ロシア近隣には似たような、木型と砂糖を組み合わせたお菓子(gingerbread) が2種類ほどあります。Speculaasと南ドイツのSpringerleです。スペキュロスはベルギー、デンマーク、ドイツの一部で作られています。オランダでは、Sinterklaas(聖ニコラスの日)に関連してよく食べられ、ベルギーやドイツではクリスマスの時期に焼かれる伝統的なスパイスクッキーです。サクサクとした舌触りが特徴でグルテンの少ない小麦粉で作られます。Speculaashは1870年、Springerle は1350年代に作られ始めたと言われています。ともに砂糖がなくては作ることができないお菓子です。
プリャニクを含め、モスクワから西と北に向かって『ジンジャーブレッド』と名のついたお菓子がたくさんあります。ジンジャーが入っていなくても、スパイスが少しでも入っていればこの名が付いています。ジンジャーはこれらの地では育たないので、イスラムから目玉が飛び出るほどの値段で買わされていたからでしょう。
デンマークの Alte Spekulatius Form 19 Jh.
ベルギーのサイト Speculaas koekjes recept I 24Kitchen から;
スペキュロス
材料
225 g バター
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300 g イエロー(ライトブラウン)キャスターシュガー
5 g 塩
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50 g バターミルク
500 g ゼーランドの花(オランダの海洋性気候下のゼーラント地方で栽培されたデンプンとタンパ
ク質の少ない小麦粉)
20 g ベーキングパウダー
30 g ジンジャーブレッドスパイス
方法
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1. オーブンを150度に予熱します。
2. バターをキャスターシュガー、塩、バターミルクと混ぜます。小麦粉とベーキングパウダーを加え
ます。ジンジャーブレッドスパイスを生地を通してふるいにかけます。
3. 生地を2日間休ませます。
(外部サイトへリンク)
4. speculaasplank を使って生地を形作ります5. オーブンで150度で25分間焼きます。
プリャニクを眺めているとSpringerleの木型を思い出してしまいました。Springerleは砂糖の生産量と並行してその盛衰が上下しました。砂糖のヨーロッパでの遍歴を少し振り返ってみようと思います。
下はSpringerleによくあるハートに薔薇の花の図柄。AMOTEはラテン語でI Love Youの意。ロシア、ヨーロッパともにジンジャーブレッドの図柄は当初、教会と結びついた図柄でした。柄を見るとそれが作られた年代がわかります。
お店で使っていたPringerleの型。House on the Hill Cookie Molds で購入した一つで長年使って縁が欠けています。
ТУЛЬСКИЙ ПРЯНИК: рецепт. Тот самый вкус из детства! ☆ Рецепт пряников с начинкой: (トゥーラのジンジャーブレッド: レシピ。あの懐かしい味!☆ フィリング入りジンジャーブレッドのレシピ )が Bing 動画 で見ることができます。ここいらで一休みしましょう。
ヨーロッパにおける砂糖の使用に関しては既にApiciusで述べましたが、異なる方向から確認しておこうと思います。古代ローマの博物学者プリニウス(Pliny the Elder)がD 77-79年にラテン語で書いたPLINY'S NATURAL HISTORY(Naturalis Historia)を取り上げます。
XVII. Arabia also produces cane-sugar, but that grown in India is more esteemed. It is a kind of honey that collects in reeds, white like gum, and brittle to the teeth; the largest pieces are the size of a filbert. It is only employed as a medicine.
アラビアでもサトウキビが生産されていますが、インドで栽培されたものの方がより高く評価されています。それは、葦に集まる一種の蜂蜜で、ゴムのように白く、歯に当たるともろく砕けます。最大の塊はハシバミの実の大きさをしています。これは薬としてのみ使用されます。
ローマ帝国のペダニウス・ディオスコリデス( Πεδάνιος Διοσκορίδης AD 40 -90年)の著書Dioscorides Material Medica AD 50-60の中にもその記述(下)があります。この本はNATURAL HISTORY の内容を一部引用しています。
2-104. SAKCHARON
SUGGESTED: Arundo saccharifera, Saccharum officinale,
Bambusa arundinacea — Sugar Reeds
There is a kind of coalesced honey called sugar found
in reeds in India and Arabia the happy, similar in
consistency to salt and brittle [enough] to be broken
薬として用いられていたことは上述から明らかです。 インドやイエメンあたりで「アシからとれる"sakcharon"」というものが「膀胱や腎臓の痛みを和らげるために服用される」とディオスコリデス は述べています。ヨーロッパはローマ帝国時代に大西洋、地中海そしてインド洋と広い視野の下で文明を築いていたのですが、その後キリスト教の下で深い眠りにつきます。再びヨーロッパに砂糖が姿を現わすのは9世紀頃からアラブの支配下にあったシチリア島で砂糖が生産されるようになってからです。その後、アル=アンダルス(スペイン)が砂糖生産の中心地となり、ここから砂糖がヨーロッパに輸出されたのです。
Wikiは『ロシアのプリャーニクは、9世紀ごろには既に存在しており、当時は「медовыи хлеб(ミェドーヴィー・フレープ=蜂蜜入りパン)」と呼ばれていた。それらはライ麦の粉を蜂蜜や果物の汁と混ぜたものであり、そのうえこれらに含まれる蜂蜜の量はほかのすべての材料のほとんど半分にもなった。』と述べていますが、これはこれまでの内容と符合します。
ハンガリーのジンジャーブレッドです。
Mezeškač - ハンガリーの蜂蜜ジンジャーブレッド - パン Pechla.ru
をご覧ください。綺麗ですねえ。
つづく