Apu の All That I Am

公開備忘録のような投稿です。もしご興味をお持ち頂けましたら、PC版でご覧下さいますと嬉しいです!

乗鞍・大黒岳からの眺望 ~ お気に入りの一枚 ~



   

 以前に家族で乗鞍に出かけたときに撮った写真です。太平洋沿いに台風が通過していった翌朝に登りました。大変素晴らしい雲海も見ることが出来て家族で感動しました。マイカー規制があって、鈴蘭でバス待ちをしていた時に娘とUFO?を見たのも良い思い出です。その後、野生の熊が観光客を襲ったことがあり、うちの家族はもう行きたくないと言っています(涙)まぁ、そう言いつつもまた連れて行くつもりですが!この時の写真をスライドショーにしました。やっぱり雲海が素晴らしかったです。是非 「 乗鞍と大黒岳からの眺望 」 のリンクから見て行ってください。

もし記事にご興味がございましたら、カテゴリー毎にご覧くださると読み易いかと思います。
ページ最下部は「あぷ日記 Photo アルバム」です。過去投稿した写真のスライドショーです。
ちなみにニックネームの「あぷ」ですが、かれこれ十数年前のこと、言葉を覚えたての下の娘が「パパちゃん」と言えずに「あぷちゃん」と喋っていたのが由来です。しかし、こんな腰砕けなニックネームいつまで使うのだろうかと、そろそろ疑問と限界を感じております…(^^;)

バルドについて

2011年10月03日 | チベット 死者の書
小僧 : 「先生は僕達がこうして触れることの出来る世界だけに執着してはいけないと教えてくれる。瞑想などによって僕達が現実だと思っている世界がそれほど確かなものでは無いことを勉強しなさいと言うのだ。」


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小僧 : 「先生、バルドについてもっと教えてください。」

師僧 : 「(咳払いして)バルドというのは途中という意味だ。死も決してすべての終りではなく、途中に過ぎないのだ。」


小僧 : 「私達が今、生きているこの世もバルドなのですか?」

師僧 : 「そうだ。この世は存在世界のバルドと呼ばれている。そして、死んでから再生するまでに三つのバルドがある。死のバルド、心の本体のバルド、再生のバルドである。」


小僧 : 「この世がどうして途中なのですか?」

師僧 : 「生命の本質は心であり、その心の本体は純粋な光なのだ。それがそれぞれの生き物の身体の中で活動している状態をこの世というのだ。」


小僧 : 「なぜそれが途中なのですか?」

師僧 : 「そこがこの教えの肝心なところだ。ミミズも犬も人も物質で出来た身体という条件に囚われ、様々な因果に基づいて生きている。」

師僧 : 「それぞれの生き物が「これぞ現実」と感じている世界はその生き物にとってだけ意味をもつ「空(くう)」なる世界だ。」

師僧 : 「したがって光である根源の心はその中で活動はしているが、本来の純粋な姿を現してはいない。だから途中なのだ。」





※出典 … 1993年 NHKスペシャル「チベット死者の書」 第2回 死と再生の49日 脚本/中沢新一




 
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あぷ日記 Photo アルバム