 2012 -おまけ-

2012年10月30日 07時39分54秒 | 旅のこと

12日間とは思えぬほどすっかりBaliを満喫し、夜中の羽田空港に到着。

ベテランスモーカーのワタクシ、海外の行き帰りにはタバコの購入を欠かしません。
前回ティオマン-HKから帰国した際には、2箱持ち込もうとして税関であっさりばれてしまい、税金を納める羽目に。
それでも懲りずに、今回も機内持ち込みに2カートン+スーツケースに5箱、計29箱を忍ばせています。(免税範囲は12箱)
だってインドネシア、タバコがめちゃ安なんだもん。街中でもひと箱150円くらい。
空港の免税店は200円ぐらいする上に品揃え薄い。なのでKLで買い足しました。ひと箱190円くらい。

で、ドキドキの通関ですよ。
当たったのはちょっと小太りの、しかめっつらをしたお兄ちゃん。

前回捕まった時は、
「タバコやお酒は持っていませんか?(にっこり)」
「タバコをひと箱・・・」
「ひと箱だけですか?(にっこり)」
「あ、いえ、実は2箱・・・」
とニコニコ顔にやられたので、甘いか辛いか、見た目だけではわかりません。

でパスポートをパラパラっとみて、小太りが一言。

小太り:「おひとりですか~。マレーシアによくいかれてますが、お仕事ですか?ご旅行ですか?」

わたし:「だいたい旅行です。研修旅行もありますけど。KLはトランジットも多いので・・・。」

小太り:「いつもおひとりで?」(目的関係はさらっと放置)

わたし:「・・・はい。」

小太り:「マレーシアはどういうところに行かれるんですか?」

わたし:「コタキナバルとかティオマンとかです。ダイビングがメインで・・・」

小太り:「それもおひとりで?」(訪問エリアも聞いといて放置)

わたし:「はい。」

小太り:「今回はどちらに?」

わたし:「目的地はバリで、KLはトランジットで時間があったのでイミグレ入って再出国しただけです。」

小太り:「バリもおひとりで?」

わたし:「・・・はい。」

小太り:「向こうにお連れ様でも?」(どういう意味やねん!)

わたし:「ええ、まぁ。」

小太り:(ははーん顔で)「いいですよ。」

 

余計なお世話じゃ!!

なんで税関の兄ちゃんに私の私生活をとやかく言われなあかんねん!!
自分なんか彼女いない歴35年のくせに(←独断)、勝手に「負け組アラフォー・リゾートで恋人探しの図」を設定して満足するな~~~!(号泣)
お前が執務中に交通事故に遭っても、絶対かわいそがってやんないからなっ!(ゼーゼー)

 

「自分だってどうせ彼女いないんでしょっ。」と一言言ってやりたかったぜ。
荷物の話題に全くならなかったおかげで、タバコはばれなかったけどね。

ちなみに最後の「ええ、まぁ。」はちょっと返答に困ったところ。
「う~ん、当たらずとも遠からず!」といってみたいところをぐっと堪えました(笑)。
だいたいお連れ様がマンタナニにもティオマンにも、バリにもいるって、無理がありすぎじゃないか。

どうせなら、「マレーシアにお連れ様がいて、時々現地で落ち合ってご旅行なさるんですか?バリだったら彼は現地語もわかるから、お任せできて快適ですね。」ぐらいの設定を繰り広げていただきたかった。残念。(←アタックチャンス児玉清風に)

兄ちゃん、想像力がまだまだ足りんのだよ(ふっ)。


Bali Trip 2012 -Diving&Snorkeling-

2012年10月28日 08時14分31秒 | 旅のこと

危うく忘れるとこでした、ダイビングネタ。

今回はダイビングは6本のみ。
当初12本の予定だったんだけど、カードが使えないのと、スノーケリングで十分きれいな海にでられる(そして自由で楽しい!)ことに気付いたのとで、6本にしました。
そもそも、泳ぎたいメインだからね。

今回もカメラ持込みでたくさん撮ってきましたが、残念ながら自分の目で見たときの感動は映せていない。
スノーケリングで長時間潜っていられるようになったのは大進歩です。


Flash焚いてみればよかった。


Nyoman撮影。


ハウスリーフのお気に入りスポット


西田さんとのダイビング中、「待って撮る」を実践。


Cafe Indah前でみた怪しい生物。


Bali Trip 2012 -Yum yum-

2012年10月28日 07時56分31秒 | 旅のこと

バリのお食事編。

どこに行っても(注:アメリカ以外)地元料理を満喫してしまうワタクシですが、今回も大満足!
なんなら今までで一番食に満たされた旅だったのではないでしょうか(←ただの食いすぎ)。
Ubud & Seminyak編でご紹介済みのフルーツも含めて、今回のお食事大公開。

まずはDPSからAmedに向かう途中で立ち寄ったWayanおすすめのNasi Chample屋さん。
ソースが激辛で、インゲンもほんのりココナツカレー味。フィッシュサテも激ウマでした。
一人前200,000RP(200円)なり。

バイクの物売りから購入したおかゆ。ココナツミルクで米粉を練った感じでしょうか。
あまり得意ではない味で、めずらしく2口でギブアップでした(笑)。

やっぱりこれが一番絶品だったかな。Celemonyでふるまわれたごはん&サテ。
人生初の手食い。

Warun WayanのNasi Goreng(20,000RP)とサラダ(15,000RP)。



同じくWarun WayanのCoconut Ikanなんちゃら。(魚の練り物とココナツのフリッター)
付け合せのUrabが、絶品。

そして釣ってきた魚のグリル バリニーズソース添え。超新鮮です。

ここのごはん、何をとっても本当においしかった。しかも安い上に明朗会計、Nyomanを始め店員さんも感じよい。
実はIndahよりこっちがお気に入りでした。

Cafe IndahのPepes Ikan(40,000+Tax/Svcで多分45,000RPくらい)
まぁ普通に美味しい。付け合せのお野菜の方が美味しい。

テンペサテ(33,000RPぐらい)
テンペってもんを食べてみたかったので挑戦。結論:味はしない。

ゆでバナナ。
Nyomanのおやつをつまみ食い。なかなかイケル。

浜辺でLiamたちが焼いてたマカレルをつまみ食い。
朝10時から、飲んでますこの人たち。
こういうのがうまいのよね~

Nyomanが見つけて友達が捕まえたタコ。超新鮮。味は、普通のタコだけど、バリニーズソースが、うまい!!
(バリニーズソース:生唐辛子、ニンニク、玉ねぎ、レモン、オイルを混ぜる。塩分について言及はなかったが、少しは入れるんだろう)

その辺でもいできた若いマンゴー。野菜っぽくておいしい。(ちょいちょいその辺でもいで食べてました。ごめーん。)

こっちのホテル朝食の標準形?トースト+卵焼き+フルーツサラダ。
見たままの味ですが、卵サンドにABCのAsli(チリ)ソースをかけると格段に美味しくなります。(5本も買って帰ってきたわたし。)

ウブド名物バビグリン(Ibu Oka)
スペシャル(全部乗せ)で33,000RP。
手食いする気満々だったのですが、フォークとスプーンをキュッキュと拭いて使い始めた相席のジャカルタカップルの目の前で、日本人の私が手食いというのもわざとらしいので、敢無く断念。手食いの方が美味しいに違いないのに。

ウブドのNasi Padan屋さん。(30,000RP。一番高いけど美味しかった。)
Nyomanに連れて行ってもらって初のPadanに挑戦。
意外とシステムは簡単で、値段設定はいまだ不明だけど(多分雰囲気なんだと思う)、どんなに高くなってもたかが知れてる。
超気に入ってしまって、この後Padan尽くし。

SeminyakのNasi Padan。タクシーの運ちゃんのおすすめ。(18,000RP)
1人で乗り込んだけど、英語が喋れる店員さんで、おしゃべりも楽しかった。
周りもみんな手で食べてたので、ワタクシも堂々と手でいただきましたよ。
手で食べてるとよく、「バリ長いの?」と聞かれます。初めて来たし、たった2週間だけどね。

KutaのNasi Padan。Birmanの行きつけ。(15,000RP)
Javaでは手食い文化は薄れつつあるらしいけど、Birmanはママの影響で今でも手食い基本らしい。
二人で手食い(笑)。

★フルーツシリーズ★

特大パパイヤ半分 5,000RP
甘くて柔らかくて、もうずっと食べていたい。

マンゴー大2つ +ランブータン 35,000RP
初マーケットでちょっとぼられたけど、味は一番おいしかった!

こんなマンゴーが一個5,000-10,000RPで買えます。
食べ過ぎてしまうのも仕方ありますまい。

トマトこんなに詰めても3800RP

カットフルーツカップ(丼ぶり?) 10,000RP

カットフルーツチリソース添え 4,000RP

ドラゴンフルーツジュース 5000RP

番外編-KL LCCT-

フルーツピックルス盛り合わせ(100g2.9RMで、これは12RM )
アップルマンゴーとパパイヤペッパーが美味でした。

 Singaporian Nyonya Laksa (13.9RM)
KLでニョニャを食べられるところは本当に少なくて、おなか一杯ながら挑戦。
まずくないけど、期待はずれだった。

 そして恒例のAir AsiaのNasi Lemak(420円)

大量の唐辛子にも、水にも、カットフルーツにも一度もお腹を壊すことなく現地食満喫できました。
丈夫な胃腸に、感謝です(笑)。


Bali Trip 2012 -Ubud & Seminyak

2012年10月27日 13時33分00秒 | 旅のこと

初バリだし、メジャーどころも行っておこうと、日本人女性に人気のウブドに3泊、Kutaから近いけど少し治安のよいSeminyakに2泊よりました。
結論から言うと「Amedだけでよかった」、です(笑)。

一応それなりに見てきたのでちょろっとだけ。

■Ubud

<いきなり病院行き>
Amedを去る前日、最後だからと欲張って計5時間ぐらい海にはいってたのがたたり、到着早々に膀胱炎発症。
土曜日夜で、病院も空いてないし日曜も休診の可能性大。月曜まで待ったら重症化は決定的。
困っているところに、Ubudについてすぐ散歩に出たときに知り合ったドライバー兼ホテルセキュリティ兼観光ガイドのHediさんが、たまたま(かセールスか)で宿にやってきたので、ダメもとで聞いてみると、「24時間の病院がそこにあるから、いますぐ連れて行ってあげる。お代は君の気持次第でいいよ。」と。なんだかうますぎる気もするが、背に腹は代えられず、ホテルのフロントに一応これから連れて行ってもらう旨を報告してから、乗せて行ってもらうことにする。
意外やほんとにきちんとした病院に連れて行ってくれて、受付での通訳や、帰りの水やお茶の買出しまで付き合ってくれたHediさん。
病院では運よく英語の話せる女医さんにあたり、やはり膀胱炎の診断で抗生物質を処方してもらう。34万ルピー(3400円)もかかってしまったが、これで一安心。Hedi、疑ってごめん。感謝の気持ちもこめて、タクシー相場の2~3倍と思われる10万ルピーをお支払いしました。

<ザ・観光地>
ちっちゃなアクセサリー屋さんや洋服屋さんがたくさん並んでいるのだが、まさにお土産屋さんの様相。
清水寺の参道の方がまだ面白いってくらい画一的で、しかもモノがいちいち高い。シルバーアクセなんて、日本の方が安いぐらい。
その高い値段も、いちいち交渉しないと聞き出せない。

ここのBargainingは、少しづつ歩み寄る形式。
例えばいいとこ1000円のピアスがあったとする。
まず向こうは3000円とか言ってくるが、ここで1000円と言ったら負けでなんである。
そこで300円といって、向こうが2500円、こっちが500円、向こうが2000円、こっちが700円、といった具合である。
面倒くさいことこの上ない。
ちなみにその日いちばんのお客さんがGoodluckなのはここでも同じらしく、少し強気で行っても負けてくれたりする。
ピアス90,000RPを2点と、サロン3枚120,000RPはまあまぁな買い物だと思ったけど、まだ高いんだろうな。

そして道端にはいたるところにおっさんがたむろして、10mおきに「Taxi、Transport」と声をかけられる。
正直、うっとうしい。必要なときは呼びますから、ほっておいてください。

<フルーツ三昧>
市場の他にスーパーもあって、好きなものを買えるのはAmedにはなかった楽しみ!
ここぞとばかり、フルーツを食べまくりました。
マンゴー、ランブータン、マンゴスチンにパッションフルーツ、スイカにパパイヤ、辛いタレを付けて食べるカットフルーツにも挑戦。(このたれでキュウリを食べたら普通においしかったけど、フルーツにかける必要は全くない。)

<道が最悪>
側溝にふたをしたところが、一応歩道になっているのだけど、まー足場のわるいこと!
30センチぐらいの穴は日常茶飯事、たまにジャンプしないと越えられないようなGapもある。
現地の人は、朝のお祈りセットの残骸を含む種々のゴミを、この穴にじゃんじゃん掃きいれてしまう。
詰まったりしないんだろうか。

バリじゅうどこへいっても、道端に1Lのウォッカの瓶がならべられた棚がある。
なんだろう?と思って観察していたらこれ、ガソリンなんです。危険すぎる。
日本の様にいたるところにガソリンスタントがあるわけでないのと、タンクの小さいバイクが多いからなんでしょうね。
何かあったら、ちょっとした爆発騒ぎですよ。

<伝統芸能>
毎日どこかの寺で演奏やダンスが行われている。
昼間の宮殿では子供たちが練習しています。
なんだか完全に商業化されていて、どうしても見に行く気になれず、今回はパス。

近所でやってた結婚式の方がずっと興味深かった。

<バリの女性>
ここでも女性がはたらく、はたらく。

このがれきの山。当然ユンボが来ると思うじゃないですか?

どっこい、人力で籠にいれて、頭にのせて運ぶんです。
しかも、女性が。

イスラム教と違ってあまり問題として取り上げられることもなく、ワタクシ全く知りませんでしたが。
ヒンドゥ教のバリでも、やはり女性の立場は非常に弱いものだそうです。
学校に行かせてもらえる女の子はほとんどいません。少し裕福な家でも、学校に行かせてもらえるのはせいぜい2人目の男の子まで。学校が無料だとしても、通うためのガソリン代や給食費が払えないんだそうです。
また一夫多妻が認められていて、さらに2人目以上の妻を娶る際の収入制限や祭司の許可制度のようなものもありません。(マレーシアでは厳しく定められており、十分に養えるだけの妻しか娶ることはできません。)
一方離婚をしたら、親権は当然のごとく男性に属し、女性は慰謝料の請求権すらありません。
男性の家に嫁いだ後、女性が実家の両親の面倒を見ることは許されません。
また長男がすべてを継ぐという家長制度も、今なお健在です。
現地で出会った心優しく純粋な男の子たちとはなんだか一致しませんが、それが現実だそうです。

■Seminak
ちょっと静かなところを選んだつもりが、近くのバーで夜ごと大音量で音楽を垂れ流し。最悪な環境でした。

到着してすぐ、恒例の街歩き。Kutaまで往復3時間ほど歩いてみました。

ここもザ・ビーチ観光地。
バカ高い土産物屋や、劣悪な品質の洋服を売る店。
観光客にブレスレットを買ってくれとせがむ子供や、売春まがいの女の子。
なんだかPatayaを彷彿とさせる場所でした。

ブレスレット売りの子供たちの中で1人、際立ってきれいな英語を話す女の子がいました。
ネシア語と英語ができれば、通訳としての仕事を得られるでしょう。
自立できるまで何とか無事に切り抜けて、幸せになってね。

朝のSeminyakのビーチは静か。
ジョギングをする欧米人や、散歩にでてきた地元の方々がそれぞれに朝のビーチを楽しんでいます。

中日にKutaまで遠征して予定通りサーフィンに挑戦。
Oddessayという大手のサーフスクールを予定していたのですが、朝9時に行ったら、「朝は7時がラスト。次の回の1時までクラスはない。」とのこと。
しかもグループレッスン2時間300,000RPだと思っていたところが450,000RP(4500円)と判明。湘南とかわらないじゃん。
あきらめて近くで客引きをしていたビーチボーイのBirman君にお願いすることにする。
90分で150,000RPだというし、もしダメダメだったらその後あらためてOddessayのスクールにいってもいいや、ぐらいの気分で。
他に客もないから個人レッスン、少々英語はつたないが、誠心誠意教えてくれる。あっという間に立てるようになって、ほんと楽しい!
Birmanの友達もなんだか知らんが盛り上げてくれるし、サーフィン後もなんやかんやおしゃべりしたりしてお昼過ぎまで長居してしまう。
物売りもやってはくるものの、Birmanたちのグループにすっかり溶け込んでるのと、Birmanが「この人はいいから。」という調子で断ってくれるおかげで、無理やり売りつけられることもなく、いろんな人と話して楽しく過ごした。
日本語ができるけど英語ができない子と、英語できるけど日本語全然わからない子とがいて、日本語&ネシア語&英語の会話が不思議と成り立ってるのも面白かった。

この時期観光客は少なく、ビジネス的には厳しいようだ。
Herman(写真左)が日本語で「お客さんナイネ~今日なに食べるね~」と歌うのが妙にリアル。
自給自足でも食べるのには困らないAmedと違って、Kutaでは現金収入がなければ食事に事欠く。
しかもJavaから出稼ぎに来ているこの子達にとって、収入がなければ滞在費がかさむだけでマイナスなのだ。
もう突き抜けて明るくするほかないのだろう。

Birmanがホテルまで送ってくれるというお言葉に甘えて、代わりにお昼をご馳走する。
Nasi Pandan屋さんで1人15,000RP(150円)という質素なものだけど、「ありがとうございます。」とかしこまってお礼をいうBirman。
「サーフィン本当に楽しかった!Birmanに教えてもらえてホントよかった。ありがとう!」とお礼を言うと、「私も仕事をもらって、本当にありがとうございます。」とまたかしこまる。

帰ってきてからFriend申請したBirmanのFacebookに、「明日は仕事があるのだろうか。不安で眠れない。」というPostがたくさんあって、せつなくなる。20歳そこそこでたった一人出稼ぎに出て、そんな深刻な状況に置かれるなんて。
日本から飛行機でほんの数時間の国に、こんな現実があるのです。
毎日仕事があって、毎月きちんと暮らしていくに十分すぎるぐらいのお給料がいただける。
日本では当たり前のことだけど、そのありがたみを忘れてはいけないなと。
今の日本に生まれた私たちは、本当に幸運です。

一方、どう考えてもBirman以下の仕事しかしていないAmedの青年たちは、不安になるどころか、一向に気にしていないのか、気にしているけどそれを出さないだけなのか・・・。
そういえば、ひょうきんなお調子者のRomiに、「将来なにになりたいの?」と聞いたら、「ボスになりたい。」と言っていた。
ホテルでもレストランでもいいから、「ボス」になりたいんだと。
「そっか、自分でビジネスをやりたいんだね~。じゃあ投資が必要だからお金貯めなきゃね!」と何の気なしにいったら、黙ってしまった。
そんなまとまったお金を手にするチャンスは、ゼロだということなんだろうか。
ごめんね、Romi。
日本人女性を捕まえようとする男の子が多いのは、将来の生活の糧にできるようなビジネスを始めるためのまとまったお金を手にできる方法が、それ以外にないからなんだろうか。
そんなに仕事をしたいようにも見えないんだけどな(笑)。


Bali Trip 2012 -Wedding Celemony-

2012年10月27日 12時01分07秒 | 旅のこと

ある日Nyomanが、「友達のWedding Celemonyがあるから一緒に行こう!」って誘ってくれた。

結婚式って、日本では他人が軽々しくでていいもんじゃないけど。
どうもバリでは、だれが出てもいいみたい。
(結局、本番の結婚式は月末で、今回のはその前に新郎の実家で開くBachelor partyみたいな会だったんですけどね。)

新郎の実家はLipahからバイクで山道を40分ぐらい行ったところにあるSerayaという村です。
Lipahにいる彼の友達がこぞって集まるので、近づくにつれて暴走族状態になります(笑)。
まだバイクに慣れない私はかなり必死でしたが、途中壮大な景色が何度も見られて、得した気分。
道で会う人もかなり知り合いが多いらしく、すれ違うたびにビッとクラクション。
そのたび物珍しげに見られてちょっと恥ずかしい。(多分服装のせい。)

その服装というのがコレ。
一応正装ってことで、Nyomanのお姉ちゃんのクバヤを借りたんです。

ふざけて仮装しているみたいにみえますが、本人真剣ですから。
そして色のコーディネートがめちゃくちゃなのは、Nyomanのセンスですから。

それにしても頭の巻物(ウドゥンというらしい)をしたバリの男性、セクシーです。
(と誰かに言ったら、「Naomi, Naka~~(Naughtyという意味)!!」と激照れされた。一般論だったのに。)


日の高いうち(4時半ごろ)から酒盛りが始まります。
家の縁側だけでは全然たりず、庭にも茣蓙やらビニールシートやら、元ビニールシートをしいてそこで飲み食い。
当然手食いです。(これがえらい美味しくて、以降手食いにはまってます。)
ちなみに中央のポリタンクは、ヤシワインが入っています。臭すぎて、私は飲めませんでした。

ちなみに、ごはんと魚の生ふりかけ、サテーが大皿でふるまわれそこからみんな手食いなのですが、「どうしてこぼさずに食べられるのだろう?」と観察してみたところ。

みんな盛大にこぼしてるんです。
なんなら各々目の前に、こぼしたごはんの山ができています。
このままではみんなが歩くたびにべちょべちょになるじゃーん!!と思っていたら。
ひとしきり食べたところで、手伝いのおじさんが出てきて箒でシートの下に掃きいれて、”OK”となります。
明日にわとりちゃんたちがきれいにしてくれるんでしょう。

ちなみに「トイレって、あるの?」って聞いてみたところ。
「ない。」
ガンガン飲みだす前に聞いておいてよかった。

リアルうるるんです。


中央が新郎。なぜか一番カジュアル。

自然にケチャが始まったりします。(超カッコイイんだこれが!動画だから載せられないのが惜しい)

天才シンガーも参加(お店どうしたの?)

ポリタンのヤシワインは、バケツに注がれ、

さらに手桶でコップに注がれ、次々に手渡されます。
Nyomanも私も飲めないのでArrakばっかりでしたが、飲んでる人はカポカポ飲みまくってます。
ちなみに量を少なくしても一気飲みするのが流儀です。(私にはいつも2ミリぐらいにしてくれてました。ありがとう。)

新郎とツーショット

女の子も参加してます。でもなぜか輪に入らない。

リアムとエド(あほ2人)

踊り始まったりします。

子供たちも、飲まないけど参加。
お酒を注いでくれたりします。

男同士で手つないだり、抱き合ったり、腰に手を回したり、結構ガッツリ行くので一瞬引きましたが、ゲイ的なことではないそうです(笑)。

そして12時ごろお開きとなって一段帰路につきます。

そこでですが、憶えてます?
みんな、バイクです。
さんっざん、飲んでます。

でもバイクでギューンと帰りましたよ。
Nyomanは最後の1時間ぐらいは水だけ飲んでましたが、その前にかなり飲んでたし。
中には歩くのもおぼつかないようなヤツもいるのに。
タクシーも運転代行もないので、バイクで帰る他ありません。(こえー)

さらに酔っぱらいすぎてライトをつけ忘れたまま走ってるのが一台。(街灯なんかゼロ、明かりナッシングですよ。)
NyomanとKomanで交代で照らしながら走って、何とか無事にLipahまで帰りましたが。
Liamが転んで肘擦りむいたらしいけど、死人が出なかったのが奇跡です(TT)。
もうこんな無茶は、やめてねみんな。

帰りはちょっぴり恐怖だったけど、楽しい体験でした。
このパーティでLipahのほとんどの若者と知り合いになれて、次の日からすっかり地元民気分(笑)。


Bali Trip 2012 -Lives in Amed-

2012年10月27日 11時12分07秒 | 旅のこと

Amedの産業は、観光と漁業。

■漁師さん

漁師さんたちは朝5時ごろ、Jukunと呼ばれる細長~いアウトリガーボートで漁にでて、7時半ごろに戻ってきます。
特に港があるわけではなく、砂浜に駐車(?)してある船を担いで海にでて、帰ってきたら波の勢いで砂浜に打ち上げるか、また担いで駐車させます。

釣ってきたバケツ一杯ぐらいの魚は、特に市場などがあるわけではなく、買い付けに来たブローカーに卸しているようです。

船を担いで駐車させる手伝いや、魚の積み下ろしの作業だけをするだけに浜に出てくる男どもや女性もいます。

いくらで売っているのかわからないけど、この人たち、これで暮らしていけるのかな?

ある朝、この漁に同行させてもらいました。(2人で25,000RPとられたけどね。)
朝5時、まだ真っ暗な中を出港、途中で日の出が見られます。(びしょびしょになるので通常のカメラは危険)

まったり釣り糸を垂らすつもりでいったのですが、どうも毛バリの仕掛けがたくさんついた一本の糸を流す手釣りタイプの釣りで、知らないうちに漁師さんがつっちゃってました(笑)。

海の男、カッコイイ。(船上では男前度3割増し)

この日は大漁、マカレルと呼ばれるカツオの小さいのが50~60匹ぐらいつれてました。


一生懸命に釣りに勧誘してくれたまだ高校生のNyomanくん。
後から聞いた話では、勧誘者は5%の報酬がもらえるそうです。
(125円のために、朝ごはんが終わるまでの時間も含めて、4時間も付き合ってくれたのね。チップあげればよかった。)

早朝たまにこうやって小遣いを稼ぎ、午前中Warun(食堂)を手伝って、午後は学校。そして夜また食堂というハードスケジュール。
「疲れないの?」って聞いたら、「これが普通だよ。釣り来てくれてありがとう!」って。
このまま健全に育っておくれ。

釣ってきた中から3匹をもらって焼き魚にしてもらいます。(えーそれだけ~?と思ったけど、十分すぎました。)

釣りたて新鮮の焼き魚、バリニーズソースでいただきます。


ペコペコのお腹に、ごはんも進んじゃいました。(別料金5000RPなり)

■ビーチボーイズ
浜辺に行くと、パラソルやスノーケルセットのレンタルをしているビーチボーイズがそこらじゅうにいます。
正直、旅行者の数より多くないか?ってくらいいます(笑)。
そしてだいたい、寝てたり食っちゃべってるので、仕事してる感はゼロ。
後で行ったKutaのビーチでは、ビーチボーイズの他タトゥーやマニュキュアのおばちゃんがいて押し売り感満載でしたが、ここではそんなこともありません。だってやる気ないもん(笑)。

■よろず屋
浜辺にたむろしていない若者も、日中から結構うろうろしています。
この人たちは旅行者からの要望があれば、バイクや車でのTransportation Service、snorkelingやTrekkingのガイドなど、よろずサービスに出動するべく、遊びながら待機しています。

ビーチボーイズもよろず屋組も、不思議なくらい押し売り感がありません。
なぜかと聞いてみたら、やる気がないからだけではなく、全部を仕切っている元締め(Organization)があって、みんなに平等に仕事が回るようにコントロールしているとのこと。
そのおかげで、我先にという押し売りに観光客が辟易することも、価格破壊が起きて利益スレスレの操業をすることもなく、うまく回っているのですね。
ちなみにこの元締め、月に2回、地元の女性を雇ってビーチクリーンアップもしているそうです。
すばらしいコミュニティの知恵です。これが機能している限り、細々とでも観光客に愛されるAmedが守られるでしょう。

■ナイトライフ
昼間寝てる時間が長いせいか、夜もみんな元気です。
だいたい所属のお店にたむろしてお客の酒を飲みながら歌うたったり、ライブ演奏のあるバー(クラブ?)に行ったりします。


Adelとか歌う。これがまた、うまい!


この人はお店の人。フランス語を歌いこなす。


毎晩飲んでたARRAKというお酒。焼酎みたいな感じ。


クラブ(HarleyとPacha BarとWawa Weweで回ってる感じ)

■闘鶏
地元の男どもの楽しみの一つ、闘鶏に連れて行ってもらいました。


鶏は蹴りあって闘うのですが、そのかかとの部分に5センチほどのナイフをひもでくくりつけ、殺し合いをさせます。(ヒョエェ~~~)
見ての通り、地元の猛者だらけ。旅行者も私だけなら、女性も私ひとり。
連れて行ってくれたNyomanはバリ版ルーレット?に夢中で私のことなんてほったらかし。

初めかなり好奇の目にさらされてちぢみあがったけど、闘いの合間に現地語であいさつしたり、簡単な話をしてみたり(「パパイヤ、美味しい?」とか(笑))するうちに、みんなが身振り手振りで「こっちの方がよく見えるよ。」「ここすわりなよ。」と話しかけてくれて居心地改善。しまいには現地人価格でパパイヤ&お水を売ってもらえちゃった(計30円。お店の5分の1くらい。)
微々たる金額だけど、なんだか認められた気がしてウレシい。
ほんの少しだけど、現地語覚えててよかったわん。

この卵、生のまま飲むんです。
Nyomanも4つも飲んでました。おえぇぇぇぇーーー

鶏専用バッグ(小窓付き)

■バリ人の名前

なんと4つしかありません。
第一子から、Wayan, Made, Nyoman, Katut、第五子はまたWayanに戻ります。
だからそこらじゅう、Wayanだらけだし、Madeだらけだし、Nyomanだらけです。
2人Nyomanがいたらどう呼び分けるのか?ー雰囲気です。苗字はほとんど呼びません。
「私Nyomanのいとこなのよ。」
「え、どっちの?」
「あっちのよ。ふふふ」
ふふふっつわれても、どっちのNyomanなのか全然わかんないんですけど。
これをマスターするには、かなり修行が必要です。

次は、Amed(からちょっといったSerayaというところ・・・だと思う)であったWedding Ceremonyのお話です。


Bali Trip 2012 -Amed, Bali-

2012年10月27日 09時59分19秒 | 旅のこと

今回の旅の最大の目的地はAmed。
Baliに行くことになって、ダイビングができる場所を探したらAmed&Tulambenが候補にあがり、近い方を選んだわけですが。
地球の歩き方でもほんの数ページ、「バリ島東部」の一部として紹介されているのみ。
アメリカを始め他の国のメジャーなガイドブックでも同様らしく、ダイバー以外の旅行者はほとんど来ないところです。(例外として、フランス人だけはなぜかたくさんいます。)


この地図で右端のダイバーマークのあるところです。

デンパサールの空港から車で3時間ほどこんな山道を超えて行きます。


美しいライステラス

たまたま宿をとったところが、Amedのなかでも外れにあるLipahという村なのですが。


こんなのっぱらが広がっています。

そこには牛や、

シカ?や

ヤギがいたりします。

鶏を飼ってる率が異常に高く(多分ペット兼食料)

野良鶏もそこらじゅうにいます。

 

こんなビーチ沿いの村ではプチ市場があったり、

子供があそんでいたり、

離れたところに住んでいる人用にバイクの物売りがいたりします。

どれも一つ1000RP(10円)という雑駁な値付け。

長いインゲン豆(Urab)をよく食べます。
テイクアウトの食料は、大体紙に包まれています。
この中身はおかゆなのですが、それでも紙につつんじゃいます。

お店はこれが最高レベルです。

つまり、ド田舎です(笑)。
観光地嫌いの私にはうってつけ。
旅のDestinationを選ぶ嗅覚の鋭さには、我ながら毎度感心してしまいます。

息をのむような朝焼けや

まぶしい朝日

裾野が長く広がるアグン山の背後に沈む夕日が見られます。

Scubaを背負わなくても、少し沖まで泳げばこんな景色に囲まれる、素敵な海に恵まれています。

本当に自然がいっぱいの、素敵なところです。

次はここの人々の生活についてご紹介。


Bali Trip 2012 -旅程&費用-

2012年10月27日 08時32分54秒 | 旅のこと

8月にTiomanに行ったばかりですが、もいっちょ旅しちゃいました。
今回のDestinationはBali!
当初Jと一緒に行こうと、沖縄旅行の予定をキャンセルして企てたわけですが、結局Jは来ず。
その代わり途中で会社の友達が一部Joinしてくれたり、現地の人々とガッツリ交流深められたり、盛りだくさんの楽しい旅になりました。

旅程はこんな感じ。

10/12 23:55 羽田発
10/13  6:35 KL着
      9:25 KL発
     12:30 DPS着
     16:00 Wayanの車でAmed着
10/20 14:00 Wayanの車でAmed発
     17:00 Ubud着
10/23 12:30 バスでUbud発
     15:30 Seminyak着
10/25  6:00  DPS発
      9:00 KL着
     14:30 KL発
     22:30 羽田着

■交通費
羽田-DPS     27,800 円
DPS-Amed   350,000 RP
Amed-Ubud  150,000 RP
Ubud-Kuta    60,000 RP
Kuta-Seminyak 75,000 RP(タクシーでぼられたけどおしっこモレそうだったので言い値の半額で妥協)
Seminyak-kuta 30,000 RP(サーフィンしに行きました。帰りはビーチボーイがバイクで送ってくれた)
Seminyak-DPS 51,000 RP
DPS-羽田     19,998 円
VISA代        2,100 円
出国税       150,000 RP
合計         57,174 円(1円=119RPで両替&換算)

■宿泊費
Amed 7泊     18,916円 (予約一回ミスしたキャンセル料 2,303円含む)
Ubud 3泊      6,702円
Seminyak 2泊   5,875円
合計          31,493円 (←これは直接予約したらかなり節約できたところ。次から努力する。)

■おこづかい
ダイビング、食事&マッサージ、お土産代
全部で42,000円両替してちょうど使い切ってきたので、現地交通費(上記)を引くと正味35,000円。
内訳は
ダイビング 1,895,490 RP (6 dives 16,000円@ 2650円)
マッサージ  825,000 RP (6回。Ubudが高かったけどAmedのWayanがイチバンだった。@115,000RP)
病院      340,000 RP
サーフィン   150,000 RP (1.5H)
釣り       125,000 RP (焼き魚の朝食含む)
食事&お土産1,512,410RP (12,700円=一日あたり1,060円!これでもツーリストプライスなんだろうけど、十分やすい。)

■プラス
KL空港で待ち時間に150RMぐらいつかっちゃった。(4500円)
タバコ購入(3CTN) 7000円くらい (インドネシアはDFじゃなくても160円くらいだけど。)
合計 11,500円

締めて 135,167円なり。
12日なので@11,300円。Bagus!


Tioman Trip 2012 -J‐

2012年10月01日 06時54分08秒 | 旅のこと

最後に、ちょっと切ない思い出話。
これこそ誰も興味ないけど、気にしません。(キッパリ)

この島旅で、超久しぶりに恋に落ちました。
正確には、島で落ちたわけではなくて、島から帰ってくる途中に、スットーン、と。

到着した日、通りがかりのレストランでハンバーガーを焼いて売ってるかわいらしい男の子に、「どこから来たの?名前は?バーガーおごってあげるよ!(つーかそれ、売りモンじゃないのか?)」と声をかけられた。
前述のとおり、島で女子一人歩いていたらみんな普通に声をかけてくれるから、変に意識もせず自己紹介し合ってバイバイ。

夜ごはんを食べていたら、目をキラキラさせた彼が「ねね、もう少しで仕事終わるからまってて!おしゃべりしようよ。」って。(ちなみに、かなりBrokenだけど、気合で通じさせるタイプの英語。(笑))
まだインド人家族が来る前で一人ぼっちだった私、なんだかほっとする。

(気合の英語で)話し始めたら、実はけっこう大人で(28歳)、しかも妻&2人の子持ちだったことが判明。おっとビックリ。レプトスピラ症っていう大病で生死の境をさまよった後、人生をやり直すために家族を家に残して、リゾートを経営している叔母さんを頼ってここティオマンにやってきたんだそうだ。

初めは、”なんちゅう身勝手な男じゃ。”とあきれたものの。
命を取り留めた後に書いた日記を読ませてもらい、その時考えたこと、これからしたい生き方を熱っぽく語る彼に、「なんだ結構しっかりしてるじゃん。」(←完全オバサン目線。だって10コも年下ですもの。)

同じ病にかかった人が周りで7人も亡くなって、自分だけが生き延びた。
だからこれは神がくれた2回目の人生。
お金第一に、愛のない結婚の中よい夫を7年も演じてきた人生に区切りをつけ、自分の生きるべき人生を生きたくて、ティオマンにやってきた。

病の床でアラーの訓えを理解したという彼の結論は、超シンプル。

Your heart must be good. Thanks God.

毎日朝ごはん、昼ごはん、夜ごはん時のお仕事の合間&仕事が終わった後に、「トントン・・・おしゃべりしよう。」って部屋にやってくる。朝マレー料理のルンダンっていうカレー(これ激ウマだった~!)を持って起こしに来てくれたり、夜「鍵開いてるよ!あぶない!!」とか教えてくれたり(笑)。
おしゃべりって大して話すこともないはずなのに、そして英語のボキャブラリーも限られているのに、不思議と話題がつきない。

部屋に入らずにバルコニーでおしゃべりしようとするのは、きっとイスラム的に「女性と個室に二人になってはならない」っていうやつなんだと思う。(結局入ったか入らなかったかでいえば、入ったんだけど(笑)。)

そんな風にとりとめない4日間を一緒に過ごして、最後の日。
帰る日の朝、「後で読んで。」といって手紙をくれた。
そして、ものすごい戸惑いながら、Jettyでキスをしてくれた。(これはモスリム的にはかなりあるまじき行為)

別れのまさにその時突然現れた巨大クラゲ。リアルに座布団サイズ。おぇ~~~~

KLに向かう飛行機の中でその手紙を開く。
気合英語は、手紙だとさらに意味が分かりにくくなるけど、それでも気持ちはすごく伝わってくる。
手作りの便箋にも気持ちがにじんでる。

こんなに大切に思ってくれる人、最近いなかった。
自分でさえ、思っていなかった。

5 years ago,
I decided to leave Yamanashi and Harukaze after that hardest break-up.
Since then, I've been trying to come back to life, but could seldom feel alive.
My heart was completely broken, and needed time to heal.
I just wait for the time. For the chance to go back alive.

After waiting too long,
It came to seem impossible to me, and it felt like living a "left over" life.
No passion, No dream, No desire.
Just meaningless passtime.
'n from some point, came to think I could give up this life anytime.
But luckly, I was too tired to end it myself,
and got my family there, only ties I can truly rely on and only reason I live for.
So I was just watching it flow, doing those meaningless passtime.

Then I met him.
I'm feeling alive first time in these 5 years.
I'm feeling love first time in these 5 years.
I'm feeling worth of my life first time in these 5 years.
I'm feeling passion first time in these 5 years.
I'm feeling prayer first time in my life.

We have millions of barriers to get over.
But it's worth to try, and I have faith we can.

ただ一つお願いを言えるとしたら。

英語の時制だけは、使い分けていただきたい。

(注:マレー語には時制の語形変化がありません。)
 

 

Oct.27,2012 追記
その後2か月ぐらい、Facebookと電話で連絡を取りあい、一時期本気でMY移住を考えたものの。
一緒に行こうといって計画した旅行にJが来れなくなったあたりから、言葉の行き違いなのかメンタリティの違いなのか、コミュニケーションのすれ違い感に堪えられなくなり。
またそのころ日本で出会いがあったこともあって、JとのRelationshipにはピリオドを打ちました。
彼に会えたことは、今でも感謝しています。
彼と会えていなかったら、今でもヒッキーな生活を送ってたんじゃないかな。