源頼朝、北条政子夫婦像
蛭ヶ小島 碑
静岡県伊豆の国市四日町
1160年、平治の乱に父で源氏の棟梁、源義朝と共に挙兵したものの敗れ、処刑を免れて伊豆、蛭ヶ小島に流罪となった源 頼朝、この時は14歳の若武者でした。
狩野川
蛭ヶ小島は狩野川の中州とも、田んぼの中の高地とも伝わり、頼朝はこの地で伊東祐親の監視下にありながら過ごし、伊豆の小豪族、北条氏の所領近くでもありました。
伊東祐親は娘、八重と恋仲となり、子まで作った頼朝に激怒し、殺害しようとしますが、頼朝は寸前のところで逃れ、その後、蛭ヶ小島に近い北条氏に匿われます。
1177年、治承元年頃、頼朝は政子と恋仲となります。
政子の父、北条時政は、伊豆では厄介者扱いの頼朝と政子の恋には猛反対で、政子を伊豆目代(国司の代官)山木兼隆に嫁がせようと画策しますが、政子は山木屋敷を抜け出して頼朝の元へ戻ります。
政子の一途な姿に時政も負け、頼朝との縁組を認め、この源氏嫡流との結び付きが、小豪族に過ぎなかった北条氏が、後に歴史の表舞台に立つことになります。