Apu の All That I Am

公開備忘録のような投稿です。もしご興味をお持ち頂けましたら、PC版でご覧下さいますと嬉しいです!

乗鞍・大黒岳からの眺望 ~ お気に入りの一枚 ~



   

 以前に家族で乗鞍に出かけたときに撮った写真です。太平洋沿いに台風が通過していった翌朝に登りました。大変素晴らしい雲海も見ることが出来て家族で感動しました。マイカー規制があって、鈴蘭でバス待ちをしていた時に娘とUFO?を見たのも良い思い出です。その後、野生の熊が観光客を襲ったことがあり、うちの家族はもう行きたくないと言っています(涙)まぁ、そう言いつつもまた連れて行くつもりですが!この時の写真をスライドショーにしました。やっぱり雲海が素晴らしかったです。是非 「 乗鞍と大黒岳からの眺望 」 のリンクから見て行ってください。

もし記事にご興味がございましたら、カテゴリー毎にご覧くださると読み易いかと思います。
ページ最下部は「あぷ日記 Photo アルバム」です。過去投稿した写真のスライドショーです。
ちなみにニックネームの「あぷ」ですが、かれこれ十数年前のこと、言葉を覚えたての下の娘が「パパちゃん」と言えずに「あぷちゃん」と喋っていたのが由来です。しかし、こんな腰砕けなニックネームいつまで使うのだろうかと、そろそろ疑問と限界を感じております…(^^;)

死のバルド(死の直後)

2011年10月01日 | チベット 死者の書
師僧 : 「呼吸が止まる…。するとあなたの前には生命の根源を作る眩い光が現れる。この光こそチベット密教が伝えてきた始まりの光と言われるものなのです。」

~ 自分の死に気付きはじめるソナム・チェリン ~

師僧 : 「その光だ。あなたの前に現れてきたその光と溶け合うのです。この光は色や形の無い、全く穢れが無く『空(くう)』にして至福な輝きに満ちている。この光こそが生と死を超越した命の流れその物なのです。この光に包まれるのです…。」



小僧 : 「(視聴者に向けて)死者を解脱に導くこの光。死の瞬間こそ死者の心が身体という一種のくびきを離れ、まったき自由に帰っていこうとする、それは晴れがましい瞬間なのです。」



~ 悲しむ家族 ~

師僧 : 「いよいよ、身体と意識の分離が始まったようだ。」

~ 動揺する家族 ~



小僧 : 「(視聴者に向けて)この時になると死者は自分が死んでしまったのか、まだ生きているのか分かりません。でも家族のことは見えるし、悲しんでいる声も聞こえます…。」



師僧 : 「ソナム・チェリンよ、良く聞きなさい。あなたにはあの死というものがやってきたのです。でも、寂しがってはいけない。死は誰にでもおこるのです。この世に執着や欲望を持ってはいけない。もうこの世にとどまることは不可能なのです。」



~ 意識が身体から抜けていく ~

バルド・トゥドルの声 : 「今や、汝の意識は既に身体を離れて周りの世界を見ているのだ。家族や親戚の者が泣いているのが見える。」

~ 死者の意識がその場を浮遊する ~



バルド・トゥドルの声 : 「汝は自分の寝ていたベッドに行ってみる。だが、そこにいるのはもはや汝ではない。汝が見るのは自分の抜け殻だけなのだ。」

バルド・トゥドルの声 : 「家族や親戚の者が名前を呼んでいるのが見える。しかし、それに応えようとしても彼らには分からない。汝はとても悲しい気持ちに襲われていくのだ…。」



師僧 : 「ソナム・チェリンよ、良く聞きなさい。あなたには死がやってきたのです。でも、寂しがってはならない。この世界から外に行くのはあなた一人ではないのです。死は誰にでもおこるのです。」

師僧 : 「根源の光の体験が終わると、次には様々な光や音や色を体験するでしょう。それを怖がってはいけない、慄いてはいけないのです。」

師僧 : 「その光も音も色も実体は無く、あなたの意識が投影されて現れているのに他ならないのです。」



バルド・トゥドルの声 : 「死後に体験する不思議な光をチベット語では存在の根源から発する光『オプセル』と呼ぶ。最近では臨死体験者の多くがこうした不思議な光を体験することを証言している。」





※出典 … 1993年 NHKスペシャル「チベット死者の書」 第2回 死と再生の49日 脚本/中沢新一




 
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 中沢新一/河邑厚徳
 スタジオジブリ ~ ジブリ学術ライブラリー ~

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あぷ日記 Photo アルバム