北海道地名由来史 リバイバル2
小樽市
小樽市は、北海道が蝦夷地と呼ばれた江戸時代に既に和人が住み始めた地で、現在の小樽港周辺に運上屋と呼ばれる和人とアイヌの交易場があり、賑わいを見せていました。
小樽の語源は、小樽市の最東端を流れる~旧オタルナイ川〜(現在の新川)から来ています。
オタルナイ川は、明治20年の人口河川である新川の開削により大部分が消滅し、名残りか清川という小川が支流としてひっそりと残ります。
アイヌはオタルナイ川を、オタル、ナイ~砂浜の中の川と呼び、アイヌのコタン(集落)があったとされ、周辺には和人として1596年 慶長元年に道南の福山から八木勘右衛門が入植したのが始まりです。
慶長元年といえば、上方では第2次朝鮮出兵〜慶長の役、豊臣政権の末期という時代です。
都市として、独自の発展を紡いできた小樽は、
小樽に繁栄をもたらしたのは、古くはニシンの漁場。そこから石炭の輸送のための鉄道と港湾の整備がありました。
いまや小樽の観光と文化を象徴する小樽運河はその象徴ともいえます。
昭和と平成の時代の流れの間にその何れもが衰退しましたが、埋め立て寸前に大規模な反対運動の末に完全埋め立てを免れて観光地化された小樽運河が観光地として小樽市を蘇らせました。
都市として独特の歴史、文化を紡いできた小樽市は、蟹工船の作家、小林多喜二、俳優では昭和を代表するスター石原裕次郎、数々の話題映画作品で主演した宮本信子を輩出しました。