葛飾北斎の西洋画がオランダで発見されたと報じられていました。
シーボルトが持ち帰り2年前に直筆の文章がみつかり判明したとか・・。
北斎の絵がゴッホやドガ、ガレなど西洋の美術に影響を与えたことは有名な話。
以前、太田美術館で娘の葛飾応為(おうい)の描いた「吉原夜景図」という西洋の影響を受けた陰影のある絵をみたことがありますが、北斎の西洋画も見れるなんて。
さすが天才。
北斎は90回以上も引っ越しをしたらしいですよ。
79歳の時に火災にあい、70年も描きためていたすべての写生帳を失い、そのときに一本の絵筆を握り締め
「だが、わたしにはまだこの筆が残っている」と言ったそうです。
かっこいいー
「冨嶽三十六景」をはじめ「漫画」「美人画」「春画」「妖怪画」等、様々な絵を描いた北斎。
その中で私の一番大好きな絵は「富士越龍図」
90歳で亡くなった北斎の最後の傑作です。
色彩鮮やかな作品を書き続けた北斎が最後に描いた絵は
真っ白な雪化粧の富士山と空高く登っていく龍の絵。
亡くなる前の境地だったのでしょう。
龍は北斎自身だったのかもしれません。
そして辞世の句は
「ひと魂で ゆく気散じや 夏の原」
「死んだあとは人魂となって夏の草原を飛んでいこう」
今なお世界中の人に影響を与え続けている葛飾北斎。日本の誇りですね。
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